ダンスのお相手は?

「はあ? 後夜祭のダンスパーティー?」


 十月も半ばにさしかかり、文化祭が目前に迫っていた。我がクラスではどうやらカフェをするらしく、水無瀬は満場一致で接客担当に選ばれていた。可愛い制服を着た水無瀬が見たい、という男どもの執念のようなものさえ感じた。まあ、客寄せパンダとしては百点満点だ。

 一方の俺は、水無瀬の推薦により当日の調理係を任せられているが、しょせん文化祭の出し物だし、俺の料理の腕を披露する場面はないだろう。クラスの女子からは相変わらず毛虫のように忌み嫌われているため、準備にもあまり関わっていない。「上牧はやる気がない」と陰口を叩かれているのもわかっているが、別に構いやしない。

 水無瀬と透と長岡バカップルというメンバーで昼飯を食っていると、水無瀬が唐突に「今年も後夜祭でダンスパーティーあるから、よろしくね」と言い出したのだ。俺にはあまりに縁遠い単語に、眉間に皺を寄せる。


「ダンスパーティーってなんだよ?」

「悠太、去年後夜祭出てねーの? グラウンドの真ん中でキャンプファイヤーしてダンスしてたじゃん」

「毎年そこでいっぱいカップル成立するんだよねー」


 透と長岡が口を挟んできたので、俺は「ふーん」と興味なさげに答える。去年の文化祭は、午前中だけクラスの出し物を手伝って午後からバックれた記憶がある。言われてみれば、一年の頃は透が長岡をダンスに誘うだの誘わないだので大騒ぎしていたような気もするが。


「ミスコンの優勝者は、ダンスパーティーの最初の一曲目みんなの前で踊らないといけないの!」


 水無瀬の言葉に、俺は「あっそう」と適当な相槌を打った。

 我が校の文化祭では、伝統的にミスコンが催されている。俺は見ていないのだが、昨年の優勝者も当然のように水無瀬だったらしい。今年もきっと水無瀬が優勝するのだろう。結果の決まった出来レースだ。


「そういえばヒカリーナ、去年は二組の茨木いばらきさんと踊ってたっけ」


 二組の茨木有紗ありさといえば、女子でありながらすらりとした長身で、宝塚の男役さながらの美形である。水無瀬とのダンスはさぞかし絵になったことだろう。「あれ、素敵だったなあ」といううっとりとした長岡の言葉に、水無瀬はやや照れ臭そうに頰を掻いた。


「どうしても男の子と踊るの嫌だったから、無理言ってお願いして……でも、今年は彼氏と踊るからって断られちゃった」

「あー茨木さんの彼氏、バレー部の先輩だったっけ」

「そうそう、夏休みから付き合い始めたんだって。でも、今年は私も彼氏がいるもんね!」


 ねっ悠太! と満面の笑みを向けられて、俺はぴたりと動きを止める。なんだか、面倒臭いことに巻き込まれそうになっている気がする。


「……ちょっと待て。もしかして、おまえ俺と踊るつもりなのか?」

「え? 他に誰がいるの?」

「絶っっっ対嫌だ」


 きょとんと首を傾げた水無瀬に、俺は毅然と拒絶の意を示す。水無瀬は「えーっ!」と声をあげて、打ちひしがれたような表情を浮かべた。


「そんなあ、じゃあ私、誰と踊ればいいの?」

「知らねえよ」

「今年は悠太がいるから大丈夫だと思ってたのにー! 困るよー!」


 水無瀬は俺のネクタイを力いっぱい掴んで、がくがくと揺さぶってくる。そんなことを言われても、全校生徒に注目される中でダンスを踊るなんて絶対に嫌だ。


「新庄にでも頼めよ……あいつなら喜んで引き受けるだろ」

「無理だよー! 悠太は可愛い彼女が他の男と踊ってても、なんとも思わないの!?」

「思わねーよ」

「もう、そういうところも好き!」


 俺に冷たく突き放されて、水無瀬は赤く染まった頰を両手を押さえた。喜んでいるのか怒っているのかわからない。たぶん両方だろう。


「ねえ悠太、ほんとにダメ? 私、私のこと好きな男の子と踊るなんて絶対無理だよ……想像しただけで吐きそう……」


 水無瀬は瞳を潤ませながら、俺のブレザーの裾を掴む。どうやら泣き落としに作戦を切り替えたらしいが、そんな小細工に押し切られる俺ではない。女の涙を信用してはならないと、俺は経験則から知っているのだ。


「全校生徒の前でゲロ吐いたらちょっとはファンも減るんじゃねえの」

「なるほど、その手があったか」

「だ、ダメだよヒカリーナ! 後夜祭が阿鼻叫喚の騒ぎになるよ! それに、なんだか変なファンがつきそうな気もするよ!」


 納得しかけた水無瀬に、長岡が慌てて口を挟む。水無瀬ははっと我に返ったように「そ、そっか」と呟いた。


「いいじゃん、悠太。ちょっと踊るくらい我慢しろよ」

「無理無理無理」


 透の言葉に、俺は全力で首を横に振る。申し訳ないが、今回ばかりは本当に無理だ。学校一の美少女と付き合っておいてなんだが、俺は目立つことが何より嫌いなのだ。小学校の学芸会でも、頑なに木の役しかしなかった男だぞ。


