ACTion 09 『傷』
『酔ってるからだ。違いねぇ』
昼間、あれほど上るに難儀したビルの外付け階段も説得するには短すぎたらしい。気づけばアルトとワソランは屋上へと出ていた。
闇に塗り固められた『Op1』の夜空には遠近感がなく、そこに時折、隕石なのか宇宙ゴミなのか、擦り付けたマッチよろしく赤く尾を引いて消え去るショーは繰り返されている。
頭上にアルトは、スクータ船のハッチを背に立ち塞がった。
『酒グセわるいぞ……、頭、冷やせ』
スケールの小さな『デフ6』開拓地域は隣家が密接しているのだ。寝静まった周囲に声を潜めた。
『わたしが酔ってるように見えるあなたの方が、酔ってるだけだわ!』
気遣いを努力を無に帰してワソランが、むっと膨らませた頬で吐き返す。
『声がデカいっ……。今、何時だと思ってんだよ』
慌てふためき立てた人差し指でアルトは口元を封してみせ、急ぎ盗人がごとく辺りを見回した。ままにこれ以上はご免だ、と背を向けたなら、ハッチのカードキーを尻ポケットに探して指を突っ込む。
『とにかく、ここで待ってろ。座標をコピーしてきてやる』
『いいえ、待てないと言ったわ。その船に本当に彼が乗っていたとして船賊が絡んでいるというなら、彼の身が心配よ。手遅れになれば意味がない』
『だが今すぐは到底ムリだ。あんたも知っているだろう。船はハイパーノヴァに巻き込まれた直後だぞ』
そうしてようやく抜き出したキーをアルトは、ハッチのスリットへ差し込んだ。ほどなく光粒子の循環は途切れ、すべらかだった船体から浮き上がったハッチをアルトはひと思いに跳ね上げる。背にそのとき、地を這うようなワソランの声は投げかけられていた。
『なら、いくらなら……、いいの?』
響きがアルトの脳裏へ昼間の透けるような薄い稼ぎを過らせる。
『誤解しないで。危険は承知よ。タダでなんて都合のいいことは考えていない』
いや、節操がないといわれようと、一GKたりとも喉から手が出るほど欲しい今日この頃なのだ。気づけば動きを止めてた背は、ワソランへ捻じれた後となっていた。
そうしてあの鋭い眼差しと見つめ合うことしばし。その数秒でアルトは素早く慣れた航行の経費を計算すると、見合うだけの危険手当と、余裕ある家系の懐具合に合わせたイロもまた上乗せしてみせた。なら次の瞬間にも提示すべく額は口を突いて出そうになり、寸前のところでどうにか押し留まる。
『じ、冗談じゃない。金で動けるハナシか』
万が一を想定すれば積乱雲チェイサーの真似事などと、金で済むような話ではないのだ。
『なら、何ならいいの? 何だって用意してみせるわ』
だがワソランは言い切ってみせる。
『……何、だって?』
『ええ。あなたが望むなら何でも。うちの影響力を見くびらないで欲しいわ』
突き付けられてむしろ皮肉な笑みしか浮かばなくなっていた。
『よく言うぜ。俺はあんたのオヤジにたかってるつもりはねぇ』
『いいえ。用意するのは、わたしよ』
『駐禁の罰金も払えねぇクセに』
『時間はお金で買えないだけ』
『どれだけ高くつくか、後で泣きをみるのはそっちだぞ』
ならば、とアルトも目を細める。
『なら、泣かせてみせたらどうなの。いいこと?』
聞かない脅しに返された言葉はこうだ。
『今すぐわたしを船まで連れていきなさい』
しゃくるアゴにむかっ腹はこみあげていた。おかげで会話もそれきり詰まり、ままに睨み合えばやがて覚えたアホらしさに、間もなくのぼっていた血もアルトの中で冷め始める。
何しろ相手はただの酔っ払いだった。まともに付き合う方がどうかしており、だからしてこの手の輩を納得させるためにも仰せのとおりに動いてやるか、とさえ思い過らせる。そう、危ないと判断したならば引き返せばいいだけのことで、そうして一度、ご希望通りと現地へ赴けばワソランも納得するはずだった。そうして大金は懐へ転がり込み、なるほど、これほど旨い仕事もないと思いさえする。
