きれいに包んで、溢れないように

 適当に後ろで結んだ焦げ茶色の髪、顔の半分を覆う白いマスク、三本ラインの入ったエンジ色の中学ジャージ。巨大なゴミ袋を片手に、足の踏み場もないほど汚い部屋に立ちすくんでいる。

 どんな格好でどんな場所にいたしても、美少女の美少女ぶりは隠しきれないものなのだな、と俺は妙に感心していた。

 俺はジャージ姿の美少女を前に、腕組みをして仁王立ちしている。彼女と同じく白いマスクをつけた俺は、びしりと人差し指をつきつけた。


「いいか。今日俺をここに呼んだからには、慈悲をかけてもらえると思うな。少しも容赦しねえから、そのつもりでいろ」

「イエス・サー、ボス」


 真面目くさってそう答えた水無瀬は、ぴしりと直立不動で敬礼をする。俺はゴミ溜めのような部屋をぐるりと見回してから、「まず窓を開けて、いらないものを捨てろ!」と命じた。


 ちゃんと掃除をしたのかとうるさい俺を適当にあしらっていた水無瀬だが、ついに数日前「部屋の掃除を手伝ってほしい」と泣きついてきた。先日、ゴキブリに遭遇してしまったことが大きな要因だろう。

 深夜二時に「どうしよう悠太、奴が出た!」と半泣きで電話がかかってきたときは、一体何事かと思ったものだ。格闘の末結局なんとか退治したようだが、二時間にも及ぶ電話に付き合わされたこっちの身にもなってほしい。

 この部屋の汚さの要因は、尋常ならざる物の多さである。収納スペースは充分あるはずなのに、それでも物が溢れかえっている。ミニマリストになれとまでは言わないし、生きていくうえで多少の無駄は必要だと思うが、それにしたってこの部屋には無駄が多すぎる。


「水無瀬、これは何だ?」

「えーと、いつか使うかなあと思って置いといたクッキーの空き缶……」

「絶対使わねえから今すぐ捨てろ」

「あ! 去年買ったこの服探してたのに、こんなところにあったんだ……」

「いるのか? いらないのか?」

「い、いります! 高かったんだから!」

「雑誌類は古紙回収に出すからゴミ袋に入れるな! 後でビニール紐でまとめろ!」

「ほら見て見て、これ中学の卒アル!」

「やる気がないなら帰るぞ」

「ギャー! ゆ、悠太! 虫が! 見たことないような虫が集ってる!」

「アイスのカップ放置してたらそうなるに決まってるだろ、バカ! いつのだよこれ!?」

「すごい、床が見えてきたよ! 久しぶりに見た! そういえばカーペットこんな色だったっけ」

「ほ、埃の量が尋常じゃねえ……」


 ……朝から始めたはずの掃除は想像以上の大仕事で、部屋を片付けてようやく掃除機をかけ終わったときには、十五時を回っていた。


「うわー……すごい。引っ越してきたときみたい……空気が清々しい……」


 見違えるように美しくなった部屋の中で、マスクを外した水無瀬は大きく深呼吸をしている。彼女は高校に入学してから一人暮らしを始めたらしいが、一年半ほどでよくもまあここまで汚なくできたものだと逆に感心してしまった。

 本当は部屋の隅々までぞうきんがけもしたいところだったが、今日のところはこのあたりにしておこう。そういえば、掃除に夢中になっていたため昼飯すら食っていない。


「腹減ったな」


 俺がぽつりと呟くと、水無瀬はしゅぱっと勢いよく右手を挙げた。


「はい! 悠太のごはん食べたいです!」

「おまえ、掃除手伝わせといてメシまで作らせる気か?」

「うっ。お願いお願い! 材料費は私が出すから!」


 水無瀬が両手を合わせてそう言うので、俺は仕方ないと腰を上げる。「買い物行くぞ」と声をかけると、水無瀬は尻尾を振って俺の後ろをついてきた。


「ねえねえ、何作るの?」

「うーん……じゃあ餃子」

「餃子! 餃子って自分で作れるんだ!」

「そんなに難しくねえよ。ちょっとめんどくさいけど」


 到着したエレベーターに揃って乗り込むと、内部の鏡にジャージ姿のカップルが映り込む。なんだかやけにシュールな絵面だった。



 買い物から戻ってきた俺たちは、エコバッグから餃子の材料を出した。ひき肉、キャベツ、にら、餃子の皮。水無瀬に差し出されるまま、ベージュの麻のエプロンを身につける。


「今日は私も手伝う!」


 そう言って水無瀬は腕まくりをしたが、狭いキッチンに並んで立つのは少々窮屈だし、どう考えても足手まといにしかならない。俺は「いいから向こう行ってろ」と言ったが、水無瀬は聞かなかった。

