料理は愛情

 水無瀬と二人で近所のスーパーで買い物を済ませ、帰宅したのは十六時過ぎだった。水無瀬は物珍しそうに売り場を眺め、ちょろちょろと俺の後ろをついてきて、エコバッグに商品を詰める俺のことを「袋詰めが世界一上手い」と褒め称えた。帰り道にはこのクソ暑いのに腕を絡めてくるので、ご近所さんに目撃されないかとヒヤヒヤしてしまった。幸いにも、知り合いには会わなかった。

 少し早いが、水無瀬が「おなかすいたなあ」と呟いたので、夕食の準備を始めることにする。キッチンに立ち、使い古したチェックのエプロン(姉ちゃんが数年前に誰かから貰ったものだ)を身につけると、水無瀬がパタパタと駆け寄ってきた。


「私も何か手伝おうか?」

「いい。邪魔だから座っとけ」


 基本的に、俺はキッチンに他人を入れたくないタイプである。最近は姉や母でさえも、我が家のキッチンに足を踏み入れることはほとんどない。俺だけの城なのだ。

 水無瀬は邪魔と言われたのが嬉しかったのか、「わかったあ」とへらへら笑う。座れと言った俺の言葉を無視して、カウンターに頬杖をついてこちらを見ている。


「なんかさっきのやりとり、新婚さんみたいだったね?」

「おまえの新婚夫婦のイメージ、おかしくね?」

「悠太、エプロン似合うね。かわいい!」

「うるさい。あっちでテレビ見ながらシュークリームでも食ってろよ」

「やだ。悠太見てる方が面白いもん」

「なんも面白いことなんてねえぞ」


 一応そう断ってから、俺は溜息混じりに作業に取りかかり始めた。

 まずはピクルスだが、これはキュウリとキャベツを小さめに切って、調味料につけて冷蔵庫に入れておくだけでいい。

 次にメインのカレー。鶏肉は一口大に切って、塩胡椒で軽く下味をつけておく。玉葱は微塵切りに、それ以外の野菜は大きめの乱切りにする。


「悠太、手際いいね! さすが!」


 俺の手つきを見た水無瀬が感嘆の声をあげる。そんなにまじまじ見られると、正直ちょっとやりづらい。じろりと睨みつけたが、彼女を喜ばせるだけだった。


「ピーマンとかナスの入ったカレー、食べたことない。ふつうジャガイモとかニンジンじゃないの?」

「夏野菜カレーだからな」


 スタンダードなカレーも美味いけれど、ビタミンやミネラルが豊富な夏野菜は夏バテ対策に効果的だ。挽肉のキーマカレーも良いが、今日はチキンカレーである。

 鶏肉を炒め焼き色がついたら、玉ねぎとナスを加えて更に炒める。手の空いたタイミングで洗い物をするのも忘れない。水を入れて煮込んだら、灰汁を取ってカレールーを加える。ニンニクのすりおろしとヨーグルトを入れて、最後にトマトとオクラを投入。


「さすがにカレールー使うんだね……もしかしたらスパイスから作るのかと思った」

「まあ、興味なくはねえけど。市販のルーでも充分美味い」


 食品メーカーの企業努力は素晴らしいのだ。ぐつぐつと煮込んでいるうちに良い匂いが漂ってきて、水無瀬はほうっと溜息をついた。


「あー……おなかすいた……もうできる?」

「まだ」

「早く早くー。おなかすいて死にそう」


 水無瀬がそう言うとの同時に、彼女の腹から「きゅううう」とネズミが鳴くような音が響いた。どうやら本当に空腹らしい。


「ちゃんとメシ食わねえからだろ」

「でも、一人でいるときは平気なんだよ。悠太と一緒にいるとおなかが空くの。なんでかなあ」

「……俺のせいにすんなよ」


 水無瀬の腹の虫をBGMにしながらカレーを煮込み、ちょうど良いところで火を止める。夏野菜カレーは煮込み時間が短くて済むところも良いところだ。そのとき、抜群のタイミングで炊飯器が米の炊き上がりを知らせた。


「できた!? もう食べれる!?」


 水無瀬がわくわくと身を乗り出してくる。おそらく尻尾があったらぶんぶん振り回しているところだろう。普段は気品のある猫のようだが、どんな動物も餌を前にすると理性を失うものである。

 時刻は十七時。夕飯というのはあまりにも早いが、昼飯が簡単だったこともあり、食べられないこともない。何より、腹を空かせた水無瀬をこれ以上待たせるのは酷というものだ。ピクルスの漬け込みが少々甘いかもしれないが、まあいいか。


「……しゃあない。食うか」

「わーい!」


 水無瀬がぴょんとその場で飛び上がった。カレー皿をふたつ出して、米とカレーをよそう。ピクルスを小鉢に出して、テーブルの上にカレーと一緒に並べた。


「いただきます!」

「……いただきます」


 水無瀬がぱちんと手を合わせて、スプーンでカレーをすくう。一口食べて、もぐもぐと咀嚼し飲み込んだ。そのまま俯いて、小刻みに身体を震わせている。いつまでたっても顔を上げないので、ちょっと心配になってきた。


「水無瀬? もしかして辛かった?」


 買い物のときに「辛いのは平気」と言っていたので、やや辛味が強いルーを選んだのだが、ちょっと辛すぎたのかもしれない。水無瀬はふるふると首を横に振ると、勢いよく顔を上げた。


