興味のないふりも限界だ

 結局水無瀬が誕生日プレゼントに選んだのは、華奢なピンクゴールドのネックレスだった。シンプルなデザインで、小さな雫のモチーフがついているものだ。いくつか候補を提示された中で、最終的には俺が選んだ。


「やっぱりすごく可愛い! ありがとう悠太!」

「どういたしまして」

「目立たないから、学校にもつけていってもいいかな?」

「好きにしろよ」

「ねえねえ、今もうここで開けてもいい!? 今すぐつけちゃいたいよー!」

「ダメだ。部屋に帰ってからにしろ。落としたらどうする」

「悠太のケチー!」


 ぎゃあぎゃあうるさい水無瀬の手を引いて、いつものスーパーで夕飯の買い物をしてから、彼女の部屋へと帰ってきた。

 水無瀬のリクエストに応えて、今日の献立は和食にした。鯵の南蛮漬けに小松菜と油揚げのおひたし、新じゃがと新玉ねぎの味噌汁。

 てきぱきと料理を作る俺のことを、水無瀬はいつもニコニコと眺めている。一体何が面白いのか、未だによくわからない。

 揃いの茶碗に米をよそって、二人仲良く「いただきます」と手を合わせる。幸せそうに俺の作った飯を作っている水無瀬の顔が、世界で一番好きだ。


「誕生日っぽくないメニューで悪かったな」

「ううん! すっごく美味しい! やっぱり悠太の作ったごはん大好き!」


 俺の作った飯を毎日のように食べているのに、未だに新鮮な反応を返してくれる彼女が愛おしい。しかしその愛おしさを必死で押し込んで、「大袈裟な」と肩を竦める程度に留めておいた。相変わらず、俺の演技力はアカデミー賞ものだ。


 夕飯を平らげ、後片付けまで終えたところで、冷蔵庫から箱を取り出した。今朝、俺が冷蔵庫に入れたものだ。

 流しの上にある棚から皿を出して、箱から出したものを崩さぬように綺麗に乗せる。なかなかの出来栄えだ。あとで写真に残しておこう。


「水無瀬」

「なあにー?」


 ソファに座ってテレビを見ていた水無瀬は、こちらを向いて――大きな目を目を丸くした。俺が手にしているものを見て、信じられないという顔をしている。


「……え!? な、なにこれー!?」

「……見りゃわかるだろ」

「うわああ! す、スゴすぎるー!」


 すっとんきょうな声をあげた水無瀬が、勢いよく立ち上がる。ローテーブルの上に、生クリームとイチゴのたっぷり乗ったデコレーションケーキを置いた。もちろん、俺の手作りである。


「ふぎゃー! ぷ、プロのやつだ……! 悠太が作ったんだよね!? このホイップクリームの美しさ、何事!?」

「たぶん味は普通だぞ」

「こ、これ、私の誕生日ケーキだよね!?」

「それ以外に何があるんだ」

「うわあ、バレンタインのオペラもびっくりしたけど……こ、こんな……こんなサプライズしてくれるなんてー! 悠太、やっぱりソツのない彼氏すぎるよー! 愛してるー!」


 別にそんな大袈裟なことではなく、俺が作りたいから作っただけだ。スポンジの上に生クリームを絞り出すのも、なかなか楽しかった。

 俺が照れて頭を掻いていると、水無瀬が勢いよく胸に飛び込んできた。今回ばかりは、引き剥がさずにそっと背中に腕を回す。これぐらいは許されるだろう。


「……誕生日、おめでとう」

「ふへへへへ……ありがと、悠太ぁ」

 

 不気味な笑みを浮かべる水無瀬の背中を、俺は優しく撫でてやる。ぎゅーっとしがみついてくる彼女の身体は柔らかく、甘い香りが漂ってきた。烏丸百合花も同じ香水を使っているはずだが、こうしてみるとやっぱり全然違う。水無瀬自身から立ち上ってくる香りなのだろうか、だなんて気持ち悪いことを考えてしまった。


「ね、悠太」

「……んだよ」

「これ、悠太につけてほしいなあ」


 そう言って、水無瀬は華奢なチェーンのネックレスを俺に手渡してきた。くるりと俺に背を向けて、「はい」と長い髪を持ち上げる。細く長い首から肩甲骨にかけての美しいラインが現れて、どきりと心臓が跳ねた。

 小さな金具を外して、ネックレスを首に巻きつける。彼女の頭の上から覗き込むと、鎖骨からなだらかな膨らみに続く肌がはっきりと見えて、眩暈がしそうになった。奥歯を噛み締めて、首の後ろで金具を止める。僅かに指が震えていたせいか、一回失敗した。