 キャベツとニラを微塵切りにして、ひき肉と一緒にこねる。本当はキャベツを下茹でした方が甘みが増すのだが、面倒なので今日はそこまでしなくてもいい。水無瀬の家は調味料だけはやけに豊富だ。醤油と酒に加えて、オイスターソースに鶏がらスープの素も入れることにする。チューブのにんにくを、心持ち多めに入れた。

 タネが完成したので、あとは包んで焼くだけだ。皮の中心にタネを乗せて、折り目をつけて皮を畳んでいく。楽しげに行程を眺めていた水無瀬が、はしゃいだ声をあげた。


「すごい悠太、上手だね!」

「……おまえもやる?」


 ただ見ているだけというのも暇だろうと思い、そう声をかけてみる。水無瀬はぱっと瞳を輝かせた。


「いいの? やりたい!」

「皮が全部で三十枚あるから、ちゃんと配分考えろよ」

「はーい」


 きれいに手を洗った水無瀬は、皮をてのひらにのせると、タネを入れてぎこちなく包んでいく。完成品は、お世辞にも美しいとは言えない不恰好なものだった。水無瀬が餃子をひとつ包むうちに、俺はみっつも完成させてしまう。


「悠太みたいにきれいにできない」

「最初から期待してない。後から爆発しない程度に包んでくれ」

「うー、でも悔しい! どうしたらいいの?」

「てか、タネ入れ過ぎなんだよ。もっと少なめにしろ。それで真ん中をまず合わせて、右側からこう」

「こう? あれ?」

「いや、違……あーもう、焦れったい」


 俺は水無瀬の背後に回り込むと、後ろから腕を回して彼女の手を掴んだ。こんなにも細くて繊細な指をしているのに、どうしてこうも不器用なのだろうか。

 関節の角度を調節しながら、操り人形のように水無瀬の手を操作する。うるさくないように、耳元で囁くように説明をした。


「右側からこう畳んで、ほんで反対側からこう畳む。……わかった? おい、聞いてる?」


 水無瀬の反応がないので、顔を覗き込んだ。結んだ髪の隙間から覗く耳から首筋、頰まで真っ赤になっている。薄桃色の唇を引き結んで、じっと何かに耐えているような表情を浮かべていた。

 そこで俺ははたと気がつく。よくよく考えると、この体勢はまるで後ろから抱きしめているようではないか。そういえば水無瀬は、男に触られるのが苦手なのだった。


「あ、わ、悪い」


 俺が飛び退くように水無瀬から離れると、彼女はぶんぶんと首を横に振る。「だ、大丈夫! 嫌じゃないから!」と叫んで、再び餃子の皮に手を伸ばす。気まずい空気のまま、俺も作業を再開した。

 二人で黙々と包んでいるうちに、皿の上に餃子がどんどん積み上がっていく。タネがすっかりなくなったが、皮がまだ五枚ほど余っていた。


「あ、皮余っちゃったね……」

「どう考えてもおまえがタネ入れ過ぎなんだよ。これとか、はちきれてるじゃねえか。配分考えろって言ったろ」

「えー! どうしよう、もったいない!」

「残しとくから、今度ピザでも作れよ。フライパンの上に並べて、ピザソース塗ってチーズと具材乗せたら蓋閉めて焼くだけでいいから」

「そ、そんなことできるの!?」


 できる。俺はもともと生地が薄めのピザが好きなので、結構バカにできない美味さである。水無瀬は粉まみれの両手を合わせて「今度やってみる!」と笑った。ほっぺたにまで白い粉がついているのがちょっと間抜けだ。

 さて、ここまできたらあとは焼くだけだ。油は敷かずに餃子を並べる。火をつけた後、軽く焼き目がついたら小麦粉を溶いた水を入れて蒸し焼きにする。しばらくしてから蓋を開けて、水分が飛んでからごま油を回し入る。ひっくり返して皿に乗せると、きつね色の羽が美しい餃子の完成だ。


