第93話 みんなの比嘉さん

「おはよー」


 あー、ねむ。

 人間忘れようとして簡単に忘れられるもんじゃねーんだな。全然眠れない。なぜか授業中は眠れるのに。スヤスヤぐっすりなのに。


 教室に入るやいなや充里が駆け寄ってくる。


「おはよー統基! ニュース見た? パンダが妊娠したってー」


「え! へ、へー、そう。そりゃめでたいねえ」


「産まれたら比嘉と見に行くんだろ?」


「そ、そうねー、比嘉と見に行くだろうねー」


 パンダか。何心臓バクバクさせてんだ、俺。


「入谷、見てー」


「な、何? 優夏」


 優夏が笑顔でスマホを手に駆け寄ってくる。


「うちで飼ってる犬がね、赤ちゃん産まれたのー」


「え! へ、へー、犬ね、犬。かわいいじゃん。チワワ?」


「ゴールデンレトリバーだよ」


「ゴールデンリバー?!」


「ゴールデンレトリバー」


「あ、ああ、レッドリバーね」


 朝イチから汗ダックダクなんだけど。どうしてくれんの、優夏。


「入谷、聞いてー。うちのハムスターがねー」


 何なんだ、今日は! 実来が笑顔で駆け寄ってくる。


「その話は佐伯にしてやってくれ! 佐伯ハムスター大好きなんだよ」


 寄ってたかって何なの?! 嫌がらせ?!


「おはよう、統基」


 爽やかにかつ堂々としたたたずまいで叶が登校して来た。オアシス……!


「おはよー、叶!」


「ねえ、かわいいレオパの画像見つけたの。見て見て」


「おー! 見たい見たい!」


「ほらこれ。レオパの親子だよ。赤ちゃんめっちゃかわいくない?! 人形かと思っちゃった」


「叶まで!」


 机をダン! と叩いて突っ伏してしまった。次から次へと何なの? ねえ、何なの? 神様が忘れさせねーぞって言ってんの?!


「どうしたの? かわいくない?」


「ううん、かわいい。レオパかわいい。ありがとう、叶」


 やっとチャイムが鳴って、自分の席に座る。あー、すでに疲れた……。


 しばらくすると、担任の高梨が教室に入ってくる。


「今日は、来たるべき修学旅行へ向けて、クラスの旗を作る! この学年は生徒の質がひどいから、外部の方にかける迷惑を最小限に抑えるためにまずは少しでもクラスの一致団結を図るのが狙いだ!」


 教師の狙いを生徒に言うんじゃねえよ、高梨。やっぱりこの学校、教師まで馬鹿だわ。


 みんなで下絵を描き、美術部の津田がペンを入れて行く。後は、生徒達がそれぞれ1色ずつ担当し、全員で旗を完成させるという教師の狙いがそのまま反映された手順だ。


「次、津田ー」


「んー、この赤、どうにも納得いかねえんだよなー」


「美術部のこだわりはいいから、早く赤ちゃんと塗れよ」


 赤ちゃん?!


 びっくりして津田を見ると、赤いペンを手に迷っている様子だ。なんだ、赤、ちゃんとか。あー、一瞬で汗だくになったわ。


「津田ーまだー? 赤ちゃんと塗ってくんねーと進まねえんだけどー」


「本当よ。津田、赤ちゃんと塗ってー」


「みんなお前待ちだぞー。赤ちゃんと塗れよー」


「ちょ……ちょっとみんな、もう少しくらい待ってやろうよ……」


 どんだけ赤ちゃんと塗らせたいんだ、お前らみんなして!


「でも、赤ちゃんと塗ってくれないと困るのは入谷くんだよ」


「え?!」


 何の話?! 曽羽のムダな鋭さが何かを検知しているのか?!


「だって、津田くんの赤の隣が入谷くんの金色だよ」


「あ……ああ、そうね。赤頼むぞ、津田ー。俺がゴールド塗れないじゃんー」


 なんで俺ゴールドなの?! 何の嫌がらせ?!


 2時間かけて旗を作り、3時間目の体育を終えて教室に入ると、曽羽が叶の席の脇に立っていつになく真面目な顔をしていた。次の授業は選択の音楽だ。この学校マジで勉強しない。


 ……何だ? どうかしたのかな?


 近付くと、机の上にちっせー紙がある。……名刺?


「何これ?」


「芸能事務所だって」


 曽羽が答える。


「……は?!」


「え?! スカウト?!」


「すごい! 芸能界にスカウトされるなんてさすが比嘉さん!」


「絶対人気女優になるよ!」


 周りの奴らが興奮気味に盛り上がってる。


 は?!

 机の名刺を手に取る。


 ……星と月プロモーション……スマホで検索してみると、たしかに芸能事務所だ。超有名な俳優女優もよーさん出てきよるわ。


 ……マジで? ガチスカウト?


「なんだよ、これ! お前俺の知らねーとこでスカウトなんかされてたのかよ!」


「至近距離で大声でしゃべらないでよ! ツバが飛んでくる! 今日の朝の話よ! なんか、去年の文化祭で動画撮られてて勝手にSNSにアップされてたんですって。それを見て来たって言ってたわ」


「SNS……?」


 たしかに、去年の文化祭で俺と叶と充里と曽羽で校内まわってた時にスマホで動画やら写真やら撮られた。声を掛けて来ないで勝手に撮ってる奴もいた。それも分かってた。分かってたけど、それを、SNSに無断でアップした奴がおったんかい!


「俺の所属してる事務所の人たちが比嘉さんの動画見ながらこれどこの制服だっつって、偏差値ランキングの上から制服調査してたのよ。たまたまそこに俺が行ってさ、あーこれ俺のクラスメートっすーつって」


「お前が教えたんか! いらんことしやがって、行村!」


「あー、比嘉さんがみんなの比嘉さんになってしまうのか……」


 ヘラヘラ笑ってる行村の横で、ゴリラ仲野ゴリラがうなだれている。……みんなの比嘉さん、だと?!


「お前、芸能界なんかやんねーよな?」


「んーでも……私、統基が言ってたように引越し何回もしてもらってたり親にお金かけさせちゃってるから、なんか、とりあえずお金稼げるらしいからやってみてもいいのかなあって思ってるんだけど」


「いい訳ねーだろ! みんなの叶にさせる気はねえ! 絶対断れ! 俺が電話してやる! 金のために体売るんじゃねえ!」


「え? 体?」


 冗談じゃねえ! 叶が芸能界とか冗談じゃねえ!


「断って! 絶対俺なんか手の届かない所に行っちゃう!」


「……え? 俺なんかって……」


「俺嫌だ! 絶対断って! 叶!」


「……統基?」


 ……あ……叶がかなり戸惑った顔をしてる……あ、俺……何どうしようもなく焦ったんだろ……すっげー心臓がバクバクして、みっともない姿さらしてる……だがしかし、嫌だ! どうしようもなく嫌だ!


「……俺、嫌だ……」


「分かったよ、分かったから」


「金なら俺が働く! 俺今より働くから、叶の分まで働くから!」


「断るから! 親も反対するだろうなって思ってたし!」


「落ち着けよ、統基。どうしたんだ、お前ー。そんなに取り乱すなんて珍しいな」


「だって!」


 だって……叶が手の届かない所に行ってしまう。こんな綺麗で純粋なJK、俺が囲ってないとすぐ遥か遠くに行ってしまう。


 芸能界なんて想像のつかない、でも絶対派手でたくさんの人の目に留まる、イケメンのはびこる魔の巣窟に叶を送り出すなんて、絶対に嫌だ!

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