治癒師リーフ-2

 それから女二人の、何やらリーフには分からない静かな舌戦ぜっせんがしばらく続いたが、最終的には、アルテが「夕飯までには帰ってこいよ!」と母親のようなことを言って、オトを連れて先に転移で帰ってしまった。


 光とともに消える直前、アルテはちょっと心配そうにリーフの方を見ていた。どうやらティアは、アルテでも逆らえないほどの女であるらしい。


「じゃあ、ボクたちも行こうか」


 リーフの手をとって、ティアは魅惑的に微笑むと、そっと【転移魔法】を唱えた。


 転移の光が薄れると、リーフは目の前に広がった光景に絶句した。


 夕焼け空を反射して光る、見渡す限りの芝庭しばにわ。踏みしめるだけで柔らかい感触と、豊かな緑の匂いがはね返ってくる。


 その広大な庭に囲まれて、一本の巨木が、茜色に焼けた天を貫くようにして伸びていた。その胴回どうまわりだけで、人間が50人手をつないでも抱きしめきれないくらいの太さがある。


 見上げれば、みきのあちこちに窓のような横穴が空いていて、そこへと続く階段やハシゴ、滑車なんかがとりつけられている。巨大な木製の歯車がいくつも木のまわりを回っていて、それらを結ぶロープが小さな舟を引き上げるようにして運んでいる。いったいこの中に、何百人住んでいるのだろう。


 ――世界樹。


 見たこともないのに、そうだと確信した。


「部屋の中に直接飛んでも良かったが、それではおもむきがなかろう?」


 ティアは手を握ったまま、リーフを上目で見上げた。並ぶと、わずかにリーフより彼女のほうが背が低い。それでもこの場で主導権を握っているのは、圧倒的に彼女だった。


「ここは……」


「《世界樹の図書館》。エルフの隠れ里だよ。エルフ以外の種族が足を踏み入れるのは、極めてまれなことだけどね」


 ティアに手を引かれ、リーフはみきの上段へと登るロープウェイに乗った。花飾りでくるまれた木製のゴンドラは、乗り込むと、ほのかに甘くて爽やかな、みつとミントの香りがした。


 夢見心地で上昇し、気がつくと、リーフは世界樹の最上段――標高数百メートルに浮かぶ、ティアの部屋の中にいた。


 世界樹のみきをくり抜いたような空間に、たくさんの本棚と、滑らかなシーツのかかったベッドが置いてある。それほど広い部屋ではなかったが、妙なほど心が落ち着いて、居心地が良かった。


 夕空は山裾やますそへ沈み、すっかり夜になろうとしていた。燭台しょくだいに火を灯したティアが、「そこにかけておくれ」とベッドを示したので、リーフは遠慮しながらもそこへ座った。


 シーツは柔らかく、小川の流れのようにひんやり、スベスベしていた。生地からして人間や魔族のそれとはモノが違う。


「リーフ」


 いつの間にか隣りに座っていたティアが、耳元で甘くささやいた。


「今日の決闘、一目見たときから、君に目が離せなかったよ」


「わっ――」


 甘い香りが舞ったかと思うと、リーフはベッドに背中を打ちつけていた。柔らかすぎてまったく痛くない。上にのしかかったティアの白い髪が、リーフの顔をくすぐった。


 あどけなさと妖艶さが絡みあうティアの美貌が、ロウソクのに照らされてかげる。


「えっ、と……」


 困惑するリーフをよそに、ティアは上体じょうたいを隙間なくリーフに密着させると、その指でリーフのほおを撫でた。鼻が触れ合うほどの距離までゆっくり迫ると、彼女の青い瞳はいっそう美しく見えた。その目が細められ、小さな唇がそっと開く。


 風も吹いていないのに、ふっ、とロウソクが消えた。



「魔人が、人間の国になんの用かな」



 心臓がバクンと跳ね上がった。リーフの肌に指を這わせ、ティアは妖しく笑う。


「《賢者》ほどではないが、ボクも【光魔法】には一家言いっかげんあってね。素晴らしく繊細せんさいで、美しい術式だ。これも君の魔法かい?」


「いや、これは」


 反射でオトの名前を出しかけて、リーフは慌てて口をつぐんだ。魔人の存在を隠蔽いんぺいしたとなれば、オトまで責を問われるのではないか。


「あはははっ、君は本当に友達思いなんだなぁ。友達を売ることもできなければ、友達の優れた魔法を自分のものと偽ることもできない。結果的に、全てを白状したのと変わらないね」


「……どうして、僕をここに連れてきたんですか」


「確かめるためだよ、魔人君」


 ティアは更に、全身を押しつけるようにリーフに密着した。はだけたローブのすそから、なまめかしい肩や脚がこぼれる。


 なんだか気が遠くなる。何か、体の活力をしぼり取られているような感覚。


「うっ……」


「動けないだろう? こうしている間、ボクは君から魔力を吸い上げることができる。あぁ……君の魔力は美味おいしいね、こんなに濃いのは初めてだよ……」


 白い肌をわずかに紅潮こうちょうさせ、目をとろけさせながら、耳元で悩ましい声を上げる。


「君の秘密は誰にも話していない。君が魔人だと、知っているのはボクだけ。さぁ、こんなに密着しているんだ。さっきの【破壊魔法】で、今ならボクを簡単に消し飛ばせるだろう? それとも、このまま吸い尽くされたいの?」

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