勇者-3
「なんだ、今日はまた一段と上機嫌じゃないか」
鼻歌交じりに薬剤を調合していたところ、背後から
「ティアさん……いらっしゃったんですね」
「君が来る時間帯は把握してるからね。なるべくウチにいるようにしているんだ」
部屋着らしい薄手のネグリジェ姿で、ティアが色っぽく微笑む。
「へ、へえ」
リーフは固い笑みを返した。
ここは《世界樹の図書館》、太く高い
リーフはここで、クエストやゴミ掃除で忙しい中でも時間を
リーフはアルテたちのように【転移魔法】を使えないため、ティアが特別に、孤児院の自室とこの研究室にそれぞれ《転移魔法陣》を描いてくれた。直径1メートルほどの幾何学模様を踏んで魔力を流すと、繋がっているペアの魔法陣に転移できる。
エルフの隠れ里でもあるこの世界樹と人界を転移陣で結ぶのは、あとから聞いた話、里の長老たちからめちゃくちゃに反対されたらしいのだが、ティアが強引に説き伏せてしまったという。一応、転移できる対象はリーフただ一人に限定されているとは言え、無茶なことをする。
「研究は順調かい?」
ティアは隣までやってきて、作業台に乗せたいくつもの薬剤を物色しながら聞いてきた。
「えぇ、おかげさまで。この図書館の蔵書数と質の良さには、本当に頭が下がります。エルフ文字を読めるように魔法をかけてくれたティアさんにも」
「どちらも、君が熱心に勉強しなければなんの価値にもならないものさ。えらいのはリーフだよ」
ティアは母のような顔で微笑んだ。その妖しい包容力に、油断すると屈服しそうになる。
リーフがこの場所で打ち込んでいるのは――「回復薬」の研究だ。飲むことで体の疲れをとったり、傷を癒やしたりする冒険者の必需品。すでに広く世界に流通しており、人間やエルフにとっては全く珍しいものじゃない。
「そんなものに頼らなくても、君にかかれば一瞬でどんな怪我も
「いえ、僕が治せるのは、僕の近くにいるわずかな人だけです。それも、僕がいつか死んでしまったらそこで終わり。でも薬はすごいです。最初に発明した人はとっくに死んでしまっただろうけど、今なおその人は世界中の人々を救っている。この研究の目標は、まだ誰も見つけていない《万能薬》の製造法を発見することです! 僕が死んでも、僕が見つけた製造法は
ぐっと拳を握って笑ったリーフに、ティアもにっこり笑った。
「君のそういうところが好きだよ」
それにはうまく答えられず、かわりにずっと言いたかったことを伝えた。
「こんな個人的な趣味を、《治癒師ギルド》の仕事の一環にしてくださってありがとうございます。予算までおろしてもらって……なんてお礼をしたらいいか」
「礼なんていらないよ。これも治癒師の立派な仕事だろう。数年は引っ張ってみせるから、それまでにゆっくり成果を出すといい。研究報告次第で更に予算をとってこれる」
「心強いなぁ……」
「邪魔をしてしまったね。がんばって」と笑って立ち去りかけ、ふとティアは少し背伸びして、リーフの耳元に唇を持っていくと、
「そういえば、魔力を吸わせてくれる約束がまだだったね」
「へっ!?」
思わず手元が狂いかけて、机上の器具がガチャガチャ音を鳴らした。約束をした覚えはまったくない。
「お礼をしたいというなら、それで手を打ってあげるよ」
「お礼はいらないって言ったじゃないですか!?」
「エルフは気まぐれなんだ。それとも
ティアは悪びれずに舌を出した。白銀の髪と肌に一層映える赤い舌。リーフは慌てて目をそらし、作業に集中しようと試みる。
「いや、そういうわけじゃ……むしろティアさんからしてみれば、僕なんて子どもみたいなものなんじゃ」
「それがいいんだよ、エルフは幼い少年少女が好きなんだ」
美しい種族から犯罪の匂いがすごい。
「人間は
と思ったらかなり悲しい話だった。
「……魔人は、人間より長生きですよ。エルフほどじゃありませんが」
「うん、そういう意味でも、ボクはぜひリーフを
唐突なプロポーズ。リーフは顔を真っ赤にして慌てた。
「え、えっ!? えっと……!」
「あは、君は本当に可愛いな。エルフはね、知的好奇心の生き物だから、君みたいな幼くて無垢な少年が、どんなふうに成長しながら、どんな一生を歩むのか、それを一番近くで見ていたいと思ってしまうんだよ。ボクはね、リーフ。初めて君の心を覗いたあの夜から、君の澄み渡る、空のような心に
いつになく真剣で、余裕のない顔で詰め寄られて、リーフはどうにか、「か、考えさせてください」と返した。
「そうか、うん、即フラれなかったことを喜ぼう」
ティアは見た目相応の少女のような顔つきになって、少しだけ嬉しそうに笑った。こうしていると、彼女が160歳だなんて嘘みたいだ。
「今度こそお
ティアは軽く握るようなバイバイをして出ていった。その日は2時間ほど籠もって研究したが、あまり集中できなかった。
午後3時頃、一度食事をとりに帰ろうと、リーフは孤児院へ転移した。
そこでは、とんでもない客人が、リーフを待っていた。
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