ACTion 10 『風化するものとしての記憶』

『ねえ、どれがいいと思う?』

 ネオンの声は真剣そのものだ。

 近頃、出かける前のネオンはいつもこうである。時間がかかって仕方ない。今日もまたその例外でないらしく、トラはこのために購入した極Y民族特有の身振り手振りによる言語、通称『動話』の翻訳機、プラットボードを肩に掛けながら『テラタン』種族独特のシワに埋もれた口を開いていた。

『どれでも同じだ。ネオンなら、よく似合っている』

 振り向きもせず、鏡の前でとっかえひっかえ、赤、青、黄、緑、ドット、ストライプ、花柄、無地、アニマル、型押し、ビビット、パステル、モノトーンと次から次にあてがうネオンの横顔は今も変わらずトラには眩しい。

 ここは惑星『Op1』の『サリペックス』開拓地域。臓器転売の危機から救ってくれた恩義と、その理由である有り余る好意への報いとしてネオンとの同居が決定したことにより、トラが新たに構えたギルド店舗一角だ。そこは二メートル余りの巨体をこすりつけながら過ごした小さな『デフ6』仕立てのあのビルとは打って変わると、同等のスケールを持った新居にほかならなかった。

 造りは『サリペックス』種族文化独特の平屋で、傍らに愛船の『バンプ』を停泊させるスペースさえある。持て余すほどの部屋数はサスとネオンの勧めで決断した対面式の事務所と、個々の部屋、そして互いの共有スペースに使い分けられていた。

 同居することになったとはいえ、法的に何らかの手続きを経たワケでもないその関係は、傍目からすれば微妙そのものでしかない。だが嘘だった借金に、明かされて気後れしていたトラの本心さえ続く暮らしに程よく埋め合わされていったなら、日々は当事者たちにとってごく一般的な家族のそれにおさまりつつあった。たとえ表面上だとしても、平凡でつつがない毎日はそれ相応に訪れていたのだった。

『適当なこと言わないでよね。ビシッとキメて行きたいんだから。気持ちが入らなきゃ、仕事にひびくでしょ』

 言ってまたもやネオンは、あてがったばかりのフレンチスリーブのシャツを投げ捨てる。

 吐き出すため息にトラのシワはさらにだらしなく垂れ下がると、ネオンの楽器、サクソフォンが収められたケースをトラは抱え上げる。

『ならば、よく選んで決めてくれ。わしは先にバンプへ上がっているぞ』

 惑星『Op1』に戻って以来、大好物であり『テラタン』の郷土菓子であるところのエスパを含む食の制限で幾分軽くなった体のシワを弾ませながら部屋を後にしたた。

 そう、これより向かうのはテンたちの船。極Y船賊の元だ。土壇場の中、『ラボF7』の奥深くから船賊のボス、テンがネオンの楽器を取り戻したことにより交わした謝礼代わりの演奏の約束は、その後も好評につきこうして続けられている。しかもここ数回の動向では興行化の兆しさえ感じさせるほどの盛り上がりを見せており、単一種族集団であるはずの船賊たちの中には、他種族の姿がチラホラと混じってもいた。

 もちろん理由のひとつに文化的に稀有となったアナログ楽器の音色が持つ本来の魅力が、それを演奏するためだけに備え造られたネオンの脳と、そこ組み込まれた演奏スタイル、つまるところかつてアナログ楽器同様、全宇宙初の共通話題となった伝説的ダンサー、トニックの動話が関係していることは大きい。合わせて、しなやかさと美しさで目を惹くテンが動話をつづれば、がぜん見るものを釘付けにする華々しさがトニックの再来さえ予感させていたのだった。

 結局のところ彼ら極Y種族が船賊になりさがってしまったのは、現在の連邦を構成することとなった優勢二十三種が、トニックをはじめとする動話の影響力を恐れたことにある。おかげで現公用語、造語の普及は始まると、音声言語を持たぬ彼らは社会や経済活動から迫害された。そんな彼らが賊活動以外の何らかで生計をたてられるのならそれにこしたことはなく、いや、密かにそう転じはしないかと期待しての演奏会でもあった。

