第23話 聖女と光輝
城の一室で、光輝は落ち着かないでいた。慎二だけが呼ばれて、光輝はサロンで待たされている。しかも、誰もいない。慎二に教えてもらった結界を張ってみたけれど、慎二の作り出すそれとは違い随分と薄っぺら仕上がりだった。
だからだろうか、クレシスがあっさりと破壊した。
「え、なに」
結界を破壊された衝撃で、光輝は思わず腰を浮かせる。驚いて扉を見れば、そこには険しい顔をしたクレシスが立っていて、その後ろから聖女が入ってきた。
「ごきげんよう、魔道士様」
聖女は、そう言って光輝のことをじっくりと眺めた。
「こ、こんにちは」
座ったまま、光輝は後ずさりをしていた。なんだか分からないけれど、光輝は聖女が怖かった。光輝のからだのなかのなにかが、聖女に、反発をしているのだ。
「今日は、魔道士様に、精のつくお食事を用意しましたのよ」
聖女がそう言うと、侍従がワゴンを押して現れた。
ワゴンの上にはカゴに入ったうさぎがいた。
けれど、光輝の知っているうさぎとは違って、前歯が恐ろしく大きい。体に対して、後ろ足もやたらと大きかった。
「これは魔物です」
聖女はそう言って、カゴからうさぎを取りだした。くびのあたりを掴まれて、うさぎは体を伸ばした状態で大人しくなっている。
そんなうさぎを見て、光輝は魔物だと言われればそうかもしれないけれど、ふわふわモコモコしていて可愛らしく見えた。
光輝が黙って見つめていると、聖女の持つうさぎの首に侍従がナイフを突き立てた。
ギッ、ギーーーー
うさぎが低く唸るように鳴いた。
白い毛皮の首から、赤い血が吹き出すように流れ出る。それを侍従はグラスで受け止める。
「この魔物の血は、とても栄養があるのですよ」
まだピクピクと痙攣するように動くうさぎは、聖女の手に掴まれたままだ。そうして流れ出た血を集めたグラスは、侍従の手から光輝の手に渡された。
拒否が出来ないまままだ温かい液体の入ったグラスを握りしめ、光輝は目を見開いたまま動けない。
グラスに注いだ残りは、鍋の中に流れていく。うさぎはまだ死んでいないのか、後ろ足が空を蹴っていた。
「おにくは柔らかくてとても美味しいのです」
侍従が聖女の手にぶら下がるうさぎを、そのまま切り裂く。突き立てていたナイフが、くるりと動くと、白い毛皮が剥がされていった。
ピンク色の肉、白い脂、聖女の手にあったうさぎは、姿を変えていく。侍従がキレイに剥いて、赤い液体で満たされた鍋に、魔法で火をかけた。
赤い液体が沸騰する中に、姿の変わったうさぎが切り刻まれて放り込まれていく。
光輝はそれを瞬きもしないでただ見ていた。
「あら、お飲みにならないの?」
聖女が光輝の間近に来ていた。
光輝が握りしめたままのグラスを、聖女が手にする。
そうして、グラスの中の温かい赤い液体を口にして、喉を鳴らした。光輝はそれをただ見つめる。
赤い液体で唇が濡れた聖女が、光輝の方を向き、ゆっくりと、唇を重ねてきた。
光輝は目を見開いたままただ見ていた。
そうして、口の中に広がる温かい赤い液体。
味は───!
耳を劈くような悲鳴を上げて、光輝かソファーから転がり落ちた。
何もかも、光輝には、受け入れられない。
聖女が光輝の手から手袋を外す。そこには模様があった。聖女はそれを見て嬉しそうに微笑むけれど、その赤すぎる唇を見て、光輝は顔色を失わせる。
そうして、自分の手で自分の唇を拭えば、赤い色がついた。
その色を見て、光輝の体が小刻みに震える。
部屋の中に、赤い液体の匂いが充満してきた。それを感じて、光輝の目が怯えた。
「美味しく仕上がったようです」
何も無かったかのように、聖女は立ち上がり、グラスを片手に鍋の中身を確認する。
「さぁ、魔道士様」
煮えたぎる赤い液体を、皿に取り分けて、侍従が光輝の前に差し出してきた。皿の中には赤黒い物体が浮かんでいた。
知識として知ってはいても、光輝は現代日本からの転移者だ。スーパーで白いトレイにのせられたものしか見たことがなければ、この匂いと映像はどうにも受け入れ難い。
まだ、口の中にはあの味が残っていた。
匂いが否応なしに光輝の鼻に流れてくる。
あのうさぎは、ダンジョンに行く途中の森でよく見かけた。けれど慎二はいつも「かわいいな」と言って眺めるだけだった。
だから、目の前で姿が変わっていくのが信じられなかった。分かっていても、理解できるとは限らない。
部屋中に充満する匂いに耐えきれず、光輝は吐いた。
こんな匂いは知らない。
知りたくない。
「………っあ……あぁ」
吐いたものが赤い。
手についたものも赤い。
目の前が赤に染る。
光輝は周りの全てを拒絶した。
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