ジェネリックひかり

 新学期が始まって、一週間が経った昼休み。俺と水無瀬がいつものように書道部部室で昼飯を食っていると、友人の相川透が「おれらも混ぜてー」とやって来た。透の彼女である長岡瑠衣も一緒だ。どうやら食堂が混雑していたらしい。


「そういえば悠太。隼人から聞いたけど、なんか新しいクラスでも美少女に言い寄られてるんだって?」


 透とはクラスが離れてしまったため、新しいクラスはどうだという雑談を交わしていたのだが、唐突に爆弾を放り投げてきた。

 烏丸百合花が俺に興味を示していることは、別のクラスである透の耳にも入っていたらしい。俺の作った弁当を食べていた水無瀬の手が、ぴたりと止まる。


「別に、言い寄られてるわけじゃねえよ」

「休み時間のたびに話しかけられて、連絡先聞かれて、ベタベタ手握られてるだけだもんねー」

「……水無瀬。俺のぶんのシュウマイも食っていいぞ」


 拗ねたように言った彼女の機嫌を取るべく、俺は生贄を差し出した。途端に笑顔になった水無瀬は、満足げに俺の作ったシュウマイを口に運ぶ。昨日の夜に蒸し器で作ったもので、タケノコの微塵切りが入っているのがポイントだ。

 相変わらず俺は烏丸のことを適当にあしらっているが、彼女はめげる様子もない。烏丸が俺に話しかけるたびに、何の関係もない新庄が憤慨するという事態が起きていた。周りはそれを半ば面白がって見守っている。

 水無瀬は教室では「まったく気にしてませんけど?」という余裕綽々のポーズを取り繕っているが、俺と二人きりになると露骨に機嫌が悪くなる。昨日の夜も、ビデオ通話で二時間ほど愚痴られた。


「悠太、なんでこんなにモテるんだろうな。やっぱ、美女にデレデレしないところがいいのかね」

「知らねえよ。顔の良い女は苦手なんだよ」

「学校一の美少女捕まえといて言うセリフじゃないよ、それ! 今、絶対全校生徒を敵に回したよ!」


 長岡は立腹したが、水無瀬は頰を赤らめて嬉しそうにしている。水無瀬は自分にデレデレしない俺のことが好きなのだ。内心はそこそこデレデレしているが、表に出なければまあ良いのだろう。興味のないふりをするのもなかなか大変だ。


「しかし水無瀬さんの彼氏に言い寄るとは、無謀な女子もいるもんだなー。そんなに美人なん?」

「……まあ、たしかにきれいな子だよ。私ほどじゃないけど!」

「ねえヒカリーナ。それって、もしかして烏丸百合花……烏丸さんのこと?」

「そうだよ。瑠衣ちゃん、知り合い?」


 長岡の問いに、水無瀬は訊き返す。長岡はやや言いにくそうに、言葉を選びながら答える。


「……うーん。ほとんど関わりないし、友達ってわけじゃないけど……透くんは、去年委員会一緒だったよね?」

「あー、烏丸さんね。おれも別に仲良くはないけど。なんか影で、ジェネリックひかりって呼ばれてるよな」

「……ジェネリックひかりぃ?」


 突拍子もない単語に、俺と水無瀬は声を揃えて復唱した。


「こら透くん、余計なこと言わない!」


 長岡はそう言って、透のみぞおちにゴスッと肘鉄を入れる。透が激しく咽せているうちに、水無瀬は長岡に尋ねた。


「ジェネリックひかりって、なに?」

「ううん……ヒカリーナはあんまりいい気分しないかもだけどぉ……ほら、烏丸さんってヒカリーナにちょっと……似てるでしょ?」

「えーっ、似てるかな? 悠太はどう思う?」


 水無瀬は眉を寄せて、不服そうに尋ねてきた。


「雰囲気はちょっと似てる」


 実際そう思っていたので、正直にそう答えた。水無瀬は気に障ったのか、むーっと頰を膨らませる。


「なんでぇ! どう考えても、私の方が絶対可愛いよね!?」

「それは当たり前だろ。わかりきったこといまさら聞くんじゃねえよ、バカ」

「……ねえ透くん。わたし一体何を聞かされてるの?」

「バカップルのノロケかな」


 バカップルにバカップルと言われてしまっては、この世の終わりだ。透と長岡に呆れた視線を向けられ、俺はコホンと咳払いをして誤魔化す。


「……とにかく。顔立ち自体は、そんなに似てない。化粧とか髪型を水無瀬に寄せてるだけだろ」

「おっ、上牧意外とするどーい。よくわかったねえ。男子はメイクに騙されがちなのにぃ」


 珍しく俺を褒めた長岡が、パチパチと拍手をする。「たぶん香水も同じ」と付け加えると、「そこに気付くのはちょっと気持ち悪い」とドン引きされた。

 女の顔は化粧でどうとでも変わるというのは、うちの姉ちゃんを見ていたらよくわかる。彼氏の趣味に合わせて髪型やメイクを変える姉ちゃんは、新しい彼氏ができるたびに雰囲気がガラリと変わるのだ。


「ヒカリーナは上牧と付き合い始めるまで、難攻不落の高嶺の花だったじゃない? ヒカリーナに振られた男どもが、こぞって烏丸さんに告白して付き合い始めるんだよ。それで、ついたあだ名がジェネリックひかり」

「誰がうまいこと言えと」


 いくらなんでも、あんまりな言い草だ。俺はだんだん腹が立ってきた。ただの軽口とは言え、他の女を自分の恋人の代用品呼ばわりされるのは、なんとも言えず不愉快である。烏丸も気分の良いものではないだろうに、それでいいのだろうか。