 だからしてどれほどスケジュールがタイトであろうと、ネオンはテンからの依頼を断ったことがない。回を重ねるごとに旅費の一部を負担させろという彼らの申し出さえ断ると、無償での演奏を続けていた。その末に、彼らが賊の身分を捨てることができたなら言うこはなく、願いがかなったその時こそ本当の意味で礼を尽くせたのではないか。ネオンはそう考えてもいる。

 ただ問題は、このイベントが活性化するにつれ再び連邦に目をつけられるような事態へ発展してしまうことだ。いくら稼げる可能性はあれど、それでは元の木阿弥でしかない。だからしてこの演奏会が成功すればするほど、地下活動を強いられるのも避けられない運命となりつつあった。

 果てにネオンは全体に細かいプリーツが施された、ノースリーブでベージュ色をしたシャツブラウスを選び出す。着替え、頬の高さで襟の代わりに付けられたボウを大きく結び、鏡の中の自らへ笑いかけた。

 足元は変わらず愛用のハイヒールだ。

 鳴らして『バンプ』へ駆け出す。

 段取りはいつも通りだ。乗り込んだ『バンプ』で惑星『カウンスラー』へ向かったあと、出迎えに来たテンたち船賊の船に乗り換え、最初、ネオンが楽器を鳴らしたことで騒動となったあの船の、多層構造の船を切り取るように設えられた吹き抜けのカーゴスペースへ向かう。

 無限反響音窟が有名な観光地『カウンスラー』を待ち合わせ場所に選んだのは、双方共によく知る場所であったうえ、観光地という土地柄、あらゆる種族が乱れて行き交うことから、極Y船賊であろうとも紛れ込むことは容易だと見込んでのことだった。旅費の負担を断ったことで、せめて迎えに行きたいという彼らの要望にも応えたかたちとなっている。

 ただ最初、追い回された挙句、連邦の『F7』へその身柄を引き渡されることとなったこの地にネオンは良い印象を持つことができずにいた。だがそれも今ではこの新たなイベントに記憶は刷新され、訪れる度に待ち受ける船賊たちの歓喜に薄まり、息をひそめつつある。

 ただ時折、過ぎることがあるとするなら「今、ここ」という己の始まりを共にしたアルトの面影を、音窟入り口のいかついレリーフに思い起こすのみだ。

 そんなアルトとは『アーツェ』の砂漠港で別れて以来、互いの生活の忙しさとケタ外れた移動距離に阻まれ、ろくに顔も合せていない。もちろんネオンの記憶の始まりはいまだつながらぬ断片的な記憶の中のアルトに、『ラボF7』にいたセフポドに集約されていたが、おかげで『アーツェ』以来、更新されることのなくなったその存在もまた思い起こすにも風化の一途を辿っているような具合だった。薄れゆくラボの記憶同様、抽象的なものへすりかわると、必要だが決して実体を現すことのないおぼろげな影へ変化しつつあった。

 そう、アルトを思い起こすといったところでそれは曖昧なイメージに過ぎず、まるで御伽噺の登場人物か何かのようにさえ感じるほどに。

 恐らく次に本人と会うことがあったなのら、ネオンは目の前にしたアルトをまるで見知らぬ誰かのように、初めて出くわした誰かのように感じ取るだろうと今では予感している。それは、それほどまでに離れ、互いに互いの時間を積み上げると個の輪郭を明瞭化させた証で間違いなかった。だからこそ予感は、少しばかり恐ろしくもあり、誇らしくも感じられていた。

『どうした? 何を考えておる?』

 と、トラが振り返る。

 ネオンはそうして初めて、自分が物思いに耽っていることに気づかされていた。

『うん、なんでもない』

 他意なく答える。

 指定の時間より少しばかり早く到着した惑星『カウンスラー』最大の音窟、『エピ』前は、まだ早朝に値する時間帯だ。閑散とした音窟前広場には昼間、あれほどほどこしを求めてさすらっていた浮浪者たちの姿もほとんどない。ロータリーで暇を持て余す観光客待ちのトライクルや始発バスが、舞い上がる砂塵にかすみながらも安穏とした列を作り上げ、後数百セコンドもすれば襲い来る客たちを今やおそしと待ち構えているだけだった。

