私を好きなあなたも大好き

「ね、上牧くん」


 授業終了のチャイムが鳴ると同時に、トントンと軽く背中を叩かれる。俺はまたかとうんざりした。

 前を向いたまま「なに」と答えると、後ろの席の烏丸は立ち上がって、俺の正面に回り込んでくる。


「つれないね。休み時間に雑談ぐらいしてくれないの?」

「しない」


 可能な限り冷たく跳ね除けたが、烏丸は「上牧くんって硬派だね」とニコニコしている。俺は聞こえよがしに大きな溜息をついた。


 新学期が始まり、数日が経った。何が面白いのか、烏丸百合花は毎日のように俺にあれこれと話しかけてくる。できるだけ冷たくあしらうようにしているが、烏丸はまったくめげない。

 ……烏丸といい水無瀬といい、美少女は他人の話を聞かないという習性でもあるのだろうか。


「もしかして、水無瀬さんに気を遣ってる?」


 烏丸はそう言って、前方に座っている水無瀬に視線をやる。

 水無瀬はソワソワと髪を弄りながら、こちらの様子を気にしているようだ。烏丸がニコッと笑みを投げかけると、水無瀬も取り繕ったような笑顔を返してくる。


「別に、あいつに気を遣ってるわけじゃねえよ。おまえに興味がないだけ」

「わあ、一途なんだね。かっこいいな」


 烏丸は両手を胸の前で合わせて、はしゃいだような声をあげる。顔には嘘くさい笑みが貼りついたままなので、なんだかちっとも褒められている気がしない。


「烏丸さん、上牧くんに余計なちょっかいをかけるのは控えてくれないか」


 そのとき俺たちのあいだに仁王立ちで割って入ったのは、新庄だった。険しい表情で烏丸を睨みつけている。

 烏丸はキョトンととぼけた表情を浮かべると、あざとい仕草で首を傾げる。


「ごめんなさい。そんなつもりはなかったんだけど」

「上牧くんは水無瀬さんの恋人なのだから、もっと適切な距離感を保つべきだろう」

「私にとっては、これが適切な距離なの。クラスメイトと仲良くしたいと思うのって、そんなに悪いこと? 私は新庄くんとも仲良くしたいよ」

「君が上牧くんと仲良くすることで水無瀬さんが悲しむのなら、僕はそれを許容するわけにはいかないな」


 美少女の上目遣いにも、新庄は少しも揺らがない。こいつの水無瀬への信仰は、俺から見ても凄まじいものがある。下心のない、見返りを求めない本物の愛だ。こういうのを本当の一途というのではないだろうか、と感心してしまった。

 残念ながら、俺は新庄のようにはなれない。下心だってあるし、見返りだって求めてしまう。俺にとっての水無瀬ひかりは信仰すべき女神ではなく、可愛い恋人なのだから。

 ……もし可愛い恋人が悲しんでいるなら――新庄ではなく、彼氏の俺がなんとかしなければならないのだろう。

 笑顔を浮かべながらバチバチと火花を散らしている二人を無視して、俺は不安げな水無瀬の顔ばかりを見つめていた。




 放課後になると、いつも水無瀬は俺のところまですっ飛んできて「悠太、一緒に帰ろう!」と言ってくる。

 しかし今日の俺は、水無瀬が来るよりも早く立ち上がり、スタスタと彼女のところまで歩いて行った。


「水無瀬、帰るぞ」

「え? う……うん」


 俺は戸惑う水無瀬の腕をぐいと掴んで立ち上がらせると、教室を出て行く。交際して一年も経つと、周囲から冷やかされることもほとんどなくなった。「ああまたイチャついてんな」と白い目で見られるだけである。

 普段は自分から腕を絡めてくる水無瀬は、強引な俺の行動に目を白黒させている。学校を出てしばらく歩いたところで、ようやく水無瀬から手を離した。


「ど、どうしたの? 悠太ってば強引だなあ」


 そう言いつつも、やや乱暴に連れて来られた水無瀬は頰を赤らめて嬉しそうにしている。こいつは俺にちょっと雑に扱われるのが好きなのだ。

 俺は水無瀬に歩幅を合わせてゆっくり歩きながら、素早く唇を湿らせて切り出す。


「……烏丸のことだけど」


 烏丸の名前を出した途端、水無瀬の表情がさっと曇る。唇を噛み締め、しょんぼりと下を向いてしまった。

 水無瀬が悲しそうにしていると、俺の胸は締めつけられそうに苦しくなる。こいつにはいつだって、アホ面でヘラヘラ笑っていてほしいのに。


「俺、マジであいつに興味ねえから。物珍しいのか知らねえけど、向こうが勝手に話しかけてくるだけで」

「……それは、わかってるよ」


 水無瀬は頷いたが、まだ顔を上げてはくれない。心からの言葉のはずなのに、なんだか言い訳めいた響きになるのは何故だろう。彼女の不安を上手に解いてやれないのがもどかしい。


