剣聖-2
不思議と、逃げようという気は起きなかった。もともと、リーフはそんなに「生きたい」という気持ちが強くない。誰からも必要とされていない自分は、いつ死んでも構わないと思っていた。
ただ、それとは関係なく、淡い紫色の光に照らされたその冒険者の、あまりの美しさに
小さな頭の後ろで
冒険者として鍛え抜かれた反応速度で、既に剣がリーフの首を斬り落とすべく閃いていた。
どうして自分は生まれてきたのか、ずっと分からなかったけど。最後にこの人に殺されるのなら、悪くないのかもしれない。
命を差し出し、目を閉じたリーフの首筋スレスレで、ピタリと剣が止まった。その瞬間、鼻を貫く、血の
「え?」
異変を感じて目を開けたリーフの前で、女剣士はその場に崩れ落ちた。彼女の白装束を、見る見る広がる赤い血溜まりが汚していく。
見れば、背中に無数の刺し傷があるではないか。出血がひどく、とても動ける傷じゃない。今生きているのが不思議なくらいだ。
なにか考えるより早く、体が動いていた。弱りきった体に鞭打って、リーフは女剣士の傷口に右手をかざすと、ありったけの魔力をかき集めて【回復魔法】を発動した。
強烈な紫色の閃光が洞窟内を昼間のように照らす。発動した瞬間、ぐわりと目まいがした。構わず歯を食いしばって出力を上げる。青白い少女の顔に、僅かに生気が戻りかける。
「頑張れ! 気持ちをしっかり持つんだ!」
声を張り上げ、必死に少女を鼓舞しながら、ついに魔力の残りカスを振り絞り尽くした。光が消える。少女の傷は、塞がった。それを確認した瞬間、目を開けていられなくなって、そのまま意識が途切れた。
クリーミーないい匂いで、目が覚めた。
リーフは寝ぼけた頭で、オレンジ色に照らされる洞窟の壁を見つめた。あたたかい。焚き火の炎と、自分の体にかけてあった、白いマントのおかげだった。
「起きたか」
女剣士が、寝ていたリーフのそばで焚き火をこしらえ、鍋を火にかけていた。中身はなんだろうか。ミルクとクリームの、ほのかに甘くて優しい匂い。
「まずは水を飲め。脱水がひどい。胃が落ち着いたら飯にしよう」
体を起こし、差し出された皮の水筒を受け取ったものの、それに口をつけるのがなんだか
「どうした? 早く飲め」
「でも……」
小さい頃から、自分が口をつけた飲み物は誰も飲みたがらなかったから、リーフはためらっていた。まして相手は人間だ。魔族のくわえた飲み口なんて触れたくもないはず。
「飲まないなら、口移しでもして無理やり飲ませるぞ。命の恩人に死なれては私の気が収まらん」
リーフは慌てて水筒に口をつけて、少し飲んだ。冷たくて、一気に水分が全身に行き渡った気がした。
控えめな性格でも抗えず、二度、三度飲んで、リーフは丁重に水筒を返した。
「ありがとうございます……生き返りました」
「礼を言うのはこっちだ」
水筒を受け取ったかわりに、女剣士は無骨な表情で、鍋の中身をよそった小皿を渡した。
「これは、なんのスープですか?」
「魔族はシチューを食わんのか。美味いぞ。冒険者はみんなこれが好きだ。何を入れても美味くなるからな」
得体のしれない食べ物を、リーフは木のスプーンで少しすくって口に入れた。
舌に、電流のような衝撃が走った。
とろみのあるスープに、ミルクの柔らかい甘さと、肉と野菜とキノコの旨味が全部詰まっている。夢中でスプーンを動かす内に、あっという間に器が空になってしまった。
「泣くほど美味かったのか?」
かすかに笑いながら言われて、自分が泣いていることに初めて気づいた。
「えっと、なんでだろう……こんなふうに誰かと一緒にご飯を食べるの、初めてだからかも……」
女剣士は眉を細め、何かを想像した顔になった。
「改めて、命を救ってくれたこと、本当に感謝する。この恩は一生忘れない」
こちらが恐縮するほど丁寧な所作で正座し、両手と頭を地面につける女剣士に、リーフはあわあわ両手を振った。
「いいですよ、このご飯で十分です!」
「……どうして、私を助けた? お前を殺すかもしれないのに。そうでなくても、私はお前の仲間を、数え切れないほど殺してきたぞ」
「どうして、って……」
リーフは真剣に悩んだ。全く分からなかったから、逆に
「命を助けることに、理由が必要なんですか?」
女剣士は目を見開いて、しばし絶句したあと、あはははっと声を上げて笑った。その笑顔が思った以上に幼く、可愛らしくて、また見惚れてしまった。
「変な魔族だな。勇者に聞かせてやりたいくらいだ。お前、名前は?」
「リーフです」
「リーフか。私のことはアルテと呼んでくれ」
そう言ってアルテは、リーフの器にシチューのおかわりを注いでくれた。
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