ACTion 15 『必要なものと、欲しいもの』

 だとして長身ゆえの歩幅の広さに拍車がかかれば、その背を見て取ることはもう出来なくなっていた。アルトは戻った自船で気密カーテンが収納されてゆく様を見守る。

 擬似重力圏に引き出したままのマイクも垂れ下がっていたなら、巻き上げ、毟るように通信機を耳からはずした。

 ワソランの通った後を残して開け放たれた減圧室のハッチを閉じ、EMUの装着室もまた塞いだ。そうして階段を上がれば、居住モジュールのドアが閉じて行くのを辛うじて目にする。

 思わずそちらへ足を繰り出しかけていた。

 引き戻すと、コクピットへと切り返す。

 何しろ優先順位は不安定な雲の中から脱出することにで間違いない。

「七十四セコンドのタイムオーバーです」

 先方の船と違い、色鮮やかに計器類へ光を灯したコクピットへ上がれば早々、イルサリに突かれていた。しかしながらただそれだけで生きた心地を得るなどと、あまりにも殺伐とした状況が続きすぎたせいとしか言いようがない。

「着艦したのは船の持ち主だった。奴も丸裸でね。ゴツい船で助かったぜ」

 告げる。

「必要な情報の入手には成功いたしましたか?」

 返すイルサリは単刀直入だ。

 体ちょうどに設えられた座席へ背を預けて四点ベルトを締め上げながら、ならばとアルトは言ってやることにする。

「必要なものは手に入れたが、欲しいものは星の彼方さ」

 その意味がすぐには理解できなかったらしい。イルサリが会話の調子を崩していた。返事は途切れ、だからこそ新たな質問を浴びぬようアルトもまた目下の課題へその演算領域を振り分けさせる。

「出るぞ。ナビ、頼むぜ」

「了解しました、父上」

 我に返ったような間合いでイルサリは返し、アルトは絞っていたスラスタの出力を上げると接続していたチェイサーのクルーザーから自船を引き離しにかかった。

 数セコンド後、変わらぬイルサリの淡白なナビゲーションにに合わせて両手足を操り、雲の中を飛ぶ。

 唐突に放り込まれた時と異なり、帰りは揺れも最小限。カーゴに居住モジュールは相変わらず軋み続けていたが気にするほどもなく、張替えの機会を逃した塗膜だけが二度目の雲の中で耐えうるのかだけを気にかける。

 プラズマ放電を食らうたび、跳ね上がる計器が正常値を越えはしないかと目を光らせた。

 辛うじて正常値のうちに、船は突入した時の倍ほどの手数を踏んで雲の中から脱出する。

 砂粒がごとく星々はアクリルドームを覆って広がり、眺める暇を惜しんで復活したナビがそこへ膜を張っていった。とはいえ近隣を航行する者は誰もいないなら、ナビが他船の軌道をコクピットに横切らせることはない。そんな宇宙の何と広大なことか。

 アルトは再度、計器をチェックしなおす。

「Op1へ航路を取りますか?」

 気を回すイルサリに問われていた。

 答えずただオートパイロットを弾き上げる。

 しばらくはこのまま飛んでいたい気分だ。と言えば格好のつけすぎか。だがほかに見合う言葉がうまく見つかりそうもない。

 ほどなく安定した航行に四点ベルトを解けば手は自然、作業着の内ポケットをまさぐっていた。JPSーWのパックを抜き出し、一本くわえて火を点ける。

 おかげで、イルサリは途中放棄となっていた課題を思い出したらしい。

「父上、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ん?」

 うまそうに吹かすアルトへ、不意と尋ねた。

「必要なものと欲しいものの違いとは、一体どういうことでしょうか?」

 聞きながら指揮でもとるように白く燃えるタバコの先を上下させ、アルトは座席へ深く体をうずめてゆく。スロットル脇のメインコンピュータ上へ足を放り上げると頭の後ろで手を組み宙へ視線を放った。

「望んだ通りにならなけりゃ、なんだってそういうこった」

「失望、されたのですか?」

 聞いたイルサリは、寸分違わず言葉どおりを解釈してみせる。だからこそ、どうもかみ合わないのは毎度のことだろう。

「一言で片付けりゃ、な」

「ですが、必要なものを手に入れたのであれば、不足は補填されました。失望とはそもそも、その欠損からくるものではないかと」

 それもまた価値観の違いというほかない。

「それで難なく動くお前なら、事足りるだろうよ」

 切り分けながらアルトは一方で、まったく違うこともまた考え始める。

「だが意志ってやつは、それだけじゃ未完成なのさ。いつもどこかに永遠の影踏みをする、夢や希望がなけりゃ動かないようにできてんだ」

 考え始めたそれは、果たして事態をさらなる深みへ陥れるものなのかどうか。試してみなければわからない危うきセーフティーネットでもあった。

「それが失望、ですか」

 イルサリがしみじみと繰り返している。

 ぼんやり聞いて、どちらにも傾かぬそれら天秤の結末を、それこそ夢と希望でアルトは調節していった。そうして肺一杯に吸い込んだ、煙ともつかぬ息を吐き出す。

「ではさしずめ影を踏み続けるため、その夢と希望の座標を検索する必要があります」

 などと、どこまで本気なのか、イルサリはやけにシャレたことを言ってのけている。毎秒ごとの成長ぶりに、アルトは思わず薄い笑みをこぼしていた。

「座標も何も、通信ラインを開けりゃ一発、ってところではあるが……」

 と、その時だ。開くその前からお呼びはかかる。アルトは乗せていた足を慌てて下ろし、モニター画面を覗き込んだ。

 デミからだ。

 逆算するに『Op1』の時刻はおおかた昼を回ったところだろうか。躊躇なく通信をつなげばモニターに、営業中の広告を画面下部にスクロールさせてこちらを覗き込むデミの姿は映り込む。

