KAC20218 尊い

霧野

インドアゲート

 階段を上る足音が聞こえる。特に耳がいいというわけではないけれど、この音だけは何故か部屋の奥からでも聞き取れる。……5、6、7。そして、重い扉の開く音。


「いらっしゃい」


 薄っぺらいカーペットを踏む、迷いのない足音が近づいてくる。


「こんにちは……」


 こんな薄暗くて怪しい店を、迷うことなく歩いてくる。そして、この声。たしか……


「こんにちは、高須さん」


 言うと同時に、廊下の角から彼が顔を覗かせた。目が合うと、白い綺麗な歯を見せてにこっと笑う。


「どうも。名前覚えててくれたんですね」


 カウンターの向こうの椅子を手で示すと、彼はエレガントな仕草でそこへ座った。ただ「座る」というだけの動作の中にも育ちの良さが滲み出る。手足の長さと姿勢の良さのせいもあるかもしれない。


「お名刺頂きましたもの」

「ああ、営業職の癖ですね。つい反射的に名刺出しちゃう」


「前にいらした時より、お顔の色がいいみたいね」


 彼は嬉しそうに笑った。目尻の笑い皺が深くなったが、その表情には少年っぽさが残っている。


「今日はお礼に来たんです。石のお礼に」

「まあ、それはそれは。何かいいことありました?」


 彼が最初に店に来たのは、10日ほど前のことだ。階段を上る足音からしてもう、心細げだったのを思い出す。恐る恐る、という表現がぴったりの様子で薄暗い廊下を進み、今と同じようにここへ座ったのだ。



「事故にあって昏睡状態だった、妹の意識が戻ったんです。河川敷でやってたゴルフのボールが側頭部を直撃して……なんて、なかなか無いですよね、そんなことって」


 あははと声をあげて笑う彼は、10日前の様子とは別人のように朗らかだった。

 理由を聞いてみれば肯ける。あの時の彼はかなり憔悴した様子で、思いつめたような顔をしていたものだ。よほど心配で不安だったのだろう。


「彼女、普段は用事がなければ外になんて出ないんですよ。で、珍しく早朝に外出したら、これですよ。よく、珍しいことをすると『雨が降る』なんて言いますけど……ほんと、雨が降るぐらいにしといて欲しいですよ。よりによって、ゴルフボールって。ねえ?」


 「ねえ?」と小首を傾げる様は、子犬のようだ。成人男性にあってはならないと思えるほどの可愛らしさがある。結構な破壊力に、一瞬視界がぐらりと揺れた。


「あ、そうだ。お礼に差し入れ持ってきたんです。一緒に食べません? 『おうち時間の尊死スイーツ』とかって話題になってる、バスクチーズケーキなんですけど……」




 ガチで尊死レベルに美味しいふわとろバスクチーズケーキを食べながら、彼の話を聞いた。


 10日前にうちの店で購入した、インドアゲートという石をストラップにして家族全員に持たせたところ、翌日には妹さんの意識が戻ったのだという。

 それがまた不思議な話で、入院先の患者の中に妙な能力を持った子供がいたというのだ。

 その子は「手を繋いで眠ると、その相手を自分の夢の中に招き入れることができる」という能力を持ち、その子の夢の中で対話したおかげで妹は目覚めることができた、というのだ。


 どうにも眉唾ものの話ではあるが、事実として妹さんは目覚めたわけだし彼も喜んでいるのだから、私が水を差すこともないだろう。



「目が覚めた時、彼女『風になって世界中を走り回ってた。今も私の一部は走り続けてる』なんて言ってて、頭でも打ったのか? って。いや、実際に打ったんですけどね、その、ちょっと混乱してるのかなって慌てましたけど。でも色々検査しても異常もなく、昨日やっと退院できたんですよ」


 プラスチックのスプーンを口に咥え柄をプラプラ上下に揺らしながら、彼はポケットを探り、石付きのストラップを取り出した。仕草がいちいち可愛らしい。身長185センチはありそうな男にあるまじき可愛らしさである。


