ACTion 11 『tumbling!』
「……け、けもじ、ワリぃ」
気持ちよく空を飛んでいたハズだった。
あらゆる意味で空を飛ぶことは別段、珍しくない体験だったが、あれほど心地よく飛んだのは初めてではなかろうか。思うまま風を切る疾走感はアルトの胸を、そのとき子供がごとく躍らせて止まなかった。
ところが胃の腑が縮み上がるほどの底なしの落下を経て案の定、目は覚める。
現実とのつじつまを合わせるにそれは必要不可欠な要素だったらしく、縮み上がったみぞおちは昨夜のアルコールを染み込ませ汚泥がごとく溶けていたし、開いたまぶたにこめかみもまたきしむと、ユラリ視界を歪ませていた。
つまるところ、二日酔いだ。
「光速、出口まで百八十セコンド」
そんな不快の欠片も知らぬだろうイルサリが教えていた。
居座るコクピットはすでに気密が解かれ、衝撃なき墜落の果てからどうにかアルトは重い頭を持ち上げてゆく。
「もう、ついちまったのかよ」
アクリルドームの視界両脇では光速突入時と同様のカウントダウンが、出口回避可能エリア突破までを示してすでに回転を始めていた。睨みつけ、眠気と残る酔いで二重に緩みきった顔を代謝分、伸びたひげごとともかく拭う。
そんな動作の一つ一つが、いつもの数十倍、億劫でならない。
持ち上げてオートパイロットのスイッチを切った。
やおらフットペダルへ重みは戻り、計器類へ微震が走るのを確認する。
「加減すりゃ、良かった」
形ばかりとスロットルへ手を添えた。だが後悔先に立たずとはこのことで、寄りかかるや否や、えづく。
「出口まで、百二十セコンド」
無論、イルサリが慰めるはずもない。
置いてゆかれまいと、アルトは今にも閉じそうなまぶたをこじあけた。万が一が起こりかねない高速への出入りだけはオートパイロット任せとはいかない。辛うじて正面へとアゴを持ち上げる。
なら透けはじめたアクリルドームの向こうでストライプ模様は、ポツリポツリと途切れだした。そうして広がりゆく切れ目の黒い影に向かい、船は突き進んでゆく。
「第一緩衝ネット、突入」
潜り抜けたところで衝撃らしい衝撃はない。
「第二緩衝ネット、突入」
さらにもう一枚、突き抜ければ光がさらに細かく分断されていた。三枚目を抜ける頃には点へと姿を変え、光速へ突入した当初よろしく雨がごとくアクリルドームを叩き出す。その向こうに光速の出口はのぞいた。
確認して、アルトは無理から座席へ背中を押し付ける。
「光速出口。五、四、三……」
こみ上げる何かを飲み込みつつ、読み上げるイルサリの声に耳を傾けた。
従い視界で雨粒は今や霧とけぶっている。
果てに、音もなく霧は晴れた。
無事、光速から船は抜け出す。
証拠に、瞬きを忘れ張り付く星々が周囲に、遠近感を失い所狭しと散らばっていた。
ハズだった。
何しろ船は激しい揺れに襲われている。
突き上げられて船体が、光速を降りるなり跳ねて飛び上がっていた。衝撃にどこぞに転がっていた酒瓶は派手な音を立ててコクピット内を転び、聞きながら反射的にアルトはフットペダルを蹴り上げる。
「なッ」
傾いだ船体の鼻先を修正した。
「どうしたッ?」
イルサリを怒鳴りつける。
「ガスです! 父上」
アクリルドームでナビもまた光速を抜け出すと同時に、狂った磁石がごとく向かうべき対象座標を見失い意味不明な他船軌道を投げ落としている。重なり警報がヒステリックに鳴り響き、紛れイルサリが返してた。その声は、それら光景が錯覚させているだけなのか、いつになく感情的にさえ聞こえる。
「爆発後のガス拡散スピードが計算を上回っていました。現在、その末端に突入した模様!」
間にも、舳先はまたもや見えぬ何かにブチ当り弾き飛ばされる。無論、見えぬ何かこそが積乱雲、つまるところ壁と立ち塞がるガスのムラで間違いなく、時折、気相成長で付着したFeの残りカスへも、プラズマ放電、閃光さえもが走った。
「出口がもう、末端かよッ」
こうなれば危険とみてとったなら引き返すも何もあったものではない。
「クソッ」
酔いも一気に醒めるというものだ。吐き捨てアルトは激震の中、シートベルトを手早くその身へ巻きつけていった。
「ナビが役に立たねぇ。お前、目的地はロックできてるかッ?」
イルサリへ確認する。
「精度に不安アリ、しかしながら外部から補足可」
事態を考慮したイルサリの答えは実に手短だ。察してこうも付け加える。
「衛星、アクセス。障壁回避ルート確保。父上、ここからの舵はわたしが取ります」
またもや左舷が弾かれていた。軋み、流されるままに、ふたひねりする船体はもう、きりもみ状態に近い。ゆえにかかる負荷のせいだ。単調だった動力音にも、聞き慣れぬうねりが混じった。千切れ飛びそうな後付カーゴモジュールもまた、後方で怪しげな悲鳴をあげている。
「冗談ッ」
流されるまま跳ねて、なるべく優しくスロットルを傾けアルトは、どうにか船へ安定を取り戻させる。
「お前もいつ落ちるかわかんねーだろうがッ。任せられるかッ。俺の反応速度は知ってるだろ。言えッ。俺が飛ばすッ」