「……できたぞ」


 水無瀬は再び、くるりと回ってこちらに向き直った。ネックレスについた雫型のチャームが、蛍光灯の光を反射してきらりと輝く。焦茶色の瞳は僅かに潤み、頰が薔薇色に紅潮している。ただでさえ美しい水無瀬ひかりは、俺に見せる顔がもっとも可愛いと自信を持って言える。


「ネックレス、大事にするね!」

「……あ、そ」

「最高の誕生日だよ……悠太、ありがとう。大好き……」


 ――俺だって、いや俺の方が、おまえのことが好きだよ。

 耐えきれずに、俺は水無瀬のことを抱きしめていた。腕の中に閉じ込めた彼女の身体が、緊張で強張るのが伝わってくる。バクバクとうるさく響く心臓の音が、彼女のものなのか自分のものなのかわからない。


「……俺も、好きだ」


 水無瀬は「ありがと」と微笑んで、俺の胸に頰を擦り寄せてきた。ひとまず、拒絶されなかったことに安堵する。

 彼女に想いが通じてからも、こうして好意を口にすることは滅多にない。水無瀬は優しくするよりも冷たくする方が喜ぶ変な女だし、下手に押しすぎると照れた彼女に返り討ちにあってしまう。俺は未だに手探りで、ほんの少しずつ確実に、彼女との距離を詰めている。

 普段ならばきっと、このあたりで止めて「さっさとケーキ食おう」と提案していた。しかし今日の水無瀬があまりにも可愛くて、初めて触れた肌はすべすべしていて、ほんの少し、理性が傾いだ。


「……っ、ゆっ、ゆうた!」


 剥き出しの肩に顔を埋めると、水無瀬が慌てた声を出す。甘い吐息が耳をくすぐる。細い腰をしっかりと捕まえて、逃げ道を奪う。白い肌に唇を這わせると、びくっと彼女の身体が跳ねた。肩から首へと、滑るように唇を移動させる。


「まっ、えっ、ちょっ、ゆっ、ゆゆ悠太、やめ……」


 慌てたような、戸惑ったような、彼女の声が頭の上から聞こえてくる。鼻腔を満たす髪の香りに頭がぼうっとしてくる。日頃はしっかり締められている理性の箍がゆるゆるになっている自覚がある。

 それでも俺は今、どうしようもなく彼女のことが欲しい。


「……ひかり」


 耳元でそう囁いた途端に、腕の中にある彼女の体温が上がる。彼女のファーストネームを口にするのは初めてだった。一度呼んでしまうと驚くほど口に馴染んで、どうして今まで呼ばなかったのだろうかと不思議になる。

 形の良い耳に唇を這わせ、やや厚みのある耳朶をそっと食んだところで、さすがに彼女の限界がきたらしい。


「だ、だ、だ、だ、だめーーー!!!!」


 ひかりの馬鹿力に全力で突き飛ばされた俺は、無惨にも床の上にひっくり返った。後頭部と背中をしたたかに打ちつけて、ゴン、と鈍い音がする。ズキズキという痛みのおかげで、ようやく頭が冷えた。


「! ご、ごめんね悠太!」


 我に返ったらしいひかりが、慌てて俺を抱き起こす。ズキズキと痛む頭をさすりながら、なんとか起き上がった。

 ……ああくそ、ダサすぎる。


「ごめん……ごめんねえ……痛かったよね……」


 何故だか、こちらを見つめるひかりの方が涙目になっていた。そんなに申し訳なさそうに謝られると、罪悪感で死にたくなる。どう考えても、俺がやりすぎた。まだ唇へのキスさえ許されていないというのに、肩や耳を舐めるとは何事だ。踏むべきステップを三段階ぐらい飛ばしてしまった気がする。


「……いや、今のは俺が悪い……ごめん、ひかり」


 そう詫びた俺は、そっとひかりの背中を撫でてやろうとする。しかし手を伸ばした瞬間に、びくっと彼女が肩を跳ねさせたので、慌てて手を引っ込めた。行き場のない右手に虚空を彷徨う。

 さっきの俺がしたことは、ひかりが嫌悪してやまない元カレがしでかしたことと、少しも変わらない。彼女の意思を無視して、強引に事を進めようとして怖がらせてしまった。そんな自分が忌々しくて、ぐっと拳を握りしめる。

 ――俺は一体いつまで、ひかりにとって〝安心できる彼氏〟でいられるんだろうか。


「……ごめんね。キスもさせてあげられない彼女で、ごめんねえ……」

「なんでおまえが謝るんだ」

「……悠太。私のこと、嫌いにならないでね……」

「ならねえよ」


 涙声のひかりに、きっぱりと答えてやる。そうすると、彼女はほっとしたように小さく息をついた。

 俺はぱちんと己の両頬を叩くと、「ケーキ食うぞ」と立ち上がる。「うん」と頷く彼女の笑顔を全力で守り抜くために、理性の箍をしっかりと締め直した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る