キャット・ガール

 学校からの帰り道、水無瀬はいつものように俺の腕にしがみついたまま、あれやこれやと話しかけてくる。会話の内容は大抵どうでもいい雑談で、俺はそれに適当な相槌を打つだけだ。聞き役としては失格だと思うが、水無瀬はそれで満足らしい。

 互いの自宅に帰り着くまでのあいだに、小さな公園の中を通ることになる。いつもは近所の小学生が遊んでいたりするのだが、今日は珍しく人っこ一人いなかった。どんよりとして肌寒い気候のせいかもしれない。

 ふと、石造りのベンチの上に、猫が鎮座しているのが目に入った。白くてふわふわとした毛並みで、アーモンド型の大きな青い目をしている。どこかで見たことある猫だな、と考えていると、水無瀬がはしゃいだ声をあげた。


「あっ、ヒメ!」

「ヒメ?」

「あの猫の名前だよ! まあ、私が勝手に呼んでるだけだけど……」


 水無瀬に言われて思い出した。そういえば水無瀬のSNSのアイコンは、あの猫の写真だった。ヒメと呼ばれた白猫は、チラリと俺たちを一瞥する。


「おまえが飼ってんの?」

「違うよ! でも、この公園でちょくちょく見かけるの。誰かの飼い猫なのかなあ」


 たしかに、野良にしてはやけに小綺麗だし、どことなく気品のある風貌をしている。なかなかお目にかかれない美猫である。水無瀬が猫になったらこんな感じだろうな、と俺は思った。


「凛としててお姫さまみたいでしょ。だから、ヒメ」


 水無瀬はその場にしゃがみこむと、両手を広げて「ヒメ、こっちおいでー」と文字通りの猫撫で声を出す。ヒメはひらりとベンチから飛び降りると、颯爽とこちらに近寄ってきた。

 しゃなりしゃなりと歩いてきたヒメは、水無瀬を素通りして、俺の足元にじゃれついてくる。水無瀬を無視してこっちに来るとは、なかなか変わった嗜好をしている。やはり美女同士、種族は違えど対抗心を抱くものなのだろうか。

 ……そういえば、勝手に姫呼ばわりしているが、果たしてこいつはメスなのか。

 身体を掴んで持ち上げ、股間に睾丸がついていないことを確認する。正真正銘のメスだった。一連の行動を見ていた水無瀬が、頰を染めてギロリと俺を睨みつける。


「もう、悠太! レディに対する態度がなってないよ!」

「それは失礼」


 俺も水無瀬の隣にしゃがんで、お詫びにと軽くヒメの喉を撫でてやった。ゴロゴロと喉を鳴らして、心地良さそうに目を細める。もっともっとと甘えてくる仕草は、なかなか愛らしい。俺はどちらかと言えば犬派だが、実は猫も結構好きだ。


「それにしても悠太、動物好きなんだね。蟻の巣にコーラ注いで喜ぶようなタイプかと思ってた」

「どんなイメージだよ。俺は人間のメス以外は大体好きだ」

「そうなの? 私、人間のメスでよかった!」


 ニコニコと喜びを露わにしている水無瀬は、やっぱりどこかおかしい。が、もう慣れっこだ。

 ヒメは俺の目の前で、ごろりと仰向けに寝そべって腹を出した。仕方ないから撫でさせてあげてもいいんだからね、とでも言いたげにこちらを見上げている。腹のあたりを掌で撫でてやると、目を閉じてリラックスした表情を浮かべた。そんなヒメの様子を見て、水無瀬は感嘆の声をあげる。


「わーすごい! こんな無防備なヒメの姿、初めて見たよ」

「そうなのか?」

「うん。いつももっとツンツンしてるし、あんまり寄ってきてくれないの。あのヒメがこんなに悠太に懐くなんて……この猫たらしめー」


 水無瀬が俺の背中にぐりぐりと拳を押しつける。俺自身は動物が嫌いではないが、動物にそこまで好かれるタイプでもない。おそらくヒメが特別なのだ。


「ヒメ、ライバルだね! 悠太は渡さないんだから!」

「猫と張り合ってどうする」


 目を開けたヒメは水無瀬を一瞥すると、挑発するかのように「ニャア」と鳴いた。水無瀬は「もしかして私、宣戦布告された?」と頰を膨らませている。種族を超えた美女のあいだでバチバチと火花が散る。取り合っているのがこの俺というあたり、どうにも冴えないのだが。

 猫の魔力に取り憑かれた俺は、無心になってヒメを撫で回していた。やはり動物は、人間と違ってめんどくさくなくて良い。

 黙って俺を見ていた水無瀬だったが、しばらくして耐えかねたように俺のブレザーの袖を引く。目線だけを動かしてそちらを見ると、水無瀬は拗ねたように唇を尖らせた。


「……浮気者」


 俺はふわふわとしたヒメの毛並みを撫でながら、これ見よがしに溜息をつく。


「おまえ、猫相手に何言ってんだ」

「だってー! 悠太が私に興味ないのはいいけど、他の女に興味示されるのはそれはそれで複雑だよ!」


 水無瀬はそう言って、俺の肩をバシバシ叩いてきた。結構痛い。相変わらずめんどくさの煮凝りのような女だ。好きになるなと言うくせに、たとえ猫であっても余所見をするなと言う。こいつとマトモに付き合える男なんて、俺ぐらいのものだろう。

 撫でていた手を止めると、ヒメはひらりと起き上がり、華麗な足取りで俺たちから離れていく。最後にこちらを振り向いて、「ニャ」と短く鳴いた。――なんとなく、浮気者、と言われたような気がする。


「……帰るか。タイムセール間に合わねえ」

「あ、待って!」


 スタスタと歩き出した俺に追いついた水無瀬は、遠慮なく腕を絡めてくる。俺の顔を見ながら、楽しげに話し始めた。


「ヒメはね、ツンデレなんだよ。気が強くていつも触ろうとすると逃げちゃうんだけど、ほんとは甘えん坊なの」

「……へー」

「たぶん、あれこれ構われるのが嫌いなんだと思うよ。だから悠太のことが好きなのかな?」


 ……ぱっちり大きな瞳に、きゅっと上がった目尻。自分に触れてくる奴には冷たいくせに、俺みたいな人間には気まぐれに身体を擦り寄せてくるところも、やっぱりヒメに似ていると思う。


「……男の趣味、悪いな」


 おまえも、ヒメも。

 そんな俺の言外の意図に気付いているのかいないのか、こちらを見上げた水無瀬は猫のようなアーモンド型の目を細めて笑った。

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