治癒師リーフ-3

 意識が遠ざかり、溺れる。体から魔力が抜けていく恐怖と、奇妙な心地よさがないまぜになって、リーフの頭はぐちゃぐちゃだった。


「うぁっ……!」


 出力が上がった。ティアとリーフをへだてる互いの衣服など、すっかりなくなってしまったみたいに、彼女と密着した部分から全身の魔力が吸い上げられていく感覚が、今や鮮明に分かる。


「ほら、早くしないと死んじゃうよ」


 消耗なのか、流れ込んでくるリーフの魔力がそうさせているのか、ティアの息もわずかに荒くなっていた。リーフは、どうにか言葉を振り絞った。


「ぼ……僕は……この力を、あなたには使わない……!」


「なぜ? 使わなければ死んでしまうよ」


「あなたが死ぬよりは、いい……ッ!」


 断言したリーフに、ティアは青い目を見開いた。その瞬間、リーフは全身を貫く刺激から解放された。


「はっ! はぁ……はぁ……っ!」


 びっしょり汗をかいていた。上にのしかかったティアの体も、わずかに汗ばみ、熱を帯びている。


「……どうして? ボクと君は知り合ったばかりじゃないか。こうしていきなり、君にひどいことをしたボクの命の方が、君より重いだなんてどうして言える?」


「命に重いも軽いも……ただ、誰かが僕のせいで死ぬくらいなら、自分が死ぬ方を選びます」


 ティアはリーフを見つめ、かすかに笑った。


「おかしな魔人だ。それでも魔王の血を引いているのかい?」


「さぁ……でも僕は、自分のこういう考え方が、どの魔族よりも邪悪なんじゃないかって、時々思います」


 助けたいから助ける。そういうのって、本当に美しい心なのだろうか。「殴りたいから殴る」「犯したいから犯す」、そんな他の魔族と、何が違うんだろう。


「今までの僕は、力がなかったからよかった。でも、強すぎる力を手に入れてしまった。僕の物差しで『助けたい人』を選んで、その人のために力を振るう。そのたびに、必ず誰かを傷つけるんじゃないか。今までどんなに声をらしてもどうにもならなかったことが、この力を使うだけで、いとも簡単に解決していくのが……少し怖いんです。だから、最近はたぶん、今まで以上に、自分の命が惜しくない」


 なぜ彼女に、密かに抱えていた胸の内を打ち明けたのか、自分でも不思議だった。ぽつりぽつりと語るリーフを組み伏せたまま、ティアは黙って話を聞いていた。


「力を得たはいいが、自分の正義が信じられず、人のためですら、その力を振るうことに戸惑いを感じている、と。……君は神にでもなったつもりかい? 傲慢ごうまんだね」


「……!」


 ぴしゃりと言われて、リーフの背筋が伸びる。


「ただの生物一個体に、完全無欠の正しさが備わっているはずがないだろう。これからも、君はたくさん間違えるだろうさ」


「間違えたら……取り返しがつきません」


「心配いらない。そうなる前に、ボクが君を止めよう」


 え、と、リーフは目をしばたたかせた。


「一人で正しくあろうとするからほころぶのさ。たくさんの、信頼し合える、少しずつ違う正義を持った仲間で束になり、みんなで正しくあればいい。そのためにボクは、人間の世界で冒険者を始めたんだよ」


 初めて優しい笑顔になったティアは、心を奪われるほど可憐だった。


「試すような真似をしてすまなかったね。160年生きてきて、唯一魔族とだけは、ついぞ分かり合えなかったんだ。ところが今日、冒険者ギルドで見かけた魔人は、人間たちを相手に本当に優しく笑うんだよ。だから、こうして確かめさせてもらった」


 ティアはリーフの体を起こして、ベッドの上で向かい合う格好になると、リーフのほおに手を触れた。


「ボクはね、こうして触っている間、魔力を吸い取るだけじゃなくて相手の思考を読めるんだ。君に一切の敵意がないことは、最初に手を握ったときから分かっていた。ボクが君の秘密を暴いても、魔力を吸い取っても、それは少しも変わらなかった。……君は見込んだ通りのひとだった」


 リーフ、とティアは魔人の名を呼んだ。


「ボクと友達になっておくれ。ボクが正しくあれるように、そばにいてほしい」


 目を見開いたリーフは、ゆっくりうなずいた。目の前のモヤが切り拓かれたみたいだった。自分はもう、とっくに一人ではなかった。アルテも、ギギも、オトも、ティアもいる。リーフは、自分のことは信じられなくても、彼らのことなら信じられた。僕が間違いそうになったそのときは、必ず僕の友達が、僕を止めてくれる――


「夕飯の時間を過ぎてしまったかな」と、ティアは少しおどけて立ち上がった。「家まで転移で送るよ」という申し出に、素直に甘えることにした。ティアを追いかけて立ち上がりベッドから降りると、突然頭がくらっときてよろめいた。


「ごめん、魔力を吸いすぎたね」


「本当ですよ……」


「でも、少し気持ちよかったみたいだけど」


 含み笑いで見上げられて、嘘をつけないリーフは目をそらした。触れている間は心を読めるというなら、彼女には全て筒抜けだったことになる。


「ちょっとクセになるだろう。君の魔力は最高に美味しかったから、よければまた味わわせてほしい」


「えぇ……」


「あれが全力だと思われても心外だしね。本当は素肌に触れたほうが吸収量が多いんだよ。もっといいのは、より魔力回路が露出した部分で触れることだね」


 魔力回路が露出した部分? リーフが検討もつかずにいると、ティアがあもむろに手を握ってきた。転移のために必要なことだが、手つきが妖しいのでついドキッとする。


「色々あるけど――舌、とかね。試してみるかい?」


 握った手を引き寄せ、ちろりと赤い舌をのぞかせたティアに、必死で首をぶんぶん振った。

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