と足元で、ガスの一撃を食らった船体が鈍い音を鳴り響かせた。積乱雲の中を飛ぶなどこれが初体験なのだから、この先、船体がもつかどうかなど分かりはしない。『な、何なの!』
揺れと轟音のせいで叩き起こされたらしい。そんなコクピットへ、ワソランの声は飛び込んできた。上着を身に着けているかどうかを確認するヒマに余裕は、今のアルトにこそない。
『キャッ』
説明する間もなくまた船体は激しく揺れ、振り落とされそうになったワソランが階段の手すりにしがみついた。さらに、どこからともなく飛び込んできた酒瓶を、キャッチする。
『掴まれッ。ちょいと踊るぞッ』
目もくれず、アルトは声を張った。ともかく目にも耳にもうるさいナビを切る。
『おどるって?』
そうして始まったのは、イルサリの口頭ナビだ。
従い、四肢を切り返し続ければ、なぶられるようだった衝撃こそ気配を潜め、ガスを切り裂く船体の軋みだけが不気味と辺りを制した。
積乱雲から放たれまといつくプラズマの中を、それでいてアルトの船は派手に舳先を振ってもんどりうちながら、踊るにふさわしい小気味よさで突き進んでゆく。
立て込むイルサリのリクエストに、焦り足元の踏み込みが甘くなったなら、厚いガスに弾かれ思い出したように進路を乱した。
「出力不足」
「失敬ッ」
いかんせん万全とは言い難い体調だ。背後でワソランの悲鳴は上がり、途切れかけていた集中力諸共、アルトは船体をたて直しにかかる。
計器たちが、そんなアルトを応援するかのように小刻みに揺れていた。
と、そこでイルサリの口頭ナビは切れる。
「父上、誤差が〇.〇〇一パーセント以内であれば、目標は視界の中のハズです。取り急ぎ肉眼での確認をお願い致します」
それがガスのせいなのかどうかは判然としない。だが視界はかすみ、見づらいからこそアルトは指示されるままアクリルドームの右から左、上から下へと頭を振った。
様子に到着したのだと気づいたワソランも、しがみついていた階段から駆け寄りアルトの納まる座席を掴んで懸命に探しだす。
しばし二人の視線は迷走した。
と、その彼方でひと筋の放電は起こる。
吸い寄せられて爆ぜった先に、やおら機影は浮かんでいた。
『あれ!』
気づいたワソランが指さす。
アクリルドームすれすれだった。アルトの膝頭に隠れそうな位置に確かと影はある。
見据えてアルトはスロットルを倒していった。指し示された位置を、視界のど真ん中へ据え直してゆく。やがてそこに中型船は姿を表していた。トラのバンプと同じクルーザータイプの船は、二人の目の前に浮かび上がる。間違いなしとその船側には、船賊たちの残して行ったスワッピングマニュピレーターの爪痕もまた紛れもなく刻み込まれていた。
とたんアルトの口から安堵に近い息はもれ出す。
『あれなの?』
『そうだ』
奇跡の生還にはまだ道程も半ばだったが、問うて食い入るように見つめるワソランを傍らにうなずき返した。同時に、気合と競り合っていた気持ち悪さが胸の奥底へ舞い戻ってきたのは気のせいか。おかげで緩慢になりがちな動作へ鞭を入れ、幾度となく進行方向とは逆に噴射をかけながら推力を落としつつ、最初、乗り込んだ位置へと船を近づけてゆく。
「ありましたか? 父上」
仕事の出来を気にするイルサリが確かめていた。
誤差〇.〇〇一パーセントとはいえ、この広大な宇宙の中でこの程度のズレならば上出来だ。
「ああ、間違いない」
見えはしないと分かっていても、アルトはここでもうなずき返していた。
「さすが、連邦の軍事衛星です」
どうやら情報元はそこらしい。
「まだそこに入れるのかよ、お前」
呆れて唇を尖らせる。
「はい、連邦船ビアンカの制圧中に、コードを知りましたので」
「ウロウロして、また奴らにスカウトされるな」
それこそがホンネだろう。
「まさか、父上との約束を売るようなマネは、いたしません」
手短に投げ合えば、その間にもアルトの船は目的のクルーザー船にピタリ、並び終えていた。停泊してしまえばさして揺れや衝撃が襲うことはないらしい。時折発生するプラズマが火花を散らす程度、穏やかとなる。
自らの目が窪んでいることを自覚しつつ、スロットルから手を離すと首を捻った。再び軽くえづいてシートベルトを解き、アルトは座席から腰を上げる。
「水でハラ、膨らませてから乗船する」
イルサリへ言い放つとワソランへも振り返った。
いや、振り返ったつもりだった。
が、幾分前にもこのパターンを食らったように、そこに彼女の姿はない。代わりに背後からイルサリの声がアルトを呼び止める。
「父上、ただ今、手動で気密カーテンが稼動中です。乗船先の船の環境確認を急ぎますか?」
「な、なにぃ?」
声も裏返ってしかりだ。
間違いない。ワソランの仕業だ。
過るや否や、座席の背に貼り付けていたスタンエアをもぎ取っていた。ついでに作業着のポケットへ通信機もまた落とし込む。
「大至急頼むッ」
どうやら水をどうする間もないらしい。
「お嬢は、段取りってもんを知らねぇのかよッ」
慌てふためき連結部のある船底へと、コクピットを駆け降りていった。
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