「……ごめんねヒカリーナ。こんな風に言われるの、嫌だよね。わたし、余計なこと言ったかも」


 眉を寄せて腕組みをしている水無瀬を見て、長岡はしゅんと眉を下げた。水無瀬は慌てたように笑顔を向ける。


「気にしないで。瑠衣ちゃんが悪いわけじゃないから」

「あと、その……これは噂だから、真偽のほどはわからないんだけど」


 長岡はチラリと俺の方を見てから、やや言いにくそうに続けた。


「……烏丸さん。中学の頃も似たようなことしてたんだって」

「似たようなこと?」

「クラスで一番可愛い子の真似する、みたいな。服装とか持ち物とかも、全部同じもので揃えて……」

「あー、たまにいるよね。そういう子」


 水無瀬は肩をすくめて苦笑した。女子同士のことはよくわからないが、そんなによくあることなのか。憧れのアイドルの真似をするような感覚に近いのかもしれない。


「……ただ、ね。烏丸さん、最終的に、その〝一番可愛い子〟の彼氏のことも略奪したらしいの」


 水無瀬の表情が凍りついた。縋るように、俺の制服の袖を握りしめている。

 何を心配しているのかは知らないが、馬鹿げた話だ。彼女によく似た女に言い寄られたところで、俺の気持ちは少しも揺らぎはしない。


「アホらし」


 俺はそう斬って捨てたが、水無瀬は浮かない表情を浮かべたままだ。なんだか見ていられなくなった俺は、ふたつめのシュウマイも彼女の弁当箱に放り込んだ。




 放課後、いつもの帰り道。水無瀬が「アイスが食べたい」と言うものだから、二人でアイス屋に寄り道をすることにした。

 水無瀬はさんざん悩んだ挙句、キャラメルリボンと塩レモンと北海道ミルクのトリプルを選んだ。食い合わせが悪そうなチョイスだと思ったが、彼女いわく「甘々とさっぱりとその中間のトリオがいいんだよ!」らしい。

 横並びの席に腰を下ろして、カップに入ったピスタチオとヘーゼルナッツのアイスを食べる。どちらも定番の味で安定感がある。次に来たときはメロンソルベにしよう。水無瀬はコーンに乗ったアイスを溶ける前に食べ切るべく、必死で格闘していた。


「コーンじゃなくてカップにすりゃ食いやすいのに」

「わかってないなあ、悠太! トリプルコーンはロマンだよ、ロマン!」

「はいはい、さようですか」


 水無瀬は結局手をベタベタにしながらも、トリプルコーンを食べ終えた。ついさっきまではアイスを食べてご機嫌だったのに、トイレで手を洗って帰ってきた水無瀬の顔は浮かない。


「どうしたんだよ」

「うん……なんかいろいろ考えちゃって」


 隣に腰を下ろした水無瀬は、じっと俺の顔を覗き込んでくる。ぱっちりと大きな焦茶色の瞳は憂いを秘めていても、変わらず宝石のように美しい。このままくり抜いたら闇オークションで高値で売れそうだ、と物騒なことを考えてしまった。


「……もし見た目と性能が同じだったら、当然悠太も値段が安い方を選ぶよねえ?」


 水無瀬の問いに、俺は呆れて息を吐く。


「……なんだよ。ジェネリックナントカの話、まだ気にしてんのか」

「気にするよー! 略奪ってなに!? 中学生でそんな昼ドラみたいなことある!? 怖いよ!」


 水無瀬は俺のネクタイを掴んで、ガクガクと揺さぶってきた。胃の中にあるアイスがシェイクされる感覚がする。俺はこいつと付き合い始めてから、心なしが三半規管が鍛えられた気がするぞ。


「……私、悠太に捨てられたくないなあ……」


 どうやら水無瀬は、先日までとは別の方向性で落ち込んでいるらしい。毎日毎日、情緒不安定な奴だ。まあ、あんな話を聞いたのだから仕方がないか。


「俺は当然、見た目と性能がまったく一緒だったら安い方を買う。ジェネリック医薬品にも抵抗ねえし、食材もスーパーハシゴして安売りを求めるタイプだ」

「や、やっぱり!」


 絶望に打ちひしがれた水無瀬の額を、俺は「バカ」と軽く弾く。


「いたっ」

「ちゃんと話を聞け。〝見た目と性能がまったく同じなら〟って言っただろ」

「うう……」

「烏丸百合花はおまえとは全然違う。別物だよ」


 俺にとって水無瀬ひかりは唯一無二の存在で、他に替えなんてきかない。ただ単に見目の良い女と付き合いたいだけなら、誰が好き好んでこんなめんどくさい奴を選ぶものか。


「そもそも、おまえの代わりが他の誰かに務まるとでも思ってんのか。こんな変な女、世界中のどこ探してもいねえよ」

「それってつまり……悠太にとって私は〝おもしれー女〟ってこと!?」

「まあ……そういうことになる……のか?」


 ぱっと表情を輝かせた水無瀬は、胸の前で両拳を力強く握りしめる。


「そういうことなら私、悠太に飽きられないように、もっと面白くなれるように頑張るね!」

「おまえはそれでいいのか? これ以上の面白さは求めてねえよ……」


 俺はめんどくさい水無瀬のことが好きだが、これ以上めんどくさくなるのはさすがに困る。

 明後日の方向に張り切る水無瀬に、「ほどほどにつまらない女を目指してくれ」と溜息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る