やめられない悪い癖

髙橋

1

男が二人向き合って座っている。

一人は臨床心理士でこのクリニックの主だ。彼の目の前には患者である男が座っている。

この男、見るからに憔悴しきっており、顔には疲労と苦悩が色濃く出ている。


「先生、俺はもうどうしたらいいか分からないよ」


そう言うと男は頭を抱えて、下を向いた。今にも消え入りそうなぐらい苦悩しているのが誰の目にも明らかだ。


 臨床心理士はそんな彼を見ながら


「落ち着いて、まずはゆっくり深呼吸してみましょう。そうしたら今日カウンセリングに来た理由を話してみてください」


と、冷静に話した。臨床心理の仕事をやっていると、こうした患者に会うのは日常茶飯事だ。

カウンセリングに来るのは様々な理由で悩みを抱えた人々であり、その解決に至るまでのプロセスも千差万別だ。

しかし、悩みが何であれ、まずは患者に話をさせること、これが最初のステップだ。


 男は大きく深呼吸をし、それを三度繰り返すと、少し落ち着いたらしく、ようやく話し始めた。


「俺、悪い癖があってさ。どうしてもやめられないんだよ。悪い事だってのは自分でも分かってる。何度もやめようとした。だけど無理なんだ。気付くとまたやりたいって衝動に襲われる。そうなるともうダメなんだ。止まらない、何というか自分の体なのに全く制御が効かないんだ」


男はそこまで言い終わると、下を向き、親指の爪を噛み始めた。 


臨床心理士は男を見ながら、今の発言について考えていた。


話を聞く限り依存症か、強迫性障害だろうか。

依存症なら酒、タバコ、ドラッグあたりが一般的でよくあるパターンだ。

強迫性障害の例としては、手を何度も洗ってしまう。擦り切れて血が出ても洗うことをやめられない。また、頭をかくことをやめられない人は、かき過ぎて傷が頭蓋骨まで達しても、かくことをやめられない。そういったケースもある。


自分でもやめたいが、やめられない。自分でも悪いことをしているという苦痛を感じながらも、いざやめようとすると不安を感じたり、気持ちが落ち着かなくなる。

そしてまた同じことを繰り返してしまう。


臨床心理士は男の言葉を聞きながら、そのように考えていた。そして


「自分でもやめたいと思っているんでしょう?」


そう尋ねると


「21回目なんだ」


男は答えた。


「やっちゃいけない。手を出しちゃいけないと思いつつ、もう21回もやっちまってる。まるでやめることができないんだ」


男は続けて


「最初の時もそうだった。こんなことやっちゃいけないと思いつつも、ついやっちまったんだ。

それからはもう、暴走する機関車みたいなもんさ。止めようとしても、止まらないんだ!

2回目の時もそうだった!前を歩いている人を見かけただけでもう手を止められなかった。

3回目の時も、4回目の時だって!あの快感を知ってしまうともうやめられないんだ!」


男はだいぶ興奮してきた。


臨床心理士は少し訝しげに思った。

こいつは何の話をしている?さっきからいまいち話がかみ合わない。

そこで聞いてみることにした。


「君はいったい何をやめられないんだい?」




男は顔を上げ、臨床心理士の目をじっと見ると


「決まってるじゃないか先生、殺人だよ」


と表情一つ変えずに答えた。


「ずっとやめようとしてきたんだ。20回目のとき、もうこれっきりだと思った。

でもまた昨日やっちまった。21回目の“禁殺”失敗さ。

それで今日カウンセリングに来たんだ。どうやったらやめることができるかを聞くために」


その話を聞きつつ、なんとか平静を保ちながら臨床心理士は思った。


なるほど、彼は“禁殺”ができなくて悩んでいたのか。ようやく話の合点がいった。


さてと、とりあえずは警察に通報するために、なんとか上手い理由を考えて彼をここから追い返さなければな。

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やめられない悪い癖 髙橋 @takahash1

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