ACTion 16 『同じ恐怖』
放って勢いに任せだ。
アルトはワソランの消えた居住モジュールへと踏み込む。かすれた音でドアがスライドし、奥からそれは放たれていた。
『入ってこないで!』
ワソランだ。
浴びせられて一歩後退。
「……って、そこ俺の部屋だろうが」
完全たる気合い負けか。ドアはアルトの前で静々と閉まっていった。
気を取り直すとそれがどういう方法であるかは不明だが、ワソランをなるべく刺激しないようアルトは今一度、ドアをスライドさせる。無論、そんな小細工とは無関係に機械仕掛けのドアは開き、アルトは中をそっとのぞきこんだ。
迎撃してヒステリックな声が鼓膜を撃ち抜くことはない。ただ床にうずくまったワソランが、マットレスへ伏せていた。微動だにしない背に耐え忍ぶ雰囲気は、ひたすら漂う。
確認しながら、どうやら入室の許可が降りたらしいと、アルトはもとよりそれが目的だったといわんばかり、調理台へ足を繰り出して行った。電磁調理器脇にクリップで束ねていたパックペットをひとつ取り出し、キャップを外して蛇口へ差し込みコックをひねる。真空だったパックは見る間に水を吸い込んでゆき、あっという間に膨れ上がっていった。
水の動きが止まったところで再びパックを蛇口から引き抜く。
キャップをかぶせ、本体へ押し込んだ。
勢いでキャップに収納されていたストローはパックの中に落ち、改めキャップ上部を弾き開ける。落ちていたストローはそこから勢いよく飛び出していた。
チェイサーの船へ乗り込む前に済ませるハズだった段取りも、えらく前後したものである。乾いて焼けた全身へアルトは水を吸い上げた。それこそ溺れる寸前で口を離し、パックを背後の調理台へ置く。ひとつ大きく吐き出した息で、それでも続く沈黙を平たく眺めた。
持て余して台へ軽く腰を預ける。
そう、ここから先こそが本当の地雷原なのだ。
『よぅ』
ワソランへと呼びかけた。
『ヒトのミールパックは、食えるのか?』
当然とというべきか呼びかけられたワソランに返事はない。
動きもまた、だ。
待つこともなくアルトは身を反転させて、電熱コイルの一口コンロ隣、蛇口とは反対側に設置されたストック棚へ手をかける。
『とりあえず、メシだ。メシ』
歌うように繰り返した。
『ハラ減ってると、ロクな考えが浮かばないからな』
まるで書籍が並んでいるかのようなパックの背を、指と目で追ってゆく。
『あった、ソイスープ。俺はこいつだな。そっちは何がハラに合うのかわからねーから、粥にでもしとくか?』
『今頃きっと、転売されてるんでしょ』
と、ようやくの声は聞えてくる。
『手も足も、臓器もみんな……』
だがそれは問いに対する返答ではない。
アルトは手を止め、ただ苦い顔で振り返る。
『あとかたもなく、バラバラ』
確かにあのチェイサーが言いかけていたのは、そんなくだりだ。そしておそらく売り物を狩っていた船賊が乗組員まで連れ出したというのなら、一般的な成り行きはその辺りが妥当となる。
アルトは黙って取り出した二つのミールパックを水と並べた。答える前に今一度、体ごとワソランへ向き直ってやる。再び調理台へ寄りかかると両の腕を体の前で絡ませ組んだ。
もはや歌うようになど話せない。
『先に知らせておいてやるよ』
言う。
『あんたの彼氏があのチェイサーと見つけた石だ。あったぜ』
聞いたワソランの頭が不意に、しかしながらゆっくりと持ち上がっていった。
『どうやら俺の回収したブツの中に紛れ込んでいたらしい。さっき連絡が入ったところだ』
しかしながら相変わらず背を向けたままのワソランから、表情の一切を見て取ることはできなかった。ただ覇気のない首筋は虚空を睨み、一言一句を漏らさず聞き取ろうとしてか、緊張を放っている。
『あのギルド店舗だ。誰にも渡すなと言っておいた。形見に……』
言いかけて言葉を切った。
『形見に、このまま持って帰りな。どう転んでもあれはあんたのモノだ』
だが『ips』で聞いた通り、彼女にとって石は全ての元凶ですらあれ、どれほどの価値があろうとも待ち望んでいたそれそのものではない。そして持ち帰ることを承諾すれば、同時に彼の「死」を認めたことにもなる。ワソランがそうやすやすと答えて返すことはなかった。
やがて石のようだったワソランの背は、アルトの視界の中で壁に描かれた風景かと薄っぺらにかすんでゆく。呼び戻して仕方なく、いや、その表現が妥当であるかどうかは定かでないが、アルトは再び口を開いていた。
『それとも、まだ本当にあんたの彼氏は転売されちまったのか、確かめたわけでもないんだぜ』
それはイチかバチかの賭けだ。
『一般的な流れで言えばそうなるって、曖昧なハナシをしただけにすぎない』
イルサリと会話を交わしながら宙を見上げてぼんやり考えていたことは、つまりこのことになる。
『本当にそうなのか確かめてみる、って手もある』
言い切れば、間はあいていた。
経てネジを巻き上げるようにワソランの背が、アルトへと振り返る。あれほど鋭く威圧的だった両目は腫れ、打たれた子供のように怯えてチラリ、アルトをとらえてみせた。
『どちらに決めるかは、あんた次第だ。ワソラン』
その奥にあるはずの、あの強気な瞳を捜して問いかける。
だが息を吹き返すどころか量の目は、逃げてマットレスへ落とされる。