「ほんと、この石のおかげだと思ってます。なんせ買った翌日に効果が出たんですから。ありがとうございました」


 スプーンを握った拳を膝に置き、彼はテーブルにくっつきそうになるくらい頭を下げた。少しウェーブがかかった前髪に、ケーキの欠片が付いた。ここでアホ可愛らしさを繰り出してくるとは………



 私は笑いをこらえながら厳かに言った。私には私のキャラがある。この店にいる間は、それを守らなければ。

「…その石は、インドでは釈迦の骨の代わりとして仏舎利に納められる、尊い石なんですよ」


 へええ、という顔でうなずいている。なかなか表情豊かで聞き上手だ。営業職は天職かもしれない。


「彼女ね、その石を渡した時『インドア・ゲート? インドア派の私にぴったりの石だね』なんて言ってたんですよ。そんな尊い石を……って、実は僕も、最初聞いた時にそう思ったんですけどね。インドア派の彼女にぴったりだなって」


 内緒ですけどね、と両手の人差し指で口の前にバッテンを作る。なんなんだこいつは、おっさんのくせに! ……まんまと可愛いから困る。いけない、キャラ遵守キャラ遵守……


「インド・アゲートには、魔除けやヒーリング効果があることは前にお話ししましたね。その他に、家族や仲間の絆を強める力もあるんですよ」


 丁寧に「インド」で一旦区切って言うと、それまでニコニコしていた彼の表情が一転した。神妙な顔つきで手の中の石を見つめている。暗緑色に淡い縞模様が入った、綺麗な石。



「…どうかしました?」


 ハッとして顔を上げると、彼はその石を大切そうに両手の間に挟んだ。

「実は……僕ら兄妹、血が繋がっていないんです。僕が高校に上がった頃ですから結構前ですね。両親が子連れ同士で再婚して。ステップファミリーって、今時は言うらしいんですけど」


 私は今までうっすらと感じていた違和感の正体に気づいた。彼は妹さんの事を何度か「彼女」と呼んだ。その呼び方に、かすかに他人行儀なものを感じたのだった。



「この一連のことで、家族の団結が強まった気がしていたんです。彼女のことがすごく心配で、いてもたってもいられなくて、それで友人に勧められてこの店に……」


「そういえば石を選んでいただいた時、即答でしたね」


 この店では、初めての客には100種類近い見本の中から一つだけ、心惹かれる石を選んでもらう。そしてそれをプレゼントする事にしている。お代は取らない。

 だが彼は、このインドアゲートを家族全員の分購入することを強く希望したのだった。


「あなた方ご家族に、必要だったのでしょう」


 普通に本心を言ったのだが、彼は目を潤ませたかと思うと、目を固く閉じて手を合わせて私を拝んだ。

「ありがとうございます、ありがとうございます……」と何度も呟きながら、何か尊いものでも崇めるみたいに。




 いつものように、客を外まで送り出す。

 餞けに、いつもは閉めてある棚の扉を開けてずらりと並んだ数百種類もの高価な石たちを見せてあげる。ライトに照らされてキラキラと輝く石達は、力強く、美しい。

 石達を眺め、石達の瞬きに励まされながら長い廊下を進み、ガラスの嵌った木のドアを開ける。階段を降りて、「魔女のハシバミ」のところまで。


「これをお持ちなさい。お代は要らない。私からのプレゼントよ」


 モルガナイトという淡い桜色の石を手渡す。自分の本当の気持ちに気付き、愛情を表すのを助けてくれる石。


 先ほどの、彼の様子を思い出す。両手を合わせて私を拝み、何度もお礼の言葉を呟いていたその様を見れば、彼がどれほど妹さんを大切に思っているかがわかる。

 血の繋がらない妹への、自分でも気づかないほどの、ほのかな想い。なんて尊く、切ないシチュエーション。不器用な愛、葛藤。ああ、色々捗るわぁ……



 晴れやかな顔で手を振って、彼は家へ帰って行った。


 強い風が吹いてハシバミの枝を揺らし、私の黒いドレスの裾を翻した。そろそろ店に戻ろう。

 重たいドアを開け、もう一度振り返る。小さくなった彼の後姿を目に留め、私は心の中で祈った。


「どうぞ、お幸せに」


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