第26話 旅立ち

勇者が聖女を、怒鳴りつけた。

 それは直ぐに国王の耳にも入った。

 城の中にいる者たちは、声を潜めてその時の様子を噂にした。聖女を慕っていた勇者はもういない。台所の下働きの口にまで登るようになってしまっては、王の権威を持っても噂を消すことは出来なくなっていた。


 城に食料を卸す商人の口から、瞬く間に城下町にまで、広まって行く。もうそうなれば、噂が噂を呼んで、尾ヒレ背鰭がついてまわるというものだ。

 聖女の存在を知ってはいても、目にした事の無い城下町の住人たちは、聖女に憧れてはいたものの、その真逆の感情も持ち合わせていた。

 神秘的な聖女様は、神殿の奥深くで神に祈りを捧げ、神託を受けて国の繁栄を支えている。聖女様のためにと捧げられる供物の豪華さを知っているからこそ、城下町の住人たちの噂はえげつなかった。聖女のプライドを揺るがすほどに。


「わたくしを、なんだと思っているのかしら」


 豪奢な猫足のソファーに腰を下ろし、波打つ金の髪をかきあげる。白磁のような白い肌を惜しみなく晒し出す白い布でできた聖女の服は、上等な絹織物で出来ていて、金の糸で繊細な刺繍が施されている。

 足を組んだから見えるのは、その足を包む靴。貴重なドラゴンの皮をなめして、染めにくい白色に染め上げ、聖女の足を守るために丁寧に職人が作り上げた逸品である。

 毎年、聖女のために献上されるそれらの品は、城下町の職人が丹精込めて作り上げる。素材は冒険者たちに依頼して取り寄せる。それを知っているからこそ、城下町の住人たちは聖女に対する噂を足ざまなものに変えていくのだ。


「聖女、でしょう?」


 対面する宰相は、苦笑いしながら答えた。何を今更言っているのか。

 お前は聖女だ。今までも、これからも。この国の歴史がある限り、目の前にいる女は聖女なのだ。


「あんなのを召喚してしまったせいで、わたくしの評判が落ちてしまったわ」


 苦々しげに言い放つが、自業自得たということをこれっぽっちも考えないらしい。


「その事なら、問題はありませんよ」


 宰相はすました顔で言う。


「あら、何かしら?」


 聖女の口元が歪む。楽しいことの前触れを期待して。


「勇者が件の魔道士を探しに行くと言い出しました」


「あら?なんて、優しいのかしら」


 愉快そうな口振りで聖女は言うと、直ぐに宰相をひたと見た。


「勇者とジークフリートの、二人で行くと言い出した。冒険者で、使えそうなのがいたら同行させるそうですよ」


 宰相が眉ひとつ動かさずに告げると、逆に聖女の眉がぴくりと跳ねる。


「勇者は我々を信用しないらしい」


「あら、そう」


 聖女はそんなことには関心がないようだ。


「それで、どうする?」


 宰相が聖女を伺う。


「問題は無いわ、勇者には印をつけてあるから」


 聖女の唇が弧を描いた。



 ───────



「なぁ、本当に大丈夫なのか」


 ジークフリートは案外気弱なことを言う。

 光輝を探す為の旅に出るのに、慎二はジークフリートだけを連れていくのだ。馬の額に付け替える魔石は、随分前から集めていたから、特に問題は無い。

 旅の道案内として、街の冒険者を雇うと言い出した。


「聖女もクレシスも連れていかないのかよ」


「そいつらが、来るわけが無い」


 慎二は、国王から相当な旅の資金を要求していた。こんなことになったのは聖女のせいだ。既に噂は留まることを知らず、城下だけでなく近くの街にまで広まっている。国中に広まるまでそう時間はかからないだろう。噂を消そうにも、方法がない。勇者と聖女がなかよく旅立てばいいのかと言えばそうでも無い。

 聖女は神殿を離れることは出来ないらしい。


「まぁ、わかっちゃいたけどよ」


 ジークフリートだってそうは思っている。城の連中は信用ならない。特に聖女は。


「ずっと、気にはなっていた」


 慎二はそう言うと手につけていたグローブを外した。


「見ててくれ」


 そう言って、木の影に隠れていた魔物と向き合う。今の慎二にとっては、取るに足らないような魔物だ。なんの躊躇いもなく慎二はその魔物を剣で切った。

 その途端、魔物から黒い霧のようなものが僅かに発生し、慎二の手に引き寄せられ消えていった。


「……………」


「どう思う?」


 無言になったジークフリートに、慎二は静かに問いかけた。魔物から出た謎の黒い霧のようなものが、慎二の手の中に消えていったのだ。もちろん、慎二の手にはあの模様が付いている。


「光輝とダンジョンに潜っている時から気にはなっていた」


 慎二は手にグローブをはめ直す。そうして、真っ直ぐにジークフリートをみて口を開いた。


「表紋と裏紋、繋がってんのは誰と誰だっけ?」


 慎二の問いかけに、ジークフリートは静かに唾を飲み込んだ。

 慎二の問いかけの意味が分かってしまったジークフリートは、無言で馬を進ませた。途中の街のギルドで情報を集めようとしたが、なんの情報も得られなかった。


「あんた、勇者だろ?」


 周辺の魔物についての情報を集めている時、不意に背後から声をかけられた。慎二の姿は目立つ。この世界の人間とは随分と違った顔立ち。黒髪はさほど珍しくもないが、クセのない真っ直ぐな黒髪は人目を惹く。立派な体格なのに、日本人特有の幼さを残した顔立ち。

