夫婦二人の旅

天雪桃那花(あまゆきもなか)

妻を思う

 今年の夏でもう幾度めになったかな?

 四国を訪れる日は決まって晴れるから不思議だ。


 近畿地方に住む私は海を越え、まとまった休みが取れるといつも四国に旅をしにやって来た。

 今日はお盆休みを利用している。

 毎年、義弟の陸也くんが旅の出発地点まで車で送ってくれる。私の旅はその都度、旅立ちの始まりの場も目的地も変わるのだ。


 途中、明石海峡大橋か瀬戸大橋を渡ると、空の濃い青やゆらぎ煌めく白波立つ海に浮かぶ大小の島々の緑が目に眩く飛び込んでくる。


 橋の上で強風に車が時折煽られ、運転席の陸也くんの「ひゃあ、ハンドルが取られるぅ、持ってかれる〜」なんて焦ったような小さな叫びを聞くと怖い思いをしつつも笑ってしまった。不謹慎ながらどこかわくわくともしてしまう。

 運転してくれる陸也くんには悪いな、申し訳ないなと思ってはいるのだ。

 ただ、旅は非日常で、自分の気持ちも普段のテンションではいられないと思う。

 たとえそれが痛みを伴う旅であるとしても。


 私が楽しんではいけないと思う戒めにも似た気持ちを持つことを君は見越していたのかな。君は「旅を楽しみながら続けてくださいね」と言い遺した。

 この旅は亡くなった妻、雅枝まさえの遺志。

 願いであり頼みごとだった。


 私にはこの旅行は、もう自分の人生の一部分にすらなっていると感じるのです。


 本州より瀬戸内海を越え四国地方に入る。

 海岸沿いに走ると夏の日差しはじりじりと地上のものを何もかも焦がすように強烈だった。

 うだるような気温だが忘れた頃に山から吹く風がスーッと清涼を運ぶ。

 潮騒の音や海鳥の鳴き声、遠くトンビや鷹の姿が見え海風が潮の香りをたっぷり含ませて吹きつけた。

 助手席の窓を開け放ったままにしていると顔や腕に直撃する強風が爽やかな気持ちにさせた。

 ガタゴトと舗装されきらない山道を会社の荷物を載せたままのワゴン車がゆるゆると走り昇っていく。


「義兄さん、やっと終わりが見えてきましたね」

「そうだね。これも陸也君のおかげだよ」


 お遍路の旅を知っているだろうか?

 四国霊場八十八ヶ所を巡る旅だ。人の煩悩の数八十八個分にちなんでいるそうだ。


 妻から話を聞いた時は、煩悩は除夜の鐘を打つ百八つではないんだなと疑問に思ったのだが、うんうんと頷いて彼女の表情や動向を注意深く伺っていた。

 その頃の妻は暗く沈んでいて一度「私はあなたといれば幸せなのですが、死にたいとよぎることがあるんです」とぼそりと吐き出すように呟いたからだ。

 その「死にたい」という言葉は真っ黒なしゃぼん玉のように家のなかを漂った。

 どうにか払いたかった。不穏でもったりと重くのしかかる、生を終わらせ死という終わりを迎えたいという妻の気持ち。

 私は妻に命の尊さをぽつりぽつりとたどたどしく、けれど熱意をもって話し、彼女をこちら側に……生きていく世界にとどめるために説得をした。


「死んじゃだめだ。私のために生きてくれ。私を残してどこに行くつもりなんだ……」


 涙声で震えた。

 彼女の顔はハッとして紅みが指していた。

 もちろん、私だけの力で死にとらわれてしまった妻の心を治すことが出来た訳ではない。

 二人で病院に通いカウンセリングを受け、目的を持つことを薦められた。

 夫婦二人で旅行に行きたいと妻が言った。

 

