おとなしく落ちてたまるか

 放課後の教室は、文化祭の準備のために大勢の生徒が残っていた。もちろん部活に向かう奴らもいるが、予定のない生徒は大抵残っているようだ。去年までの俺なら一目散に逃げ帰っているところだが、今日は水無瀬に首根っこを掴まれてしまった。


「みんなでカフェのメニュー考えるから、悠太も協力して!」

「いや、なんで俺が……」

「悠太、調理係でしょ? 当日いきなり無茶振りされないように、手綱握ってた方がよくない?」


 ……まあたしかに、無理難題を押し付けられるのは困る。今のうちに、ダメなものはダメだ、できないものはできないと言っておくべきかもしれない。

 強引に話し合いの輪の中に入れられた俺は、むすりと唇を引き結んで頬杖をついていた。


「やっぱりコンセプトがあった方がいいよね? 和風、洋風、中華とか」

「あー中華いいかも! 衣装もみんなで揃えてさ、チャイナドレスとか着たいー」

「でも中華料理って難しくない? 何作んの?」

「どうせならSNS映えするような料理がいいなー」

「あんまりコストかかるのは無理だぞ。火も使えないからレンチンでなんとかなるやつで」


 好き放題に飛び交う意見を聞いていた水無瀬が、すっと無言で片手を挙げる。その瞬間、自然と周囲の視線が水無瀬に集中した。彼女にはそういう不思議なカリスマ性がある。


「せっかくだし、ハロウィンモチーフにするのはどうかな? 季節的にもちょうどいいし、衣装も料理もかわいくできそうじゃない?」


 水無瀬の提案に、皆は揃って「いいかもー」と好感触を示した。カボチャ料理はどうだとか、こういう衣装を着たいだとか、次第に具体的なアイデアが出てきて、水無瀬はそれを黒板にまとめていく。収集がつかなくなってきたところで、水無瀬がくるりとこちらを向いた。


「ねえ悠太。ハロウィンモチーフのメニューって具体的にどんなのがいいと思う?」

「はあ?」

「悠太、お料理得意だもんね」


 たしかにそこそこできるが、俺が得意なのはありふれた家庭料理ばかりなので、アイデアを出せと言われてもちょっと困る。俺が戸惑っていると、水無瀬の友人である富田とみた菜摘なつみが目を丸くして言った。


「え、上牧料理とかするの? 全然似合わないんだけど……」

「私がお昼に食べてるお弁当、悠太が作ってるの」

「え、スゴ! てか毎日彼女のためにお弁当作ってるとか、意外と尽くすタイプ?」

「別に、そういうわけじゃ……」

 

 水無瀬の奴、余計なことを。俺がギロリと睨みつけても暖簾に腕押しで、彼女を喜ばせるばかりである。

 

「そういえば! こないだ入ってた茹で卵、海苔で顔が書いてあったじゃない? ああいうのできない?」


 周囲の生温かい視線を感じて、俺はさすがに赤面した。まずい、このままでは彼女にキャラ弁を作る浮かれた彼氏だと思われてしまう。ただの茹で卵では芸がないと思っただけで、別に水無瀬のために気合いを入れたわけではない。

 そういえば、SNSでその手のキャラ弁レシピばかりを載せているアカウントがあったはずだ。スマホを弄って検索ワードを打ち込んでみると、ずらりと写真が表示された。めぼしいものを選ぶと、水無瀬に向かって画面を見せる。


「……こういうのは? 茹で卵に切り込み入れて、黄身の部分を口にして。余裕があったらハムで舌とか作る」

「あ、これいい! レトルトのカレーの上とかに乗せたら絶対かわいいよね」


 ハロウィンレシピなんて、海苔やチョコペンでジャックオランタンの顔でも書いておけばいくらでもそれっぽくなるのだ。いつのまにやらクラスメイトが俺のスマホを覗き込んで、好き勝手に画面をスクロールしている。


「こっちのカボチャのマフィンも美味しそうー!」

「なあなあ上牧、こういうの作れねーの?」

「上牧くん、こっちは? 学校で作るのは無理かな?」


 何故か、いつのまにか俺が主導で作ることになっている。面倒ごとを回避するつもりが、逆に自分の首を絞めてしまった。

 しかし、ここまできて何もしないわけにもいかないだろう。こうなったら、できる限り簡単で手間のかからないメニューを自分で考案してしまった方がマシかもしれない。


「……わかった。やるだけやるけど、おまえらもちゃんと手伝えよ」


 俺が渋々白旗を上げると、水無瀬は嬉しそうに唇の両端を持ち上げてニッコリと笑う。おそらく水無瀬は、ここまで考えたうえで俺を調理係に推薦したのだろう。俺はつくづくこの女の掌の上で転がされているのだと、深い溜息をついた。




「……文化祭の準備、無理やり巻き込んじゃってごめんね?」


 文化祭の打ち合わせを終えた帰り道。またしても公園で遭遇したヒメと戯れていると、水無瀬がおずおずと口を開いた。珍しく殊勝な態度に、俺は白猫の喉を撫でながらチラリと水無瀬の方を見る。