即答などできやしないなら、アルトは煮詰まりつつある空気を冷まして身を翻した。
『まぁ、食ってからでも全然かまわねぇハナシだ』
中途半端に放り出していた、ミールパックの温めに取り掛かる。
『ビル~の、ハイウェイに、ガオ~。夜の街に、ガオ~』
飛び出す歌は、いつぞや同じ場所で二十八番のミールパックを温めていたネオンが口にしていたアレだ。だがアルトはその二小節しか覚えていない。だからして恥ずかしげもなくひたすらに、同じフレーズを繰り返してパックの二箇所へ穴を開けた。二つまとめて電磁調理器へ放り込む。
のぞき込んでいれば、チンと音が鳴るその前だ。ワソランの声は背へ投げかけられていた。
『確かめるって……、どうやって?』
『船賊に、まんざらでもない知り合いがいる』
歌の続きのように言ってやる。
聞いたワソランの面持ちが険しさを増したことは言うまでもない。
『船賊つったって、星の数ほどいる。あいつらは信用できるぜ。そいつらの手をちょいと借りるのさ』
電磁調理器が実に軽薄な音を立てる。ミールパックはその中で、空けた穴から美味そうな湯気をあげていた。つまんで取り出し、アルトは大急ぎで傍らの丸テーブルへ運ぶ。
『アッチ、ってぇっち』
相変わらず据付の悪いテーブルは傾いだままだ。
意味不明の声と共に封を切れば、とたん濃厚な食べ物の匂いは解き放たれて閉ざされた空間を満たしていった。
『なんでもいいから、ハラ、入れとけ。でないと頭に血もまわんねーぞ』
『いらない』
『そりゃ、レンデム用のミールパックはないけどな。贅沢言うなよ。勝手に乗り込んできたのはそっちの方だ』
と、横目にアルトを捉えていたワソランの視線は再び、マットレスに乗せられた自らの拳へ落とされる。
『あなたらな。どうする?』
ボソリ、吐き出した。
『あ?』
先だっての揺れであらぬ方向へ転がっていた三つ足の椅子を引き寄せアルトは、腰を落とす。濃い茶色の液体の中でゆったり渦巻く具に両手を合わせてから、振り向いた。
『あなたなら、どちらにするか聞かせて。何者にも代えられない大事なひとの行く末を、それが最悪を孕んでいると知っていても自ら進んで確かめられる? 別の可能性をその間際まで信じられる? 万が一、耐えられない結末を突きつけられたとして後悔せずに、いられる?』
話せば話すほどに芯を取り戻してゆくワソランの声は、次第に本来の姿へ戻りつつあった。
『そう、言ってたわね、ipsって店で。現実はそれっぽっちの情念で曲がりはしない。曲げようとするわたしは、たいそうなご身分だとも。違うわ。あなたにはその怖さが分からないだけなのよ。これまでたった一人だって、あなたにそんなヒトは存在しなかった。失くして恐怖を覚える誰かなんて、別世界のあなたには存在しなかったからよ』
否や、握りしめた拳でワソランは、力任せと分厚いまぶたをこする。そうして無理やりにでもこじ開け精一杯にアルトを睨みつけた。
『おい、ヒトを冷血漢扱いってのは、過ぎるんじゃねぇか。証拠に、ここへくるのに譲歩したのは俺だぜ。それに俺にも……、』
なくして恐怖を覚える誰かはちゃんと存在する。
確かに言いかけていた。
だからこそ、言葉を飲み込む。
瞬間、そんなアルトの脳裏を、つい先ほどまで爪の先にも思い出すことのなかった顔は横切っていた。だというのにまるで出番を待っていたかのようにネオンはそこで笑っている。
思えばあの時、アルトの中に渦巻いていたのはその恐怖、それだけだったろう。自らの消滅にさえつながるものだと、尋常な感覚さえ麻痺さえさせる恐怖だった。だからこそあれほど大胆な行為に打って出ることができ、最後まであがらい続けることができたのだと思えている。しかしそれが今、投げかけられたワソランの問いへの答えとして浮かんだのなら、その恐怖の引き金を引いたものは、ほかでもない。
新たな言語の習得は、新たな概念の獲得だろう。
耳慣れたが肌慣れぬ、それは言葉だった。
いや、だからこそ、これはちょっとした言葉遊びだと、アルトは飲み込んだままの息を吐き出し我を取り戻す。
途切れた言葉の先をつむぎ出していった。
『何と思おうが勝手さ。だが、俺なら確かめにいくね。相手を失うのは自分だけじゃない。お互い様さ。なら、同じ恐怖を味わうのも悪くない。その事実から、てめぇだけが逃げおおせようってのは性に合わないね』
突き出した首でソイスープへと口をつける。
『冷めちまった』
見つめるワソランの唇が何かを言わんと開いて止まった。
前でアルトはただ残念そうに眉をひそめる。
向かって猛然と立ち上がったのはワソランだった。歩み寄ると乱暴な仕草でテーブルと対の椅子を引き出し、わずかに湯気を上げる白い流動食とやおら対峙してみせる。
『なら、わたしも最後まで闘うことにする』
容器から付属のスプーンを剥ぎ取る仕草には、決意が込められていた。ままにすくい上げた真っ白な流動体をひと思いと口の中へ押し込む。
が、次の瞬間にも後悔するように、スプーンはゆるゆる抜き出されていった。食むこともなく口をすぼめたワソランの表情は、今にも泣き出しそうな苦悶のソレだ。
ままにアルトへ訴える。
『なにこれ。マッ、ズい』
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