『少し早すぎたかもしれんな』

 ネオンの楽器ケースを手に、プラットボードを肩へ掛けなおしたトラが、そんな辺りを見回しこぼす。

『光速がすいてたから』

 ネオンも続けて口を開いた。

『この間、デミ坊の店へ、つまらんブツを借金のカタに置いていったらしいぞ』

 トラは教え、ネオンはそれに考えるまでもなく答えて返す。

『変わらないね』

 そしてハタと我に返っていた。伏せられた主語は、連想ゲームへの誘いだ。

『違うってば』

 カマをかけるなんてひどい。ネオンは尖らせた口で勢いよくトラへ顔を上げる。何しろアルトの話を出してトラがいい顔をしたためしはこれまで一度もなく、追及されて説明するにはあまりにも曖昧で億劫だった。ならそこでいつもをなぞり、トラは幾重にも重なる深いシワを歪め、ダミ声を低くする。

『もう、それごときで、わしはスネたりせん』

 もちろんそれだけで十分にスネているのだが、指摘することもまた話をややこしくするだけで、ネオンは話の腰を折られたような気持ちのまま不満顔で押し黙った。見上げていた視線をトラから引き剥がし、正面へ向きなおる。

『だって、仕方ないじゃない』

 黙っておれず、負けじとスネた口調を放ってみせた。

『だけどアルトを思い出してるのとは違うんだから。だって、あのラボでの記憶も、わたしがそこでアルトって呼ばれていた頃の記憶も、もう全てがひとつにくっついちゃって、なんだろ……。そうよ、トラがエスパを好きなような、そんな懐かしい感じのものになってるんだもの。そういう懐かしさが時々、わたしを振り返らせるだけなの。気にするほどのことじゃないわ。この、やきもちやき』

 あれほど苦手だったこの造語も、今では第一言語並みの巧みさだ。気づけば『ヒト』語を話せるハズのトラへもこうして造語を投げつける。だからして最善を尽くせたはずだと、ネオンはトラの反応を待った。だが相も変わらず、こういう場面でのトラの返事には明瞭さの欠片もない。

『……うむ』

『あたしが文句をいうなら、トラ』

 たまらず切り出したこの話も、もう一度や二度ではないはずだった。

『もう少し自信、持ってよ。でないと、わたしはがっかりしちゃう。トラのためにもなってないよ』

『うむ……』

 と、動き出したトライクルの向うから、開放的な観光地に似つかわしくない重装備の影は現れる。特徴的な四本ある腕のうち、下二本を覆い隠す外套を羽織った極Y船賊たちだ。ものかげもまばらなここで、彼らはすぐに待ちぼうけるネオンとトラを見つけたらしい。外套を翻すと、周囲の目をはばかることなく四本の腕を陽気に振ってみせた。

 手厳しく呟いたネオンの頬に、とたん応える笑みは浮かびあがる。同等に振り返すには足りない二本腕で彼ら以上、派手に手を振った。

 どうやら迎えに来てくれたのは直接ネオンへ楽器を手渡してくれた船賊のボス、テンと、『ラボF7』で負傷していた部下のメジャーらしい。

 ダイラタンシーベレットという固形物ではない弾を食らったため回復に手間取っていたメジャーも、今ではすっかり元気だ。船賊とは思えぬ柔和な笑みがネオンを温かく迎え入れ、だからしてネオンもまた相手が船賊だということを忘れて駆け出していた。受け止めるべくその先では、まるで旧知の友と再会するかのようなテンも出会い頭の抱擁に有り余る両手を広げ待っている。

 依然、テンたち船賊は身体の構造上、音声言語を操ることはできない。そしてネオンは動話を理解できない。だが互いが互いの近況を十分過ぎるほど理解するに何の支障もありはしなかった。

 これまた不思議なことだが、慣れてしまえばコミュニケーションとはそんなモノで、言葉が指し示す範囲などたかが知れているにだろう。それは音を操るネオンにとってなんら違和感のない事実であり、そうして言葉ではない挨拶を存分に済ませたころようやくトラもまた場へ加わる。

 興奮気味のテンが船の位置を指し示していた。

 向かって一行は歩き始める。

 惑星『カウンスラー』の日は頭上で、まだ昇ったばかりの眩さを放つと全てを平たく照らし出していた。

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