『もういいッ』
アルトは大きく振りかぶった。
『現地までの往復燃料代と一人分の環境維持費。光速代に新しい塗膜セット二つ。それが必要経費最低分。危険手当は時価だ』
並べ立てて船へ乗り込む。
『当然だわ』
背へ、感謝の声どころかたった一言は返されて、おっつけワソランと共にコクピットへとスチール階段を上がっていった。
その先に現れたコクピットは直径三メートルあまりのアクリルドームを傘にした半球型だ。背後にワソランの気配を感じつつ、アルトは中央、オーダーメイドの操縦席に腰を降ろし、すっかり落ちている動力の立ち上げに取り掛かる。
『こんな夜中に飛んで、苦情がでねぇだろうな』
スロットル左側のコンソールを弾きつつ心配するのはその辺りでしかなく、取り囲むようにして並ぶ計器類が淡いオレンジの光を灯して息を吹き返していったなら、風切り音にも似た独特の響きと振動でもってして稼働を始めた船の感触を全身で感じ取っていった。
『スクータ船程度なら、許してくれるわ』
ワソランは言うが、それはとんだ見当違いというほかないだろう。
『あいにくスペックはそこいらの大型船程度、あってね。どうする?』
そうちんたら飛んでばかりいれば、いつまでたってもおまんまにありつくことができず、アルトはワソランへ投げかけた。
『客人用の座席はないぜ。ここで踏ん張るか、奥のカーゴで抗Gネットに吊られるか?』
早くもオールグリーンとなった計器類は、落とされた照明の代わりにコクピットを明々と照らし出し、臨戦体制さながらそれぞれの値を示している。見回して両足のフットペダルを踏み込み確かめ、続けさま操縦席を背負い込むようにアルトは四点式のシートベルトもまた締めあげていった。
『ここで結構』
その音を聞きながら返すワソランは実に淡泊だ。
『なら、行くぞ』
それこそ大型船舶以上なら設備の整った港からしか出航できないところだが、これぞ庭先からでも飛び立てるスクータ船の利点だろう。
アルトはヒザ下のスターターを力任せと押し込んだ。続いていた風切音に重なり、やおら重低音がコクピットを覆ってゆく。同時にアクリルドームへナビ映像のホロスクリーンは半透明の膜と広がって、そこに左舷、右舷、そして船尾の画像は展開されていった。
いよいよと、ワソランがドーム天井へ手を突っ張り身構える。
とはいえそれはかつて崩壊寸前のコロニー『フェイオン』から抜け出した時に比べ、ゆりかごかと見まごうばかりの離陸だ。アルトは静かにスロットルを倒していった。
従い船体は周囲のどこに触れるでもなく屋上から浮かび上がってゆく。
すぐにも町並を足元へ押しやると、一気に高度を上げていった。
法定高度に達するまで百セコンドあまり。
両足のフットペダルで機体を安定させつつコンソールを弾き、船脚を格納。ナビ映像を船側から航路へ切り替え、浮かび上がった他船の予想軌道を遮らぬように注意しながらさらに高度を上げてゆく。
従い、暗い空にそれまでなかった深さは加わっていった。
そこへ大気圏突破角度と侵入上限速度がチューブ状のグラフィックとなり、表示される。
誘われるままアルトは夜空の向こうへと船を進入させていった。
揺れはごく小さく。先だっての超新星爆発でこびりついた気相成長結晶の鉄分が火花を散らせて視界に飛び、おさまれば『Op1』の夜空がまだ漆黒でなかったことを思い知らせて、冷え澄み切った宇宙は広がる。
だからといって、今さら見飽きたその風景に感慨深い思いのかけらもない。アルトは早々にコンソールを弾いた。
「確か……」
手繰るナビの記録から探すのは、幾つもの偽名を搭載したあの船の座標だ。すぐにも拾い上げられ、設定しなおす。
受けて忙しく働くナビが即座に最寄りの光速の入り口をロックした。アクリルドームにその入口は表示され、両サイドで侵入回避可能エリア突破までのカウントダウンは始まる。インターの要求する船種申告に応じた提示データの展開後、光速使用料の告知ウインドは重なり、同時に続いていたカウントダウンが「0」を打った。
