ACTion 12 『ノーガード ノーセフティ』

「……に変化なし」

 居住モジュール手前の階段を駆け下りながら危うい手つきで片耳へ通信機をかければ、すでにイルサリからの報告はその冒頭部が切れていた。

 作業着の背裏へスタンエアを貼り付け、アルトは通信機本体からワイヤーの先に取り付けられたマイク部を引き出す。

「前回と状況に変化はないんだなッ?」

「ありません」

 つまり幸か不幸か、よほど頑丈な船だったらしい。勝手に結合されて、こちらまで気密漏れのおこぼれを食らう心配だけはないと知れる。

 ならばなおさら細かく足元を刻む階段がじれったくなり、数段を残して手すりを飛び越え、アルトは一気に下層へと飛び降りた。船側にあるエアロックへと回りこめばワソランが、まるで勝手知ったるヒトの船といわんばかり開け放ったそれを目の当りにする。

 すかさず筒のようなそこへ体を折り曲げ、潜り込んでいった。後ろ手に閉じて自船の機密を確保し、バスブースほどのライトEMUの装着スペースに抜け出す。その壁面にライトEMUは固定されると、いや、たとえワソランが着用しようとしたところでその寸法は手足の長さだけでなく、指の長さに至るまでアルトに合わせてしつらえた特注だ、ワソランが使用できるはずもなく、やり過ごして連なるスペースへ向かうべく壁面のタッチパネルを拳で叩きつけた。

 ならこれだけのドアを開くにしては大げさなほどの機械音は鳴り響いて、そこに球形の減圧室は現れる。

 その奥にワソランはいた。

 クルーザー船へ気密カーテンをつなげたところらしい。カーテン内の気圧ゲージをを、あの鋭い眼差しで睨みつけている。

『何、勝手なことをしてやがるッ』

 その横顔へ開口一番、アルトは怒鳴りつけていた。

 跳ね上がったワソランの視線には、悪びれた様子こそない。それどころか邪魔するならば跳ねのけて有り余る敵意を滲ませていた。

『向うの状況も確かめずに乗り込むたぁ、バカかッ。事故にでも遭ってみろ、こんなところじゃ、それこそ誰も助けには来やしないぞッ。今度もまた運よく助かるなんて思うなッ』

 吐きつけて、一言多かったことにアルトは気づく。だが飛び出した言葉はもう戻せはしない。気づいているだろうワソランも聞き逃すと、ただ言っていた。

『ゲージの圧力変化で予想はつくわ』

『素人が知ったようなこと言うんじゃねぇ』

『しろうと? これでも両手に余る数、放置船を調べてきてる』

 だがそうして油断した頃合が一番、危険なのだ。意思と意識の縮小による孤独死、イルサリ症候群に続いてジャンク屋が最も命を落としやすい事故がそうしたおごりからくる慣れであることは、そのスジの者にしか分らない。