「きっと天国そらのうえの姉ちゃんも喜んでると思います。あの、義兄さん。厚かましいかと思うんですが今回は俺もご一緒して良いですか?」

「構わんけど。私の足を心配してくれてのことだったらそれには及ばんよ」


 私は加齢と昔の骨折がどうも原因らしく、足の具合がますます悪い。

 加えて生まれつき変形した股関節のせいで、いつでもびっこをひいて歩いていた。その癖が余計に足を痛め疲労させているらしかった。


 昨今は、ずいぶん身近にカジュアルになったお遍路の旅。

 寺と寺の間を、車や自転車やタクシーなどを使い巡る人もいるようだ。

 気軽なバスツアーもあるみたいです。

 願掛けや贖罪、お遍路の旅は人それぞれ切実な思いや気持ちを抱えてる。

 私は熱心な仏教徒でもなく、どちらかといえば、罰当たりと言われそうだが普段はたぶん神仏を信じていない。

 どんなに祈っても雅枝は死んでしまったから。

 それでもお遍路旅でお坊さんに説法を聞く機会があると、ありがたい気持ちにもなるし、人生を例えた先達の昔話や面白い話には納得したりする。


 私は痛む足をひきずりながら、一歩一歩踏みしめながら歩くことにした。

 熱中症に気をつけ、保冷剤と凍らせたペットボトル飲料で熱を冷ます。足にはサポーターにテーピングして湿布を貼り、万全の態勢で臨む。

 休みの間に行ける札所は限られるが、景色を楽しみ、心のなかの妻と会話した。


 陸也くんは、今回のお遍路の出発地近くの駅で長期間駐車しておけるパーキングに車をとめた。

 どうやら本当に私と一緒に旅をするつもりらしい。


「なぁ前にも言ったけど、会社は陸也くん、君に継いでもらいたいんだ。私はそろそろ引導を渡してのんびりしようかと思う。この辺りに移住してみたいと考えていたんだよ。自然を感じられるしな」

「義兄さん、本気なんですか?」

「うん、まぁね。会社は危なくなったら無理しないで潰して畳んでしまって構わないから。陸也くんの重荷にはしたくない」

「義兄さん……」


 会社といっても町工場の小さな会社だ。社員は身内の陸也くんを含めて僅か五人しかいない。

 私と雅枝で始めた会社もなんだかんだと潰れずにやってこれた。

 今のところは得意先に恵まれて経営は軌道にのっている。


 妻は苦悩を解きたがっていた。

 雅枝は私との子供が授からないことに長年負い目を感じていた。

 旅は妻の遺志。今では私の旅。

 私の母や自分の母や親戚に「子供はまだか?」「孫はまだか?」と問われ心には負担と澱のような重苦しさがたまっていったのだろう。その度に困ったように曖昧な笑みでかわす雅枝の顔を思い出す。気づけば私が庇ったりしたが傷ついていたのだ。

 不妊、それは私の方に原因があったかもしれないのに君に過度な期待は矢の如く集中してしまった。

 責任感の強い妻は跡取りを産めないことでずっとずっと自分を攻め続けていたのだろう。

 自死の誘惑から逃れられた矢先余命幾ばくもないことが分かった。

 雅枝がやっと、穏やかに生きたいわと願えるようになったというのに、なんて皮肉なことだろうか。

 見つけにくい場所に巣食った病は、雅枝の命の灯火をあっさり消し去り光を奪っていった。


 ――お遍路の旅を無事に終えたら天国の君は笑ってくれますか?

 私を許してくれますか?



 ようやくここまで来れた。

 だが、まだまだ終わりではない。

 くたびれたリュックに入れた数冊の納経帳はびっしりと印と寺社の名で埋まってる。

 妻を思い出すと私は胸が熱くなるのをこらえきれなかった。景色が涙で滲む。

 山と森、田んぼと畑にぽつんぽつんと点在する家。


 うんざりするほど汗をかいた。

 自身から湧き出た塩が目に入って痛い。

 一見平坦な道に見えても、緩やかに登ったり下ったりの道。

 お遍路旅を始める時に雅枝と買った杖が殊のほか役に立つ。


「この辺りにお遍路さんを泊めてくれる安宿があるみたいですよ。わぁ温泉もあります、お義兄さん」

「良いねぇ、温泉に入りたいなぁ。それに香川といったらうどんだな。歩きながら店を探してみようか」

「そうしましょう。俺は子供達に土産を買います」


 私の今回のお遍路旅は悲壮感は消え、賑やかになりそうだ。

 雅枝との間には子はいなくとも、この世界に命は脈々と続いている。

 どこかで出逢った二人から命は繋がり。

 人への思いも人と人の縁も繋がっていく。


 君と生きてきたからこそ、旅をした今はとても命の尊さを感じるのだ。


 そして――

 君と出会えて良かったなって思う。



      了



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