繰り返すこと

あかな

めぐる道の途中

21回目。

多いような少ないような数字。


誕生日だったら若い!イイね!

(30半ば過ぎた今では)。

何かの記念日なら『一端に成った』

所でしょうか。

これからを考えてこの先を見据える時期。


一方、過ぎ去った時をふりかえる節目にも使う事がありますね。

例えば誰かの『何回忌』とか。

逝ってしまった人を偲んで集まってしみじみしたり。


何月何日は去年もあったし来年も来る。

だけど同じ日は二度とこない。

わかっているようでなかなか実感するのは難しい。

21年前のことを正確に思い出す事などまず出来ません。

『何か』がなければ。


年単位だけが『回目』ではありませんね。

訪問回数等の『何回目の何々』とか。

その場合『何度目』の方が使われるかな?


一つ確かなのは、数える事が出来るのは生きているからこそ。

これだけは間違いない。

「生きている」とは「死者と生者」の区別だけではなく「活動している」かどうかでもあると最近気がつきました。


「一日千秋」

一日が非常に長く感じられる事と辞書にありますが。

逆に「千秋一日」って感じの人達だっている。


年齢で言えば遥かに上でも(悪い意味で)子供の様な人は結構いる。

物言いや行動にあらわれる人柄は、年齢を重ねれば厚み深みを持つものではないのだと。

当然お金も、さらには国境も。


『何回目』に意味があるのは見ている人、聞いている人なのだと気がついて、これからどうするか、自分はどうしたいのか……。

『21回目』の歳に気づいていればなぁ

と思うことしきり。

悔やむだけでは何も変わらないけれど、

悔やまずにはいられません。


これから自分は生きていけるかな?








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繰り返すこと あかな @koubai_1024

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