「別に、おまえの都合に巻き込まれんのはいつものことだろ」

「そうなんだけどー、ほんとはあんまり乗り気じゃなかったよね?」

「……乗り気じゃないっていうか、向いてねーんだよ。こういうの」


 俺は周囲と友好的な人間関係を築くのが苦手だし、気の合う少数の友人とうまくやっていければいいと思うタイプだ。どちらかといえば、学校行事でクラスが一致団結して盛り上がっているのを冷めた目で見ている方である。

 だから、なりゆきとはいえ調理係のリーダーに任命されてしまったのは憂鬱だった。もちろん、任せられたからには最低限の役目を果たすつもりはあるが。


「そんなことないよ! 私、悠太の才能を眠らせるのはもったいないと思って推薦したんだから!」


 才能、という単語にやや鼻白んだ。俺のささやかな特技は、そんな大層なものではない。


「才能なんてねえよ。俺はおまえみたいに優秀な人間じゃないし、なんの取り柄もない」


 投げやりな俺の言葉に、水無瀬はぱちぱちと瞬きをした。じっと俺の目を見つめながら、小さく首を傾げる。撫でられているのが心地良かったのか、ヒメは腹を出してごろんと仰向けになった。


「私、悠太はすごく優秀だと思うな」

「は!? どこかだよ!」


 突然大きな声を出した俺を責めるように、足元のヒメが目を見開いて「ニャッ」と鳴く。水無瀬は「びっくりしたねー」と言いながらヒメを撫でた。そのままヒメの腹を優しく撫でながら、まるでヒメに話しかけるかのように続ける。


「悠太は責任感も強いし、自分で仕事見つけて動くのも上手だよね。あと、他の人なら遠慮して言えないようなこともちゃんと言えるし。だからってまったくの無神経ってわけじゃなくて、ちゃんと自分が悪いと思ったら謝れる人だし」


 水無瀬の俺に対する評価を、俺は他人事のように聞いていた。俺が仕事を投げ出さないのは責任感の強さというより、姉に鍛え上げられたがゆえのパシリ体質である。たしかにどちらかと言えばズバズバものを言う方だと自負しているが、それは俺の長所というより短所だ。長岡も俺のことを「デリカシーがない」と評していたではないか。

 俺はきっと、釈然としない表情を浮かべていたのだろう。顔を覗き込んできた水無瀬が、ふふっと笑みを溢した。


「それに、あんなに美味しいごはん作れる人が、なんの取り柄もないだなんて言ったらダメだよ」

「……あんなの、ただの家庭料理だろ。それに、結構手抜きもしてる」


 たしかに料理の腕にはそこそこ自信があるが、それは同世代の一般人と比較して、である。プロとして食っていけるレベルには到底及ばないし、そこまで驕るつもりもない。


「悠太、前に〝自分の作ったものを食べてる人の顔を見るのが好き〟って言ってたじゃない?」

「……言ったな」

「私それ聞いたとき、うまくいえないけどなんだかすごく……優しい理由だなって思ったの」

「優しい?」

「この人、誰かが喜ぶ顔を見るためにごはんを作れる人なんだなあって」


 ふいに両手を伸ばしてきた水無瀬が、そっと俺の頬を包み込んだ。ひやりと冷え切った彼女の手が、妙に心地良く感じられる。

 吹き抜けた風が水無瀬の長い髪を揺らす。猫を思わせる焦茶色のアーモンド型の目から、俺はどうしても視線を剥がせない。

 家族のために家事をしていることに対し、高校生なのに偉いねだとか立派だねだとか、そんなことを言われたことは何度かある。それでも、他人からこんなことを言われたのは初めてだった。


「悠太はすごいよ。私なんかより、ずっと」


 ――すっごく美味しいよ。悠太はすごいね。


 初めて俺が作った、野菜が生煮えの不味いカレーを、母さんがそう言って完食してくれた日のことを思い出す。優秀な姉と比較して平凡だった俺は、そんな風に褒められることなんてほとんどなかった。何の取り柄もない俺にも、家族のためにできることがあるのだと、あの日俺は知ったのだ。


「私、悠太の作るごはんが好きだよ。食べると幸せな気持ちになって、元気が出てくるの」


 そう言って水無瀬は、眉を下げて柔らかく微笑んだ。その瞬間、俺は心の奥の一番柔らかな部分を鷲掴みにされたような気持ちになる。

 頰に触れる水無瀬の手が、ひんやりと冷たくて心地良い。俺の頰が熱いせいだ、と気づいて死にたくなった。ああ、このままではまずい。

 頭の中で警報がうるさく鳴り響いている。俺は今の自分が地獄の淵に立たされていることに気がついてしまった。今ならまだ引き返せる、はずだ。行き着く先が地獄だとわかっているのに、おとなしく落ちていくほど俺は馬鹿ではない。


「……あ、そ」


 俺は水無瀬の手を乱暴に振り払った。水無瀬はニコニコ笑いながら、再びヒメに構い始める。ビー玉のような白猫の青い目は、俺の内心を見透かしたようにこちらを見ていた。

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