二杯目:約束のサマープディング 〜été〜

1.

「あっつーい!」



 暑いのは夏だから当たり前なんだけど、それでも叫ばずにはいられない。あっつーい!! と。


 太陽がかんかんと照っている空の下、アタシは日焼け防止にかぶった麦わら帽子をさらに目深にかぶらせて、ピアノ教室からの帰り道を歩いている。



「うーん。なんかちがうのよね……」



 今日も先生の顔色はあまり良くなかった。そのことは、わたしが一番良く分かっているのに。


 もうすぐピアノのコンクールがある。なのに、練習すればするほど、弾けば弾くほど、どんどんダメになっている気がする。


 課題曲であるシューマンのトロイメライが、どうしてもうまく表現できない。


 ……もうやめたい。


 だけど、ママには言い出せない。だってママは、わたしに夢見ちゃっているんだもの。


 ママの夢は、ピアニストになることだった。だけど、残念ながらそれはかなわず。それでもあきらめきれないママは、娘であるわたしにその夢をたくしたのだ。


 さらにママをその夢に執着させる原因が他にもある。それは、わたしが小学二年生だった時、初めて出たピアノのコンクールの地区大会で優勝してしまったことだろう。


 今思うと、ビギナーズラックというものだったんだと思う。ただピアノを弾くことが楽しくて。思うがまま、自由に弾いたわたしのピアノは、当時の審査員達の何かに引っかかったのだろう。気付けば地区大会から都道府県大会、そしてブロック大会へと順調に進んだ。


 だけど、そこでわたしは思い知ってしまった。ブロック大会の会場で聴いた他の子達の演奏は、わたしのそれよりもはるかにすぐれていることをーー……。


 こんな小さな田舎町に住んでいたから気付かなかっただけで、わたしくらいピアノを弾ける子は、世の中には五万といることを。そんな中でも、わたしはおそらくしっぽの方、五万人目くらいの実力だということを。


 学校の友達や同じピアノ教室の子たち、それからその保護者の人たちから、「琴音ことねちゃんはピアノが上手ね」、「とってもすごいね」と、ちらほやされ。わたしはすっかりてんぐになっていたのだ。


 だけど、現実はちがった。わたしはピアノが上手な子ではなく、それなりに弾ける子だったのだ。


 でも、そのことが知れただけでも十分だともわたしは思ってる。このままそのことに気付けないで、世間知らずな大人にならなくて良かったと、むしろ感謝すらしている。


 だけど、ママはちがった。


 ママだけは、いまだにわたしを天才だと、才能があると思い込んでいる。


「琴音ちゃんなら、次は大丈夫よ」

と、近年はまったく成果を出せていないわたしに、それでもまだ可能性を感じているのだ。今はスランプにおちいっていて思うように弾けていないだけで、また前みたいに、コンクールで優勝できた時みたいな演奏ができるって。


 家に着いたら、また練習しないと。せめて次のコンクールでは優勝はできなくても、都道府県大会には進めないと。でないと、今度こそママはもう……。


 わたしのことを信じ切っている、ママの期待を裏切ってしまうーー……。


 そのことを考えるだけで、ずしりと足が重たくなる。


 ……家に帰りたくないな。だけど、こんな暑い中、外にいるのもいや。体がドロドロに、アイスみたいにとけてしまいそうなんだもの。


 わたしは晴れないもやもやをそのままに、それでも家を目指して歩いていると、ふと一本道だと思っていた通りの横に小道が見えた。



「あれ。こんな所にわき道なんてあったっけ?」



 今まで何度も、それこそピアノを習い始めた三歳の頃からこの道を通っているけど、でも、見かけた覚えなんてない。


 新しくできた道なのかな? その道は木々に囲まれていて、分かりづらくはあった。


 わたしは立ち止まって、その道をじっと見つめた。どうしてだろう。一秒でも早く家に帰って、クーラーがガンガンにきいた部屋ですずみたいはずなのに。それなのに、何だかその道が気になってしかたがない。


 この道の先に、一体何があるんだろう。


 ピアノ以外のことに意識がかたむいたのは、久しぶりだった。小学四年生のこの夏休みも、ピアノのことだけを考えて終わるのものだと思っていたのに。


 気付けばわたしは自分でもよく分からなかったけど、せまいその道をきょろきょろと辺りを見回しながらも進んでいた。

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