ひかりちゃんのはじめてのおつかい

 ソファにごろんと寝転んだまま、スマホの画面をするするとスクロールさせる。次々に出てくる料理の写真を眺めながら、明日は何を作ろうかな、と考えていた。

 SNSの活用方法は人それぞれだろうが、俺はほぼ投稿はせず、友人数人と、興味のありそうなアカウントをいくつかフォローしている。最近は簡単で美味いレシピを投稿しているアカウントも増えたので、大いに参考にさせてもらっている。世の中には偉大なアマチュアがたくさんいるものだ。

 タイムラインを遡っていると、一週間ほど前の水無瀬の投稿が目に飛び込んできた。俺が作ったカレーの写真で、「夏野菜カレー、とってもおいしかった!」というキャプションがついている。「もしかして水無瀬さんの手作り!?」「めっちゃ美味そう! 食いたい!」という男どものコメントがずらずらと連なっていた。水無瀬は個別に返信せず、「いいね」をするだけで済ませているようだ。

 水無瀬のアカウントは友人のみに公開しているいわゆる鍵アカウントというやつだが、フォロワーは百人近くいる。自撮りなどはほとんどなく、アイコンにもなっている白猫の写真が大半を占めていた。もしかすると、水無瀬の飼い猫なのかもしれない。ごくたまに、クラスメイトと放課後アイスを食べた、みたいな投稿もある。

 俺はもともと水無瀬をフォローしていなかったのだが、水無瀬から「反応はしなくてもいいからフォローして欲しい。見られてるのに無反応だと興奮するから」という訳のわからないことを言われ、渋々フォローしてやった。

 なにげなく水無瀬の投稿を遡っていると、水無瀬からのメッセージが届く。ここ最近の水無瀬は「彼氏に対する常識的な連絡頻度」を学んだのか、通知が三桁を超えるようなことはほとんどなくなった。もっとも、俺はそれに対して完全スルーを貫いているのだが。水無瀬もそれを望んでいるのだから仕方ない。


 ――悠太に言われたから、私もちゃんとごはん作って食べます! 今日はこれに挑戦してみるね!


 文章の下にURLがくっついてみる。開いてみると、「豚バラと春キャベツのレンジ蒸し」というレシピだった。かなり簡単で美味そうだが、今の季節に春キャベツは売っていない。今の季節を考えろ、真夏だぞ。

 まあ普通のキャベツで作っても問題ないだろうと思い、特に指摘はしなかった。引き続きスマホを弄っていると、再びメッセージが到着する。


 ――春キャベツ、どこにも売ってない! もしかしてこれ?


 添付されてきたのはレタスの写真だった。ベタすぎる間違いをするな、バカ。

 スーパーの野菜売り場で途方に暮れている女の顔が浮かんで、俺は仕方ねえなと溜息をつく。発信ボタンをタップして、彼女に電話をかけた。


『悠太!?』


 ワンコールも鳴らないうちに、スマホから驚いた女の声が聞こえてくる。まさか悠太が電話くれるなんて、と動揺している彼女に言い訳を連ねるのも面倒で、俺は挨拶もせず本題を切り出した。


「それレタス。普通のキャベツねえの?」

『キャベツある! ふつうのでいい?』

「別にいいと思うけど、冬キャベツの方が硬いから、さっきのレシピには向かねえかも」

『え! どうしよう……』

「さっきのレシピ、そのまま野菜をナスに変えても美味いと思う。ごま油とナス、相性いいし」

『わ、わかった!』

「緑が足りないなら野菜売り場にカットネギあるだろうから、最後に適当に加えろよ。じゃ」


 よし、これで俺の役目は終了だ。電話を切ろうとしたところで、水無瀬が『ちょっと待って!』と慌てた声をあげる。


『豚バラってどれ? 小間切れでもいい? どう違うの?』

「安いから小間切れでもいいけど、レンチン時間が長くなると硬くなりそうだな」

『あ、バラあったけど、しゃぶしゃぶ用って書いてある。しゃぶしゃぶするわけじゃないんだけど、これでもいい?』

「そんな良い肉じゃなくていいよ、高ぇだろ」

『あ、国産豚バラあった! 切り落としでいいの?』

「いいと思う」


 肉を買うのにも一苦労だ。俺の頭の中には「はじめてのおつかい」のBGMとナレーションが流れ始めていた。大変だ、それはキャベツじゃなくてレタスだよ! ひかりちゃん、気付いて気付いて!