「美味しい!! すっごく美味しい!!」

「あ、そう……」

「よく考えたら、冷めたお弁当があんなに美味しいんだから、作りたてのカレーなんて美味しいに決まってるよね!? 悠太、やっぱり天才だよー! すごい!」


 水無瀬は「美味しい美味しい」と繰り返しながら、ぱくぱくとカレーを口に運んでいく。白いブラウスが汚れてしまわないかと心配になるほどの勢いだったが、彼女の食べ方は美しかった。相変わらず、惚れ惚れするほどの食いっぷりだ。


「はあ、なんでこんなに美味しいんだろ……」

「別に、なんも特別なモン入れてねえぞ」

「あ! ふふん。私、隠し味わかっちゃった」

「愛情、とか言うなよ」

「…………」


 愛情と言うつもりだったのか、水無瀬は無言でカレーを食べ始めた。隠し味は強いて言うならニンニクのすりおろしだ。ニンニクはレシピの量の三倍くらい入れたい。


「悠太、おかわりください」

「はいはい」


 空になった皿を差し出されたので、俺は立ち上がっておかわりをよそってやる。明日の昼に食うことを見越して多めに作ってあるので問題ない。二日目のカレーも最高だ。

 結局水無瀬は三杯もカレーを平らげて、「ごちそうさまでした!」と満面の笑顔で宣言した。


「はー……ほんとに悠太はすごいね。魔法使いみたい」


 膨らんだ腹をさすりながら、しみじみと水無瀬が呟く。俺は「大したモン作ってねえよ」と苦笑する。


「ううん、充分すごいよ! 私、高校入学してから一人暮らししてるんだけど、最初はちゃんと自炊しようと思ってたんだよ。調味料とか調理器具揃えたり、かわいいエプロン買ったりして……」

「あー、形から入るタイプか。で、結局使わずに腐らせるやつ」

「……うっ。その通りです」


 図星を突かれたらしい水無瀬は、深々と溜息をつく。


「でも、レシピとか調べてたらなんかいろいろ面倒くさくなってきて……これ作ろうかなって思っても材料が足りなかったり……頑張って作ってみてもあんまり美味しくなかったりして。結局、自分一人のために作る気起きないなって思って、なんだかんだで三食アイス生活です」

「バカ、身体壊すぞ」


 俺は小さく肩を竦めた。典型的な自炊の失敗パターンである。最初から張り切りすぎるのは良くない。


「料理なんかそんなに気負うことねーんだって。別にまんまレシピ通りに作らなくてもいいし、材料なんか足りなかったら適当に省略すりゃいいんだよ」

「でも、失敗したくないし……」

「最初から変に凝ったもん作るからだよ。ネットで調べたら、簡単で美味いやついっぱい出てくるだろ」

「そ、そうなの?」


 水無瀬が目を丸くした。俺が参照しているレシピ投稿サイトを教えてやると、水無瀬はふむふむと頷いて、スマホにアプリをインストールしていた。


「……別に頑張らなくてもいいけど、メシは食えよ。そうめん茹でて食うだけでもいいから。俺、ちゃんとメシ食わない奴が一番嫌いだ」

「悠太に嫌われるのは興奮するけど……でも、わかった。できるだけごはん食べるね」


 水無瀬は素直に答えた。心なしか、カレーを食べる前よりも顔色が良くなった気がする。やはりカレーの力は偉大だ。どうでもいいとは思いつつも、あまり不健康そうなツラを見たくはなかったので、ちょっと安心した。


「でも料理するの、面倒だしあんまり好きだと思えないんだよね……悠太は、どうしてお料理好きなの?」


 水無瀬の問いに、俺は腕組みをして考えた。俺が料理をするようになったのは、必要に駆られたからだ。母は仕事で帰りが遅いし、ほうっておくと暗黒物質を生み出してしまう姉に料理を任せるわけにもいかない。


「料理自体はすげー楽しいってわけじゃないけど……単純に自分の好きなものを好きな味付けで食えるのは嬉しい」

「うーん、わかるようなわからないような」

「……あと、自分の作ったもん食ってる奴の顔見るのが好きなんだよ」


 俺の答えに、水無瀬は意外そうに目を見開いた。それからやや恥ずかしそうに頰を押さえると「み、見られてたんだ……」と呟いた。しまった、バレたか。俺は誤魔化すように、鍋に入ったカレーを顎でしゃくってみせる。


「……カレー、まだあるけど持って帰る?」

「え、いいの!?」

「明日食うなら冷蔵庫でいいけど、それ以降になるなら一応冷凍しとけよ。夏だし」

「明日食べる! 下手したら、今日食べちゃうかも!」


 嬉しそうに両手を上げた水無瀬のために、タッパーにカレーを詰めてやる。「さすがに米は自分で炊け」と言うと、水無瀬は「……炊飯器、最後に動かしたのいつだったかなあ」と首を傾げていた。


「えへへー」


 キッチンに立つ俺の隣にやってきた水無瀬が、ニコニコしながらこちらにもたれかかってくる。こてん、と小さな頭が俺の肩にぶつかった。


「やっぱり、ちゃんと入ってると思うなあ」

「何が?」

「愛情!」


 横目でじろりと水無瀬を睨みつけた。冷たい視線を向ければ向けるほど、彼女は幸せそうに笑う。俺からの愛なんて欲しくないくせに、よくそんなことが言えたものだ。

 俺は「バカ」と吐き捨てると、水無瀬の頭を掴んでぐいと引き剥がした。

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