「すごーい! お店の餃子みたい!」


 水無瀬がパチパチと拍手をする。ちょうど米も炊き上がったので、冷めないうちに食べることにしよう。醤油と酢と辣油を混ぜて、餃子のタレも作っておく。茶碗はひとつしかなかったので、俺の分の米はしぶしぶ味噌汁のお椀に入れた。

 掃除したばかりの部屋に移動して、ローテーブルの上に餃子の皿を置いた。二人で「いただきます」と手を合わせてから、ぱくりと餃子にかぶりつく。パリパリの皮の中から、熱々の肉汁が溢れ出す。正面に座っている水無瀬が、うっとりと目を細めた。


「はあ……食べる前からわかってたけど、やっぱりおいしい……」

「おいこれ、おまえが包んだやつだろ。破裂してるぞ」

「それ、悠太にあげるね。私の愛情がこもってるから!」

「さっきから俺が包んだやつばっかり食べやがって……」


 まあ形がどうであれ美味いのが餃子という食い物だ。俺は不恰好な餃子を箸でつまみあげると、タレをつけて口の中に放り込む。これは店が出せる、と自画自賛したくなる美味さだった。

 水無瀬は幸せそうに餃子を食べていたが、やがてふと目を伏せて、箸を置いてしまった。何事かと思っていると、ゆっくりと口を開く。


「……悠太と一緒にいるの、楽だなあ」

「はあ?」


 突拍子もない問いに、俺は顔を上げてまじまじと水無瀬を見つめる。いつのまにか日は暮れかけていて、西向きの窓からは眩い夕陽が射し込んでいる。オレンジ色の光を跳ね返す水無瀬の瞳は、不思議な色に染まっていた。


「こんなふうに、ありのままの自分を曝け出せる人初めて。……みんな、ほんとの私を知ったら、こんな人だと思ってなかった、って離れていっちゃうから」

「……ほんとのおまえって?」

「部屋の中に名前もわかんないような虫が集ってて、餃子の皮もまともに包めないような女」


 水無瀬は顔を上げると、自嘲するように笑った。


「みんな私に幻想抱いてるんだよね。だから私、いつのまにか〝完璧な高嶺の花のひかりちゃん〟を演じるようになってた」


 周囲に見せる水無瀬の顔は、恐ろしいくらいに完璧だ。俺だって、彼女と付き合うまではそう思っていた。俺とは別の世界の人間だ、とも。


「……悠太は最初から私のこと好きじゃないから、嫌われる心配しなくてもいいもんね」


 この妙な交際が始まってからまだ半年にも満たないが、俺は水無瀬ひかりの〝完璧ではない〟姿を何度も見てきた。強引で人の話を聞かないし、一晩で通知は四桁超えるし、ネクタイもまともに結べないくらいに不器用だし、俺の前でヨダレを垂らして寝る。部屋も汚いし料理も下手だ。

 それでも俺は、彼女に幻滅したりはしなかった。


「……たしかに、もともと幻滅するほどの好感度もねえから」

「あはは、だよねえ」

「……でも。俺は、おまえが他の奴らの前で取り繕ってる人形みたいな顔より、美味そうにメシ食ってるアホみたいな顔の方がマシだと思う」


 そう言ってしまってから、なんだか今のは誤解を与える発言だったかもしれない、と後悔する。それでも、あれこれ言い訳をする気にはなれなかった。

 水無瀬は頰を緩めると、「うん」と頷いて餃子を口に運んだ。もぐもぐと無邪気に餃子を頬張る姿は、教室では見られない――たぶん俺しか、目にすることがないものだ。


「ねえ悠太」

「んだよ」

「私は私が嫌いだけど、悠太と一緒にいるときの私はちょっと好き」


 適当なひとつ結びに冴えないジャージ姿で、それでも水無瀬は世界一きれいな顔で笑う。今この瞬間の彼女よりも美しい人間を、俺はきっと知らない。たぶんこれからも、出会うことはないのだろう。


「……そうかよ」


 そっけなく答えて、歪な形の餃子を口に運ぶ。みっしりとタネの詰まったそれは、不思議と自分が包んだものよりも美味く感じられた。

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