『めんつゆどこかな?』

「めんつゆ、家にねえの?」

『ないよ! 追いがつおつゆしかなかった』

「それでいいから買わなくていい」


 厳密に言うと多少差があるのかもしれないが、わざわざ買い足すことはない。水無瀬の家にはきっと、使いもしない調味料が溢れかえっているのだろう。


『わかった! じゃあ、ごま油はオリーブオイルで代用できる?』

「できない」

『あ!』

「今度はなんだ」

『このスーパー、ダッツの新作売ってる! 近所のコンビニに置いてなかったんだよね! ねえねえ、買ってもいいかな?』

「……好きにしろよ」


 結局買い物が終わるまで、俺がほとんどリモートで指示することになってしまった。水無瀬がレジに並ぶと言ったので、俺は「じゃあな」と電話を切る。果たして、無事に完成するのだろうか。

 そろそろ日も落ちてきたので、俺も夕飯の買い物に向かうことにする。豚バラとナスの話をしていたら食いたくなってきた。ニンニクを加えてオイスターソースで炒めることにしよう、と考える。



 買い物を終えて帰ってきたところで、水無瀬から電話がかかってきた。俺は「なに?」と電話に出ると、スマホをキッチンカウンターに置いてスピーカーに切り替えた。これなら、作業しながら通話ができる。


『悠太ぁ、乱切りってどうやるの!?』

「適当に切れ、適当に! だいたい同じ大きさに揃えろよ」

『豚肉も切った方がいいの?』

「長めの肉だったらキッチンハサミで切れば」

『耐熱容器ってなに? そんなもの、家にないよ!』

「大きめのタッパーとか、透明のボウルとかねえのか」

『どうしよう! 今気づいたけど、大さじがない!』

「大きめのスプーンで適当に入れろ! 気持ち少なめにして、足りなかったら後から味足せ!」


 水無瀬に指示を飛ばしているうちに、こっちはあっという間に一品完成してしまった。付け合わせのほうれん草の胡麻和えを作っているうちに、水無瀬が『あつっ!』と叫ぶ。どうやらレンジから耐熱容器を取り出しているらしい。


『あ、できたかも!』

「ちゃんと火通ってるから確認しろよ」

『大丈夫っぽい! ありがとね悠太、助かったよー』


 水無瀬はそう言って電話を切った。いつのまにやら時刻は十八時を回っていて、こちらも夕飯が完成した。母と姉は帰りが遅いらしいので、先に食べてしまおう。

 ナスと豚バラのオイスター炒めは文句なしに美味く、白米が大層進んだ。メシを食って洗い物も済ませたところで、ソファに寝転んでスマホを弄る。

 SNSのアプリを立ち上げると、数分前に水無瀬の新規投稿がされていた。洒落た器に盛り付けられたナスと豚バラが、フィルターで加工されている。


 ――とっても美味しくできました!


 なんてことのない料理なのに、なんだかやけに手の込んだものに見える。どうやら水無瀬は写真を撮るのが上手いらしい。皿の下にはランチョンマットまで敷かれている。やはり形から入るタイプなのだな、と俺はちょっと笑ってしまった。

 人差し指で写真の下にあるハートマークをタップすると、ハートマークが鮮やかな赤色に染まった。いわゆる「いいね」というやつだ。一分もしないうちに、水無瀬からのメッセージが届く。


 ――もう、悠太は反応しなくてもいいって言ったのに!


 少し考えて「手が滑った」と送った後で、そういえば彼女に返事をするのは初めてだと気付く。今まで既読をつけるばかりで、こちらからメッセージを送ったことはなかった。

 数分ののちに、「これは悠太だけにサービスね!」というメッセージとともに、先ほどの器を持った水無瀬の写真が送られてきた。スマホの向こうでやけに得意げにピースサインをする顔は、よそゆき仕様ではなく俺向けのものだ。

 画像を長押しして保存すると、俺は誰に言い訳するでもなく「……手が滑った」と呟いた。

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