2.

 緑がしげっている小道を進んで行くと、だんだんと道が広くなっていって。一軒の小さな建物が見えた。それは白い石造りの壁に、紺色の屋根の年季の入った小さな屋敷で。扉の前に置かれた看板には、『カフェ・プランタン』と書かれていた。



「カフェ・プランタン? ふうん、カフェねえ。でも、こんな人気のない所にカフェなんて開いて。もう少し考えた方が良いと思うんだけどなあ」



 これじゃあ、お客さんなんて来ないでしょう。外観はかわいくて女性に人気が出そうなだけに、残念。


 ていうか、このカフェ、看板をしまい忘れているだけで、とっくにつぶれているんじゃないかな。だって、わたしは生まれた時からこの町に住んでるけど、このカフェの話なんて一度も聞いたことがないんだもの。


 だけど、それにしては看板がきれいだなとながめていると、突然、空からぽとんと何かが降って来た。視線をそちらに向けると、小さくて丸い形をした赤いものが地面に落ちていた。



「なんだろう、これ。木の実?」



 しゃがみこんでその実を拾い、手のひらに乗せてよく見てみるけど。イチゴに似てるけど、少し形がちがう。ていうか、どうして木の実が空から降って来たの?


 わたしはその実をつまんだまま、顔だけを上に向けた。


 するとーー……。



「え……。あれ……?」



 あれ……。わたし、つかれてるのかな。これがノイローゼとかいうものかな。


 だって、わたしの頭上に人が……、ホウキに乗った人がふわふわと宙に浮かんでいるんだもの。


 それをぼうぜんと眺めていると、またしてもぽとりと。わたしの頭に何かが降って来た。今度はムラサキ色の、これは分かる、ブルーベリーだ。


 って、今は木の実当てゲームをしている場合じゃない。わたしの頭はおかしくなっちゃったんだから。


 どうしたらこの幻覚が消えるだろうと悩んでいると、……ん? あれ。幻覚なのに、木の実を触った感覚がある……? 


 それに、今度は、

「ごめんなさーい」

と、頭上から木の実の代わりに声が降って来た。


 その声は澄んだソプラノで。わたしの鼓膜をやさしくふるわせる。なんて心地良い音色だろう。


 その声の主は、ふわふわ……、いや、ふらふらと危なっかしい動きで、わたしの目の前に静かに着地した。



「ごめんなさい、木の実を落としちゃって。痛くなかった?」


「はい、別に……」



 空からホウキに乗って降りて来た人は、外国の人かな。海みたいに澄んだ青色の瞳に、灰色の長い髪をポニーテールにした女の人だ。


 年齢は二十歳くらいかな。手足は細く、彫刻のように整った容姿をしている。それに、桃色の唇から紡がれるのは、とってもきれいな日本語だ。


 その美しさについ見とれてしまっていると、お姉さんはもう一度、「ごめんなさい」とくり返した。


 すると、お姉さんの足元にいた黒ネコが、アーモンドみたいにとがった瞳をさらにつんととがらせて、

「まったく。ホウキくらい、いいかげんにちゃんと乗れるようになれ!」

と、しかりつけた。


 ネコのくせに生意気ね……って、あれ。



「ネコがしゃべった……?」



 確かに今の声、この黒ネコから聞こえたよね? だって、この場には、わたしとお姉さんと、それから黒ネコしかいないんだもん。


 わたし、本当にダメみたい。夏の暑さにもやられちゃったのかも。


 めまいがし、ふらふらとその場にしゃがみこんでしまうと、お姉さんはあわてた様子でわたしの元にやって来た。



「大丈夫? どうかしたの」


「いえ……。すみません、ちょっと頭がおかしくなっちゃったみたいで……」


「えっ、頭が? さっきの木の実が原因かしら」



 どうしましょうとお姉さんは、こまった顔をする。そういえばこのお姉さんも、さっきホウキで空を飛んでたよね? それに、人間の言葉を話すネコ。


 この組み合わせ、まるでーー……。



「魔女みたい」



 どうやら口に出てしまっていたみたい。


 お姉さんは一瞬きょとんと目を丸くしたけど、すぐににこりとほほえんで。

「ええ、そうよ」さらりと言った。


 ああ、本当に魔女なんだ。でも、ふつう魔女って、そんなかんたんに教えてもいいものなの? ひみつじゃないの?


 だけど、お姉さんはまったく気にしていないみたい。わたしが正体を当てても、お姉さんの態度は一向に変わらない。


 それ所か、

「私、ブロンシュっていうの。こっちの黒ネコはノワールさん。私のお師匠様なの」

 なんて、自己紹介までして。ブロンシュさんと名乗ったお姉さんは、ぐいと両手で抱えた黒ネコをわたしの方へ寄せた。


 ふうん、このネコがお師匠様ねえ。だからネコのくせに生意気だったのか……って、あれ。



「ネコがお師匠様!?」



 思わず大きな声が出てしまったわたしに、だけどブロンシュさんは平然とした顔で、

「ええ、そうよ」

と、後を続ける。


 魔女の世界ってよく分からないけど、ネコが師匠だなんて。なんだか変わってる。


 まあ、それを言うなら、このブロンシュさん自身もだけどね。



「それから、このホウキはバレっていうの。さあ、バレ。バレもあいさつを……」



 ブロンシュさんは、となりにひとりでに立っていた竹ホウキにそう言うけど。バレと呼ばれたホウキは、くるくると踊ってばかりだ。



「バレ、ほら、あいさつは?」



 ブロンシュさんがもう一度言い聞かせるけど、バレはあいさつをする所か突然飛び出して。そのままぴゅーっと、お店の方に飛んで行ってしまった。


 その時、バレはブロンシュさんが持っていたカゴにぶつかり。



「きゃっ!?」



 ブロンシュさんはそのしょうげきで、カゴを地面に落としてしまう。そのせいで中に入っていた木の実も、辺り一帯に散らばってしまった。


 ノワールは、ぐわっと口を大きく開けて、おまけにキバまで見せて、

「この、ドジ! ホウキくらい、自在にあやつれるようになれ!」」

と、ブロンシュさんのことをまたしかりつけた。


 ノワールがブロンシュさんの師匠という話は本当みたい。ブロンシュさんは、「ごめんなさい」と、ノワールにあやまる。


 わたしもブロンシュさんと一緒になって、散らばってしまった木の実を拾う。


 だって、このまま帰るのも、ね。いくらピアノのけいこでいそがしいとはいえ、こまっている人を前にして素通りなんてできないよ。


 ちなみに、さっきわたしの頭の上に降って来たイチゴみたいな木の実は、ラズベリー、またはフランボワーズといって。甘酸っぱい味がするのだとブロンシュさんは教えてくれた。


 最後の一つを拾い終えると、ブロンシュさんはにこりを笑い、

「ありがとう。あなた、お名前は?」


東洋とうよう琴音です」


「琴音ちゃんね。良かったらお礼に少し休んでいかない? ケーキをごちそうさせて」



「このカフェ、私のお店なの」と、ブロンシュさんは例のカフェを指差して告げる。


 あっ。このカフェ、閉店してなかったんだ……。


 心の中でこっそりそう思っていると、ブロンシュさんはわたしの手を取り。返事を言う前に、わたしは店の中へと連れて行かれた。

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