6.

 鍵盤を前にして、わたしはひざの上に乗せっぱなしの両手をぎゅっと握りしめる。


 わたしの音って、どんなだろう。わたしだけにしか出せない音、わたしは知りたい。


 わたしの夢って、なにかな。ピアニストになること?


 ……ううん。それは、わたしの夢じゃない。ママの夢だ。


 わたしの、わたしの本当の夢はーー……。


 そっと鍵盤に指でふれ、ぽーんと、音を出してみる。その音をわたしの体に浸透させると、今度は目をつむり鍵盤に手をそえ、ゆっくりと次の音を出していく。


 この曲、トロイメライは、小さい頃から空想が大好きだったシューマンが、恋人のクララの言葉からひらめいた曲で。後に『こどもの情景』と名づけられた、十三曲から成るピアノ曲集の中の一曲だ。


 わたしは思うがまま、指を動かしていく。


 ああ、わたし、こんな音が出せたんだ。全然知らなかったな。なんていうのかな、とっても気持ち良い……!


 こんなおだやかな気持ちでピアノを弾いたのなんて、一体何年ぶりだろうか。そんなことすら思い出せないなんて。


 ピアノを習い始めたばかりの頃は、手が小さくて。親指から小指と鍵盤が届かなくて、なかなか思うように弾けなくて。それがくやしくて、大泣きしたこともあったっけ。


 だけど、曲が弾けるようになるたびに、楽しさが広がっていって。……うん、ブロンシュさんが言っていたように、できなかったことができるのって、とっても楽しくて、うれしくて。だから、わたしはピアノを続けてこられたんだ。


 夢、かーー。


 コンクールで入賞すると、ママが喜んでくれるのがうれしくて。ママの夢をかなえたくて。頭の中は、いつもママのことでいっぱいだった。だけど。


 わたしは、輝きたいーー!


 ママが楽しそうにピアノを弾いていたみたいに、わたしもキラキラしたい。コンクールで入賞できたらうれしいけど、でも。それよりも、あの時のママみたいに輝きたい。それが、わたしの夢だ。今なら自信を持って、そう言えた。


 曲を弾き終えると、ブロンシュさんは何度も何度も拍手をしてくれた。



「ステキな演奏だったわ」

と、感想も言ってくれる。



「琴音ちゃんは、がんばりすぎちゃうのね。いつも一生懸命で。だから、たまには息ぬきもしてあげないと」



「ね」

と、わたしに言い聞かせるブロンシュさんに、ノワールは、

「おまえは息ぬきばかりで、魔法の腕がちっとも上がらないけどな」

と、横から口をとがらせて告げる。



「そんなあ。ひどいですよ、ノワールさん。ちゃんと修行してますよー」


「なに、本当のことだろう。魔法の方は全然なくせに、菓子作りばかり上達して」



 ノワールは手きびしい。ブロンシュさんはまたしかられ、しゅんと落ち込んでしまう。


 だけど、ざわざわと木々がゆれる音が耳をかすめさせると、ブロンシュさんは下げていた頭を上げて。



「あら、あらら。どうやら琴音ちゃんの演奏を聴いて、みんな集まって来たみたいね」


「えっ。集まったって?」



 ブロンシュさんの視線の先を追うと、木々の間から、リスやシカ、ウサギにキツネ、それからクマや鳥がぞろぞろと出てきた。それから動物たちは不思議なことに、ヴァイオリンやフルート、タンバリンにカスタネットと、いろんな楽器を持っていて。みんな、それぞれの音を鳴らし出した。


 これも、ブロンシュさんの魔法の影響かな。わたしは動物たちと一緒に演奏をした。まさに森の演奏会だ。ブロンシュさんも一緒になって演奏会に参加したけど、ノワールだけは気だるそうに、すみっこの方でわたしたちの演奏を聴いていた。


 久しぶりに寄り道して良かったな。ブロンシュさんと出会えて良かったな。


 胸の中に詰まっていたもやもやは、いつの間にかきれいさっぱり消えていた。

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