 そんな人物が立派な鎧を身に纏い、単身でギルドに立っていれば、誰もがここ最近人々の関心を引く噂の真意を確かめたくなると言うものだ。

 慎二は声をかけてきた人物をじっくりと見た。この街のギルドに所属する冒険者だろう風体の、それでいて人の良さそうな笑みを浮かべた男だった。


「……………」


「見るからに育ちの良さそうな騎士風情と、綺麗な黒髪に珍しい顔立ちの少年。噂に聞いた聖女が召喚したっていう勇者だろ?」


 そう言われ、買い物をしているジークフリートにへと目線を動かした。冒険者をしているだけに、買い物の要領は得ているし、ランクもそれなりに高いらしく、ギルドの職員たちもジークフリートの身分証を見て喜んで情報を提供してくれた。

 今のところ不自由はないし、辛い目にもあってなどいない。旅での常識めいたことはジークフリートが教えてくれる。

 この目の前に立つ人物は、自分に何をしたいのだろうか?慎二は探るような目線を相手に向けた。


「警戒してんのか?」


 そう言われれば、そうかもしれない。警戒は、するに越したことはないだろう。いつ、どこに聖女の手先が現れるかなど、分からないのだから。


「どうしたアレク?」


 買い物を終えたジークフリートがやってきた。貴族で冒険者をやっているからか、ジークフリートは慎二よりも頭一つは大きい。クマのように大きいのではなく、スッキリとした身のこなしで、確かにそこいらの冒険者よりは品がある。


「なぁ、あんたら勇者御一行様だろ?」


 男はもう一度、今度はジークフリートに話しかけた。質問の内容な先程と同じである。


「それがどうした?」


「2人だけってことは、噂は本当なんだな?」


 男がそう言うと、ギルドにいる全員の視線が集まった気がした。慎二は咄嗟に考える。噂とは?城を出る前に意図的に作り出したあの噂ということで間違いないのだろうか?それとも、慎二の知らない噂が出回ったのだろうか?聖女が何もしないなんて保証はないのだ。


「噂、ってのはなにかな」


 ジークフリートが慎二に軽く目配せをしながら男に尋ねた。


「勇者が聖女と喧嘩した。って」


「はっ」


 それを聞いて慎二の口からは嘲けりにも似た声が出た。喧嘩?喧嘩なんてそんな優しいものではない。そんなことが出来るような間柄ではないのだ。


「だ、だから聖女を連れてこなかったんじゃないのか?」


 慎二の反応に怯みながらも。男はなんとか言いたかったことを口にした。それはここにいるほとんどの者の関心ごとだったようで、視線が集中しているだけでなく、周りから嫌という程意識が集中されているのを感じた。


「『聖女を連れてかなかった』って?どれだけ優しく見てくれてんだ」


 慎二が吐き捨てるように言うと、目の前の男は半歩下がった。


「お優しい聖女さまはなぁ、俺なんかとは一緒に魔王討伐なんかしないんだよ」


「え?」


 慎二の口にしたことが理解できなかった男は、短く言葉を発して口を半開きにしている。


「異世界から俺を呼び出して、魔王討伐を押し付けたんだよ聖女は!自分は神託に従って勇者を呼び出しただけだってな」


「え?え?な…ん、て?」


 目の前の男はまだ理解しきれないのか、何度も瞬きを繰り返している。周りには、理解できたものが出てきたのか、声を潜めて近くのものと確認し始めた。


「お優しい聖女様はなぁ、魔王討伐なんて野蛮なことなんてしないんだよ。異世界人の俺に押し付けたんだよ」


「な、んだって?」


 ようやく理解できた男は驚きのあまり、今度は大口を開けたままだ。


「だ、だから二人しかいないんだな」


 外野から声がした。

 慎二はそちらに目線を向けた。若手の冒険者だった。周りにはパーティーと思われる年の近そうな者たちがいた。服装や装備から言ってもまだまだ駆け出しと言ったところだろう。


「勘違いするなよ、誰が魔王討伐をすると言った?俺は、聖女のせいで城から追い出された異世界人を探しているだけだ」


 慎二がそう言うと、周りがざわめいた。予想もしていないことを言われて、誰もが驚きを隠せていない。


「何を言ってるんだ?」


 目の前の男がようやく言葉を絞り出した。それは、この場ににいるものの共通認識だろう。

 しかし、その認識は聖女が国民に植えつけた認識に過ぎない。潜在的に植えつけられたものだ。絵本や物語、語り部や聖伝など、あらゆる媒体を介して国民の共通認識として植えつけられた。


「それこそ、何を言っているんだ?俺は違う世界から強制的にこの世界に連れてこられたんだ。それこそ、なんの前触れもなく、穏やかな日常を唐突に終わらされたんだ。俺のいた世界は平和だった。魔物なんていない。貧富の差もなければ、身分制度なんてない、誰でも好きな仕事ができて好きになった人と結婚ができる。それこそ、衣食住の最低限の保証を国がしてくれる。生きていくのにたいして苦労なんてしていなかったんだよ」


 慎二が一気に言葉を吐き出すと、目の前にいる男は大きく目を見開いたし、周りにいる人たちは驚きのあまり声も出せないようだった。


「そんな平和な世界で暮らしていた俺が、なんで見知らぬ世界のために命をかけて魔王討伐なんてしなくちゃいけないんだ?」

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