とたん焼きついたかのようにアクリル一面が白く弾ける。
光速侵入。
一瞬とも取れるハレーションの向うに、降り注ぐ大粒の雨のような光の粒子は現れ、アクリルを叩いては次から次へすり抜けていった。経て、インターチェンジでスイングバイしたなら、雨粒は連なる幾筋もの矢となって船は光速も安定領域に突入する。
矢だった雨粒は今や呼び合うように伸びて繋がると、ひどく細かなストライプ模様となっていた。その攻撃的なコントラストから目を守るためアクリルドームは表面を暗くし、代わりにコクピットを室内灯は平らと照らし出す。
後はオートパイロットで十分だろう。
迷わず弾けば、作動し始めた擬似重力が浮きがちだった体を一G下へ固定した。
『到着までの予想時間は……』
無用となったシートベルトを外して表示へ目をやる。
『二七六〇セコンド』
読み上げて、傍らで身構えるワソランへと振り返った。
が、見当たらない。
ぎょっとすれば、その姿を預けた背の裏側に見つけていた。
どうやら気圧変化で一気に酔いが回ったか。そこにうずくまるとワソランは眠りこんでいた。
『おいッ。こんなところで寝るなよ』
言わずにおれない。操縦席から身を乗り出し、アルトはその肩を揺する。鈍い反応のワソランは闇雲に振上げた手で何かしら抗議してみせたようだったが、いかんせん『レンデム』語のせいで何を言っているのか分からない。
『飲めねぇなら、二杯も食らうなっての。おい、起きろッ。こんなところで寝られちゃ、困る』
と、力を失っていたワソランの頭がふい、と持ち上げられた。
『わかってるわよ』
妙にはっきりとした口調を放つなり、スイッチでも入たかのようにすくっ、と立ち上がってみせる。しかしながら歩き出せばなんともリズム感は悪く、ままにゾンビそのものと下層へ降りて行った。
見送ったアルトに今さらながら、あれは誰だという思いは沸き起こる。
改め一人きりとなったコクピットを見回した。そこで計器類は順調すぎる航行を示すと、そ知らぬ顔で浅い呼吸を続けている。
なるほど。別段特別なことはなにもないらしい。
最後、ナビとオートパイロットの連動に問題がないことを確かめ、アルトもまた眠気の覆った重い体を操縦席から引き剥がす。
自然、生活リズムが不規則となってゆくのが宇宙間航行というものだ。考慮して規則正しい生活を心がけるべく、居住モジュールへ向かいコクピットを抜け出した。
はて、その単純な構造のどこへ行ったのか。そのどこにもワソランの姿は見当たらない。不思議に思いながら通路を直進し、いつも通り、船体の中ほどに位置する居住モジュールのドアをスライドさせた。
踏み込み、感じた違和感に慌てて足を引っ込める。
視線を落としていた。
足が、上着を踏みつけている。上着には覚えがあり、しかしながら自分のものでないことは明白だった。それこそ記憶喪失にでもなったかのような感覚だ。拾い上げて首をかしげ、なるほど昼間のコインランドリーで他の洗濯物が混ざったな、と思うまま、落としていた視線を再び持ち上げる。
目に、背中は映っていた。
どうりで上着に見覚えがあるハズだと思う。
それは先ほどまでワソランが身にまとっていたモノだ。窮屈だったのだろう。脱ぎ捨てたワソランは今、まさに己が向かう寝床でうつぶせと眠っていた。
瞬間、アルトの喉の奥から、聞いたこともないような音は飛び出す。文字にするなら恐らく「ぶひっ」もしくは「ぶはっ」あたりが妥当だろう。拍子に閉じるドアに体を挟まれ、今さらのように慣れた機材と格闘してみる。
前に横たわる背中はそんなアルトに気づくことなく、顔にもあったウロコ模様を刺青のように這わせて心地よさげと上下している。
比べて不憫なわが身に怒りがこみ上げてきた時だ。呼吸に合わせて揺らめくウロコ模様へ、思わずアルトは目を凝らしていた。