『それが素人、つうんだよッ』

 とワソランの瞳が、ちらりゲージウインドを盗み見た。

 気密カーテン内の加圧が終了したらしい。ウインド内で揺れていた目盛は動きを止めつつある。

『開くわ』

 低くハスキーな声が告げていた。

『丸裸でか? そりゃ、ボンベも担がず海底へ潜るようなもんだろうが』

 無論、地声ならアルトの方がよほど低い。

『わたしは、この船の船長を誰だか思いだしたつもりよ』

 つまりあえてとった確認は、そのための許可申請ということらしい。

『俺が行ってくる』

 ただアルトは遮り返した。

『何を探すの? あなたは彼を知らない』

『俺が中の映像を送りゃいいだろ。指示しろ』

『じれったい』

 吐き捨てられたなら、アルトもまた舌打っていた。

『あのな、その性格なんとかしねぇと、本人と会う前にお前がどうにかなるぞ』

『ああなたについて来てとは言ってない』

『ならあんたは俺に、何かあったらさっさと切り離して手前勝手に逃げ出せと言うつもりか?』

 それこそこれ以上必要ない、一生モノの悪い思い出だろう。

『ギャラを取りっぱぐれるってワケね』

 瞬間、放たれたのは、あの憎たらしい切り返しだった。

 だとしてそういう話をしているつもりはこれぽっちもない。

『ああ、時価の危険手当がおじゃんだぜ』

 腹立たしさがむしろ皮肉を口に出させる。

『九百セコンドだ』

 すかさず本意でないことを示し、早口と付け足していた。

 浴びせられたワソランの細い目が、とたん何の事かと瞬く。

『それ以上は何があっても認めないからな』

 少なくともイルサリが太鼓判を押した環境だ。だからしてアルトは言い切った。

『タダ働きはしたくねぇんだよ。それ以内でも何か起これば、俺はあんたを引きずってでもこっちへ連れ帰る』

『九百……』

 意味を理解したワソランがしばし思案してみせる。しばしワソランは押し黙り、やがてゆっくりうなずき返した。

 見て取りアルトは口先を、通信機のマイクへと歪める。

「聞いたな、イルサリ。船外ハッチ解放後、カウント開始だ」

「了解しました」

 全てを引き受ける息子はまったくもって従順だ。

「もちろん、おまえ自身も含めて、周囲の監視を出来る限り頼むぞ」

「了解。ですが父上、現在三つの衛星から本船へ時間差アクセス実行中です。私自身の安定は確保されているものと思われます」

 相変わらずの父上呼ばわりに納得できない部分もあるが、ぬかりない差配に思わずアルトは頬を緩めていた。

「信用してるぜ」

 軽く引いたマイクを本体へ巻き上げる。いまだ残る昨日の酒を振り払うように頭を揺すって肩をほぐし、ワソランが寄り添う船外ハッチへ歩み寄った。再度、自分の目でゲージを確認する。ライトEMUを着用せず、航行中にこのボタンへ手を掛けるのはこれが初めてのことだろう。グローブ越しのサイズに合わせて作られた大振りのボタンをアルトは、手ごたえのあるところまでめいっぱいに押し込んだ。

 と、足元から地鳴りのように駆動音は鳴り響く。同時に、球状空間の一部を切り取り船外ハッチは、足元へゆるゆる吸い込まれていった。その向うに伸びる気密カーテンが、白く光を反射させて二人の前から伸びゆくのを見る。ハッチが完全に吸い込まれてしまえば向かうべく連結先の船側は、そうして続く渡り廊下の果てに青く立ち塞がった。

 カーテンといえども、そのの素材は多層構造のカーボンだ。迷うことなくワソランが靴音を響かせそこへ降り立った。この壁一枚を隔てた向うが宇宙空間などと考えればゾッとすることしかりだが、だからこそ深く考えるその前にアルトも足を下ろす。

 船と船の間はわずか二メートル余り。

 数歩も進めば二人の体は、アルトの船の擬似重力圏を抜け出すと、無重力と言うよりも浮力を得たような格好で浮かび上がった。その急激な感覚の変化を持て余しつつ、先をゆくワソランがクルーザー船の側面へ手のひらを押し付ける。

 非常事態に備えたハッチの外部には緊急搬出用に外からでも開閉可能な仕組みが取りつけられている。この船も例外ではない。最初、アルトが乗りこんだ時も、それを利用していた。

 知っているらしいワソランもまた一直線、浮き上がる体を制しながらその手順を追ってハッチを解放し始める。窪みに据えられたハンドル状のそれを三回まわし、不安定な体制ながら腰を入れて力任せに押し込んだ。とたん短い音でハッチは鋭く内側から空気を放出し、取っ掛かりなく閉じられていた船側からパクリ、ひと所を浮き上がらせる。

 それきり空気の流れに変化は起きなかった。

 本格的に開くその前、ワソランがアルトへ振り返る。

 答えず身を乗り出したアルトは、ワソランに代わり浮き上がったハッチへ手を掛けた。腕力だけで一気にスライドさせる。

 EMU越しなら一生気づく事などなかっただろう、とたんこの船の持ち主のすえた生活臭が、煙たさすら伴って鼻先にまとわりついた。まだ予備電力は残っていたらしい。呼応する非常灯もまた、踊り場を毒々しいほどの赤に照らし出してゆく。果てから二人を出迎え現れたのは、絶えず駆動音が聞こえていたアルトの船では知ることのなかった静寂だった。周囲を埋め尽くす絶対零度の気配もろとも静寂は不気味なまでに身体を覆うと、そこかしこを遠慮無しと撫で回してさえゆく。

 たちどころに悪寒はアルトを襲っていた。それはジャンク屋としての勘と言うよりも、もっと原始的で生理的なものとして警告に近いものだった。

 にもかかわらず、もろともせずワソランは時間を惜み周囲を見回し始める。その目は反射した光にヌラリと尾を引き、揺らめいていたハズのウロコ模様もブラックライトを浴びたかのように横顔を覆って張り付く。

『コクピットはどっち?』

『こっちだ』

 返したきびすでアルトは手招いた。

 上層までスロープをなぞり、浮き上がる体で通路を左へ折れる。そのたびに手招くように非常灯は赤く灯され、例の抗Gロッカーを片側にやり過ごしたところで、突き当たりにコクピットの扉は現れていた。

 これまた船の経歴を調べるため侵入したさい閉めることなく立ち去ったせいだ。半開きのまま出迎えてくれる。

『システム、稼動するかしら?』

 アルトの背後で、ワソランが呟いていた。

『非常灯が点くうちは内部リンクくらいなら全てのぞけるさ』

 言ってアルトは視線を落とす。そこで羽織った作業着の襟元は、いくらか変色していた。この激しい色合いの非常灯のせいで判別し辛かったが、それはわずかながら酸素濃度が低下していることを示している。退色仕切るまでなら思考の維持に問題はなかったが、あまり気持ちのいい光景ではない。

 そうしてたどり着く扉前。

 半開きのそこへと体をねじ込んだ。

 残りを強引に引き開ける。

 さらに際立つ生活臭は目に沁みるほどだった。

 コクピットへアルトは再び足を踏み入れてゆく。

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