第3話 テンカウントが聞こえるか
テンの「兵器人生」の始まりは、孤児院に世話になっていた十五の時だった。兵器人間になる素質を持つ人間は判明すると同時にほとんど問答無用で施設に連れていかれる。それは少年だったテンも同じだった。
戦争に従事することに抵抗を示す者も多かったけれど、テンはと言えば十五のうちに孤児院を出て働かなければいけなかったので「ちょうどいいや」とこころよく引き受けたのである。てっきり抵抗すると思っていた国の連中がぽかんと間抜け面を晒していたのは今思い出してもテンの笑いの種だ。
そうして兵器を身に着けたテンは数年間十五歳の体のまま、戦争に明け暮れた。人を殺すのに抵抗がないわけではなかったけれど、仕事を引き受けていればフカフカのベッドを独り占めできたし美味い飯も食えた。食事や毛布を奪い合っていたあの頃とは大違いだ。
だからそれでいいと思っていたのだ。
それが今さらになって違うと言われ、正されようとしている。
そういう生き方を与えたのは周りなのに、それを奪おうとしているのも周りなのだ。
「テンは、何か好きなことはありますか?」
そんなことを考えながらぼぅっとソファでだらけていたテンの横にジョーカーは腰を下ろすと、抑揚のない声で問いかけてくる。
「……美味い飯が好きかな」
「それじゃあ、料理人なんてどうですか?」
「食うの専門だよ」
生きるのに必要な栄養が取れればそれでよかったけれど、欲を言えば美味い方がいい。この施設で食事を作るのはもっぱらクイーンやエース、ジャックの仕事だ。彼らが作る料理はそれぞれ出来の良さも味の濃さも違ったけれど、食べているとたまに孤児院でのことを思い出すから不思議だった。
人間に戻って彼らと離れ離れになったらもう食べられなくなるのだろうか。そう思うと少し胸の奥がうずくような、気がする。そんなむずがりを見て見ぬ振りしながら、テンは隣に座る彼の方をちらりと見やる。
「オレ、暮らすならジャックと一緒がいいんだけど」
ジャックは来たばかりのテンの面倒をよく見てくれた良い奴だ。戦闘向きではなくどちらかというと参謀寄りのジャックのことを、テンはよく気に入っていたし同時に守らなくちゃいけない存在であると感じている。
だからこれからも守ってやらなきゃ、と思ってそう言いだしたのだった。
ジョーカーはと言えばそんな彼に視線を向けた後、少し困ったように眉を下げる。けれど彼が何か言うよりも早く、後ろから伸びた腕が二人まとめて肩を抱いた。
「それなら俺とクイーンも一緒に暮らしたいな。それを機に結婚もしたい」
「エース」
上からのぞき込めば、エースの長い黒髪が僅かにほほにかかる。鬱陶しくて手で払うテンとは対照的にジョーカーは除けもしないでその真っ黒な瞳をエースへと向ける。
「ああ、お二人は恋人同士なんですね」
表情の乏しいオニキスの瞳がわずかに緩められる。
ああ、コイツはそんなことで喜ぶのか、とテンはなんだか意外に思った。他人の幸せを喜べる情緒というのを持ち合わせているんだな。それは正しく育った、まさしく人間であるように思えた。
「いや、これからなる予定なんだ。今は全くと言っていいほど好かれてない」
けれど悲しいかな。それは全くもって見当違いの喜びである。思わぬ答えにフリーズするジョーカーの様子がおかしくって、くつくつと笑いながらテンは肩を叩いた。
「こういうやつなんだよ」
「……よく理解しました」
一度咳払いをして話をもとに戻すようにジョーカーはテンへと向き直る。
「もしあの人と共に暮らすのがお望みなら、よく本人と話し合った方がいいですよ」
そうして告げられたのは意外な答えだった。
「ジャックの方はどうやら、あなたと過ごすつもりは無いようですから」
「……ふぅん」
どう答えるのが正解か分からなくって、テンは絞り出すような声でようやく相槌を打つ。重い沈黙を最初に破ったのはまたしてもエースだった。
「なんだお前ら。喧嘩でもしたのか?」
頭を撫でながら発されたやけに明るいその声は、自分を元気づけるためのものだといやでもわかってしまった。気遣われたのが無性に空しくって、テンは眉間に皺を寄せると頭に置かれたエースの手を振り払う。
「……わかんねえよ。オレが知らないうちに何かしたのかもしれない」
けれどジャックがテンに怒ったことなんて、テンが知る限りでは一度もなかった。だからやけに胸騒ぎがして胸元の当たりをぎゅうと握れば、くしゃりとシャツの皺が寄る。
「まあ、なんにせよ本人に聞いてみなくちゃわからないだろ」
もっともな答えに、テンは返す言葉も持たずにこくりと素直に頷いた。
「……もしかして、自分は余計なことを言いましたか?」
やけに静かにしていたジョーカーがようやく口を開いたかと思えば、そんなことを口にするものだからエースはふは、と思わず笑いをこぼす。
どうやらジョーカーは頭はいいようだが少し、いやかなり人の機微には疎いらしい。それはテンも同じだから、代わりにエースが答えてやる。
「いや、こういういざこざは早めに片付けといた方がいいんだよ。だから大丈夫」
そう言ってからエースはもう一度テンとジョーカーの肩を叩くと白い歯を見せて笑った。
「ほら、踏ん切りがつかないなら俺がカウントダウンしてやろうか。いーち」
「うるさいな。いらねえよ」
揶揄うようなそぶりに憤慨して今度こそテンはエースの肩に軽く一発食らわせる。そうすればイテテと情けない声をあげてエースがうずくまった。エースは戦闘能力は低くはないのだが、どうも受け身に弱い嫌いがある。
「ジャックのことだし、どうせ大したことじゃないんだろ。ハッキリ聞いてきてやるよ」
すっかりいつもの調子を取り戻したテンの姿を認めて、痛み混じりにエースが口の端を緩める。
「はいはい、いってらっしゃい」
そう見送られてテンが向かった先はジャックの私室だった。ドアの隙間から光が漏れていて部屋の主が在室であることを伝えてくれる。
ドアノブに手を伸ばしかけて、けれど握ることは叶わない。
もし、もし本当にジャックがオレに怒っていたらどうしよう。
そんなことが頭をよぎって、けれどテンは大きなため息を吐いたかと思うと軽く自分の頬を殴った。
だったらなんだ。ジャックは今までへそを曲げたオレに何度も根気強く付き合ってくれたじゃないか。
それなら今度はオレがアイツに付き合う番だ。
そう考えて、もう一度ドアノブに手を伸ばすと今度はしっかりと握る。
そして心の中で十秒数えた後、テンは勢いよく扉を開いたのだった。
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