いや下心から、ではない。
証拠に、かつてネオンの嗜好矯正をはじめ連邦のラボ『F7』に従事していたセフポドのそれへと、アルトの表情は変わる。ようやく開いたドアから解放されるや否やワソランの元へ歩み寄っていった。取り急ぎそれまで衣服に隠されていた箇所を確かめ、視線を這わせる。
間違いなかった。
傷だ。
およそ肩甲骨と平行に、その下部から切れ味の悪い鈍器で切り裂かれたような雑な傷はあった。ざっくりウロコ模様を断絶したそれは、辛うじて癒着絆でつなぎあわされている。だが吸収性にもかかわらず処置痕はこうして見て取れたなら、アルトは癒着絆の定着を確認すべく周囲を指で軽く押さえた。やはり施術後、日は浅いらしい。癒着絆は水分を多く含んだスポンジのようでまだ張りに乏しい。
これなら恐らく痛みもずいぶん残っているハズだと思えていた。
少しばかり奥歯を噛み、そんな傷口を辿ってゆく。なら傷は首の付け根まで伸び、肩をまたいで体の前面、鎖骨辺りからさらに下へと伸びていた。言うまでもなくそんな傷は、今ここでこうしていられることが奇跡なほどの大怪我である。負うことになった理由こそ、愛しの彼を追いかけてに間違いなさそうだった。
服を脱ぎ捨てたのは酔いからではなく、傷が痛むせいではなかったのか。
思い及べば、確かめるべくその細い肩を掴んで、裏返しかける。
はた、とその手を止めていた。
そこでアルトは、アルトへ還る。
ベッドに押し潰された柔らかな谷間がむしろ、そうさせていた。
思わず視線はそこに残り、止まった手元を補い体も傾く。
そうしてのぞき込めばのぞき込むほど、鼻の下ももまた伸びに伸びた。
何しろ『レンデム』種族はウロコ模様を除けば、ヒトと変わらぬ四肢を持つ種族で、色々と違和感がない。ここはひとつ手付けに、などど健全なすけべ心は顔をのぞかせ、傾け過ぎた頭をサイドボードにぶつける。
『だッ……』
だとして覚えた痛みを天罰だと理解したのは、信心深いせいではないだろう。デミの店で受けた誤解が、待ったをかけていた。それこそ上がった煙に、火と言う実態を与えてはどうしようもない。
とりあえず握ったままのワソランの服を片付ける。その手で、足元に散乱していたシーツを拾い上げた。におい、さほど臭くないことを確認した上で、傷口諸共、目の毒を覆い隠す。
と、目覚めたのかと思うほどの勢いだ。かけたシーツを巻き込んで、豪快にワソランが寝返った。
そろそろ限界か。
巻き込んだシーツに見えそうで見えないあれやこれやが、貧血と、血圧の上昇が一気に押し寄せたような眩暈でもってしてアルトを襲う。引っ叩き、毟り取り、蹴り上げ、投げ捨てたなら、つく悪態すら綻びへの入り口と、無言のままねじ込んだかかとできびすを返した。
一直線に目指すのは、電熱調理台下の保冷庫だ。こんな中途半端な酔いで残り二〇〇○セコンドあまり無事過ごせるワケがない。
かっさらう、中に残していた虎の子の酒瓶。
猛然とコクピットへ引き返し、開け放ったままにしていたエアロックを閉じて例のキーワード『ハッピーバースデイ アルト 獅子の口は真実を語る』でイルサリを呼び出した。
即座に、その意味を訝るイルサリへ、コクピット内の気圧を現状より三百、段階を追って下げるよう指示し、そのうえで目的地までの舵と、コクピットの施錠を託す。これでコクピット内は地球上でたとえるなら、ちょうど旅客機で上空四○○○○フィートを航行中と似たような環境だ。浸透圧の差で血中に溶け込むアルコール量も増せば、貧乏な長距離航行就労者がわずかな酒で格段に酔うために使う『イージードランカー』の段取りは整っていた。
耳抜きを済ませて早々に酒瓶をひっくり返す。
ややもすれば望みどおりの酔いが、不条理ごとアルトをさらっていた。
そう、決して公開できない悪態の数々と共に。
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