「……仕方ないよね……悠太がそこまで嫌がるなら、諦める……」

「ヒカリーナ……」


 しゅんと眉を下げた水無瀬の背中を、長岡が優しく撫でてやっている。長岡と透は非難がましい視線をこちらに向けてきたが、知ったことではない。俺にだって、譲れないものくらいあるのだ。素知らぬ顔で口の中に卵焼きを放り込んで、ごくんと飲み込んだ。




「上牧くん、ダンスパーティーの衣装はもう決めたのか」


 水無瀬からダンスパーティーに誘われた、翌日の昼休みのこと。俺が悪友たちと机を囲んで昼飯を食っていると、新庄が話しかけてきた。身に覚えのない質問に、俺は鮭の切り身を箸でほぐしながら訊き返す。


「衣装?」

「水無瀬さんが、ミスコンのためにドレスのレンタルをするという話をしていたからな……彼女ならきっと何を着ても、可憐な妖精のようになるのだろうな」


 新庄は顎に手を当てると、うむうむと頷いた。少し離れた水無瀬たちのグループを見ると、何やらスマホを覗き込んできゃあきゃあとはしゃいでいる。うちの姉ちゃんもそうだが、女子というのは大抵衣装選びが好きなものだ。


「おまえ、堂々と盗み聞きすんなよ」

「なっ……ひ、人聞きの悪い! たまたま漏れ聞こえてきただけで、盗み聞きなどは断じてしていない! 水無瀬さんがネイビーとパープルのドレスで悩んでいることなど、僕は知るよしもない! 強いて言うなら僕はパープルが良いと思うが……!」


 新庄が慌てふためいたが、どんどん墓穴を掘っている。ちなみに俺は水無瀬にはもっと明るい色の方が似合うんじゃないかと思ったが、口に出すのはやめておいた。

 俺の蔑むような視線に気付いたのか、新庄は気まずそうにコホンと咳払いをする。「それで」と再び話題を戻してきた。


「ドレス姿の水無瀬さんと踊るなら、君も相応の格好をするべきだろう」

「いや、俺踊らねえし」

「な、なんだって!?」


 新庄はまるで雷にでも打たれたかのように、身体を震わせよろめいた。いちいち大袈裟な奴だ。決して悪い奴ではないのだが、顔も声もうるさいところが玉に瑕である。


「嫌なんだよ、目立つの」

「君は水無瀬さんの恋人だろう! 彼女が他の男と踊っても構わないのか!?」

「まあ、それは……別に」

「信じられない……僕なら半年前からダンスの練習をする」


 たしかに、コイツならやりかねない。それにしても後夜祭のダンスごとき、練習が必要な代物なのだろうか。そういえば俺は中学のダンスの授業以来、まともに踊ったことがない。


「……後夜祭のダンスパーティーって、どんな感じなんだ?」

「上牧くん、知らないのか。仕方ない、昨年の様子を撮影した動画があるから見せてあげよう」


 新庄はそう言って、ウキウキした様子でスマホを取り出す。

 最新機種の高画質大画面に、赤いドレス姿の水無瀬が映し出された。黒いスーツを着た茨木が、うやうやしく水無瀬の手を取る。ゆったりとしたBGMをバックに、二人は滑るように踊り出した。なかなか優雅な足捌きだ。……なるほどたしかに、これはちょっと練習が必要かもしれない。


「はあ、何度見ても美しい……」

「おまえ、そんなに何回も見てんのかよ。変なことに使ってないだろうな」

「し、失敬な! 水無瀬さんに対して! そのような無礼なことは決して!」


 俺たちが動画を眺めていると、背後から軽薄そうな声が響いた。


「え、なになにー? 上牧くん、水無瀬さんと踊らねーの? だったらオレが誘ってもいい?」


 振り返らなくともわかる、摂津明良だ。未だに何度も水無瀬にアプローチしては上手くかわされているようだが、めげないチャラ男である。俺が返事をする前に、新庄が「それはダメだ!」といきりたった。


「それを言うなら、僕だって水無瀬さんを誘いたい! それでも上牧くんがいるから、必死で耐えていたんだぞ!」

「なんで? 上牧くんが踊らないなら、何の問題もねーじゃん。なあ?」


 ぽんと馴れ馴れしく肩を叩かれて、俺はスマホ画面を睨みつけたまま眉を顰めた。思っていたよりも密着度の高いダンスで、茨木の腕はしっかりと水無瀬の背中に回されている。

 摂津も新庄も見た目は悪くないし、何をやらせてもそつなくこなす奴らだから、きっと見事に水無瀬の相手役を務めるのだろう。それでも、ただひとつだけ大きな問題がある。こいつらは二人とも、水無瀬のことが好きなのだ。


「俺は踊らねえけど、おまえらはダメだ」

「はあ? なんでだよー」

「参考までに聞いておきたいんだが……上牧くんは、どういう男が水無瀬さんの相手なら満足するんだ?」


 俺は少しだけ考えた後、画面の中の水無瀬から目を離さないままに答えた。


「……水無瀬に、まったく興味がない奴。彼女持ちは抜きで」


 俺の返答に、新庄は「そんな男、この学校に存在するわけないだろう」と呆れた声を出す。画面の向こうでダンスを終えた水無瀬は盛大な拍手を受けて、このうえなく優雅なお辞儀をしてみせた。

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