魔法使いのアップルパイ
綿野 明
黒猫
わたしが魔女にならんと思い立ったのは、確か六歳の頃であったか。当時のわたしは単純にも読んだ児童書の影響を受け、将来は必ずや立派な魔女になってみせようぞと決意したのだ。周囲の同輩らは既に現実と空想の区別がつき始めているところであったが、わたしは全くそうでなかった。
わたしはまず、魔女ならばこれであろうと物置から庭掃除用の箒を引っ張り出し、跨ってその場で幾度も跳ねた。自在に空を舞うことは当然できなんだが、初めての飛行訓練としては上々であった。
そしてわたしは第二段階として、使い魔を手に入れることにした。使い魔は絶対に黒猫にするものと決めてあったため、幼いなりにコネを駆使し、友人の友人の家で生まれた黒い子猫を貰い受けた。猫とは幼子を嫌うものと相場が決まっているが、わたしは幸い金切声を上げたり動物を追いかけ回したりするような子供ではなかったので、関係性はまあ良好であった。しかし──
「……なんかちがう」
書架の上に鎮座する黒い毛の塊を見上げ、わたしは唸った。猫はわたしの奇妙な唸りに反応し、声を返した。
「ぬぅん」
「なきごえもへんだし」
黒猫の使い魔というのはもっとこう、しなやかで、月のごとき瞳が神秘的で、人語を解し、少々気まぐれながらも見習い魔女にいつも寄り添っている存在ではないのか。
わたしはそういったことを切々と母に訴えた。それを聞いた母はわたしの隣で共に猫を見上げ、言った。
「うーん、使い魔ねえ……どう見ても『私が神だ』みたいな顔してるわねえ」
「ねえおかあさん、みおろしてくる」
「そうねえ」
猫は見上げる私達をゆったりと睥睨し、何度かゆっくりと瞬くと、唐突にひっくり返って少々太めの腹を念入りに舐めた。
「ねえ、ぺろぺろもへん」
「そうねえ。ちょっと下手よねえ」
猫は不器用なのか何なのか、もぞもぞと若干優雅さに欠けている毛繕いを終え、始める前よりぼさぼさになった毛を見せつけるように尊大な顔をした。
「はあ、偉そう……可愛い……」
母がうっとりため息をつく。わたしは「ぜんぜんかわいくない」と必死に訴えた。
「もうやだ。ミョールはまほうのてつだいとか、ぜったいしないもん」
ミョールというのは猫の名である。わたしが名付けた。幼いわたしは少々文学的なセンスに劣る部分があったのだ。
「そうねえ。でも猫の、そういうところがいいのよねえ」
「よくない」
「国によってはね、猫は神様の使いだって崇めているところもあるのよ。猫は尊きものなのよ。だから人間の言うことなんてきかないの」
「でもぉ」
わたしはそこでしくしくと泣き出し、不貞腐れて自室の寝台に立て篭もった。すると扉に取り付けられた小さな猫用の出入り口を通って猫がわたしの部屋へ、そして毛布の中にまで侵入し、あろうことかうずくまったわたしの顔の前に横たわってくつろいだ。わたしは「えっ、ひとりにしてよ……」とはじめ戸惑ったが、すぐに誘惑に負けて丸まった猫の腹に顔を押し付け、柔らかな毛を存分に堪能した。母がやっているのを見て、前から試してみたいと思っていたのだ。
「ふわふわぁ……」
顔を埋めたまま言うと、猫は不愉快そうに身を捩って逃れ、少し離れた場所でわたしに触れられた部分の毛を手入れした。やはり舐める前よりぼさぼさになった。
「ミョール……なんでつかいま、してくれないの」
「ぬぅん」
「とうといものだから?」
「ぬっ」
奇妙な鳴き声がおかしくて、わたしはくすりと笑いをもらすと猫の鼻先を人差し指でそっとくすぐった。猫はクシュンとくしゃみをして、その瞬間、薄暗い毛布の中にパッと虹色の光が散ったのを見たわたしは目をぱちくりとさせた。
どうやらわたしはこの黒い毛玉を使い魔にではなく、師にするべきであったのだ。そのことにようやく気づいたのが、恥ずかしながら猫を飼い始めて一年も経った、確か七歳の頃であった。
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