「その……だから、えーと。おまえが不安に思ってることとか、俺にもっとこうしてほしいとか、そういうことがあったら……ちゃんと言ってくれ」


 水無瀬は俯いたまま、制服のスカートをきつく握りしめている。焦茶のロングヘアがまるでカーテンのように顔を隠しているため、表情がよく見えない。

 手を伸ばして軽く髪をかきあげてやると、水無瀬は潤んだ瞳でこちらを睨みつけていた。


「…………だって、ずるいよ」

「……え?」

「……わ、私だって……たまには、悠太にあんな風に邪険にされたいー!」

「はあ?」


 予想外の発言に呆気に取られる。水無瀬は握り拳を作ると、ポカポカと俺の胸を叩いてきた。なかなか可愛い仕草だが、実のところかなり痛い。的確に急所を狙ってくる。


「ずるいずるい! 悠太の塩対応は私だけのものなのにー! 私だって、興味ねえよって言われて手振り払われたい! 話しかけても邪険にされて無視されたい! ゴミを見るような目で見られたいー!」

「……そういえば、おまえそこそこ変態だったな」


 最近は忘れてかけていたが、そもそも水無瀬ひかりは「自分に興味のない男が好き」だったのだ。好きな男に冷たくされることにときめく、歪んだ性癖の持ち主なのである。


「悠太に冷たい目で見られるなんて、ご褒美すぎるよ……ずるいよお……」

「……じゃあ、あれか。俺、もうちょっとあいつに優しくしてやった方がいいのか?」

「やだやだー! それは絶対やだー! もっとやだー! 私以外の女の子に優しくなんかしないでー!」

「完全に詰んでるじゃねえか……」


 子どものように駄々を捏ねる水無瀬に、俺は頭を抱えたくなった。冷たくしても優しくしても嫉妬するなら、一体どうすればいいのだ。もう俺にできることは何もないぞ。


「あっ、その心底呆れた顔いい……付き合い始めたあの頃を思い出す……」


 うっとりとした瞳で見つめられて、俺は水無瀬の額をぱちんと指で弾く。彼女は嬉しそうに「えへへ」と額を押さえた。こんなことで喜ぶなんて、本当に変な女だ。


「結局、おまえは俺にどうしてほしいんだよ」

「うん……悠太にはこれからもずっとできるかぎり愛されていたいけど、それはそれとして、付き合った当初の悠太の塩対応が恋しくなるんだよ……」

「はあ、そうですか」

「今、めんどくさいなコイツって思ってるでしょ!」

「おまえと付き合ってから毎秒思ってるわ、んなもん」


 水無瀬ひかりがめんどくさいのは、別に今に始まったことではない。そんなことぐらい百も承知で、俺は水無瀬ひかりの彼氏をやっているのだ。

 俺は水無瀬の頭に手を置くと、ぐしゃりと乱暴に髪を撫でた。


「おまえがそれで喜ぶなら、興味のないフリぐらいいくらでもやってやる。ただ、おまえに対して烏丸とまったく同じような態度取るのは無理だぞ」

「……えー、なんで?」

「決まってるだろ。おまえのことが好きだからだよ」


 水無瀬の目を見つめてきっぱり言うと、彼女は「ヒィッ」と叫んで両手で頬を押さえてしまった。せっかく人がデレているというのに、失礼な反応だ。


「……も、もう悠太ってば……唐突にイケメン数値上げるのやめてよ……! 悠太、恐ろしい子……!」

「茶化すなよ。もう二度と言わねえぞ」


 俺もさすがに照れ臭かったので、水無瀬を無視してスタスタと歩き出す。後ろから追いついてきた水無瀬が、勢いよく腕にしがみついてきた。歩幅を合わせて心持ち歩くスピードを緩めると、いつもの下校スタイルの完成だ。


「……うふふふふふふ」

「不気味な笑い方……」

「ありがと悠太。私も悠太のこと、だーいすき」


 頰を赤らめた水無瀬は、幸せそうにこちらを見上げてくる。そんな彼女の顔を見ているだけで愛おしさがこみ上げてきたけれど、それを露骨に表に出さない程度には、この一年で俺も鍛えられた。


「自分に興味ない男が好きなんじゃなかったのか」

「悠太はいいの! 私のことが好きな悠太のことも、大好きだよ!」

「……あっそ」


 口では素っ気ないふりをしながらも、胸の内ではひそかに喜びを噛み締めている。乱暴に水無瀬の腕を振り解いたあと、空っぽになった右手をぎゅっと繋いでやった。

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