 ただ予想外だったのは昨夜の補習がたたったのか、それとも他に匹敵する理由があるのか、その目が妙にどんより曇っていることだった。

『仕事だからね』

 藪から棒とそんなデミが鼻溜を揺らしてみせる。

『そんなとこまで行かなくても、ボク、邪魔したりしないよ。通信まで切っちゃってさ』

 不服そうにそうも続けた。

『は? 何の事だ。切ってたって、つながんねー所にいたらそりゃ、お前……』

『まだいるの?』

 言いかけた言葉を遮ると狭い画面を念入りに、端から端まで見回す頭が突き出される。

『誰が?』

 聞き返すアルトの口も、行かぬ合点に曲がらざるを得ないだろう。

『女のヒト』

 デミが軽く鼻溜を揺らしていた。

『ああ、居住モジュー……』

『でもこれ、急な仕事の話だから優先ね』

 そうしてようやく、アルトは気づく。

『またお前ッ、勘違いしてんのかッ』

 それこそ中指を立てかねない勢いだ。

『もう。ヒゲくらい剃りなよ、みっともないなぁ』

 だがもろともせず返すデミは冷たさも極力の視線を放ち、かと思えば一点を見つめて瞬きを繰り返す。

『あ、それが、キスマークなんだ』

 視線は間違いなくアルトのアゴに刺さっていた。だとして痕跡は、かくも生易しいものであるはずがない。

『違うッ、こりゃあ殴られた跡だッ』

『……って、アルトさ』

 とたんうがるデミに真摯と問われる。

『一体、女のヒトと、どんなコトやってるの?』

 とたんブッと吹き出すアルトの口。

『殴った相手が違うったつーのッ。あのな、俺にはお前の想像するようなガキもいなけりゃ、断じてそんな趣味もねぇッ。さっさと用件言えッ、用件をッ』

 催促したところで歯切れの悪いデミの目は、じとっとしたままだ。それでも割り切り、ようやく本題にその鼻溜を揺らしてみせた。

『買い取り価格の変更だよ。昨日、置いて行った品物あるでしょ。あの中から鑑定してなかったモノが出てきたんだ』

『鑑定していなかった、モノ?』

 それはアルトにとって不手際であり想定外である。

『他の奴の商品と混ざってんじゃねぇのか?』

『残念でした。ぼくのお店に昨日来たのはアルトとあの怖いお姉さんだけなの。混ざるほど商品がなくて悪かったね』

 振られた鼻溜の皮肉加減は、もう閉口するほかなくなる。

『おま、商売すればするほど、性格悪くなってないか?』

『ふん。どんどん悪くなるよ、ぼく。そのうち、ぎゃふんっていわせてやるんだから。とにかくさ』

 それこそ冗談と、調子を改めたデミが身を正していた。

『基盤の中だったんだよ』

『何が?』

『未鑑定のモノ。両面のプリントはダミーでさ、中から見たこともない石みたいなものが出てきたんだ。昨日の夜みつけて、すぐに鑑定にとりかかったけれど分からないから値段がつけられなくて。分かればすぐ追加で振り込みできたんだけれど、今朝も方法を変えて調べてみたのにダメだった。だって光に当てると状態は変わらないのに性質だけが変化するんだ。そんなのあったかな?』

 吸い込むように聞き入るアルトの呼吸はその時、止まる。

『とにかくおじいちゃんに助けてもらうよう連絡をいれたとこ。今、ギルド本部のデータベースを手繰りながら、鑑定用のフォームをダウンロードしてる。アルトには鑑定の見落としがたあったってことだけ伝えておきたくて……』

『保留だッ』

 それこそ尻でも突かれたようにアルトは止まっていた息を吐き出す。

『へ?』

 モニターの向うでデミが目をパチクリさせていた。

『鑑定はいい。これ以上、その石のことは誰にも言うな。その石、お前が大事に持ってろ。誰にも渡すな。いいなッ、俺が帰るまで絶対だぞッ』

『な、何で?』

 まくしたてられ、たじろぎデミは切れ切れに鼻溜を潰して唸った。

『帰ったら、説明してやる』

 吐き捨てアルトはモニター前から立ち上がる。

 何しろそれこそ積乱雲鉱石だ。そして今、同乗している『レンデム』の女、ワソランの彼氏が見つけたモノに違いない。だがいちいち説明してやる気分になどなく、通信もそのままだ。足早にコクピットを後にする。

『ち、ちょっとどこいくの? 待ってよ。アルトはいつ帰ってくるのさ! ぼく、どうしたら……』

 つまるところモニター前にぽつり、デミは取り残されていた。

『ねぇ、そんなことしたらぼく、買い取った基盤の分だけ赤字じゃないか』

 途方にくれた鼻溜をしぼませる。

『……アルトの、バカ』

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