放課後デート

 終業のショートホームルームが終わると同時に、俺は素早く立ち上がった。俺の席は窓際の一番後ろ、いちはやく廊下に出るには少々不利なポジションである。

 水無瀬に気付かれないように教室から逃げ出そうとしたところで、勢いよく後ろから引っ張られた。

 振り向くと、水無瀬が俺のリュックをがっしりと掴んでいる。あやうく後ろにひっくり返るところだった。細腕のわりに結構力があるらしい。


「あ、あぶねえだろ!」


 バクバクと鳴り響く心臓を押さえながら抗議すると、水無瀬はむーっと拗ねたように頰を膨らませた。まるで小さな子どものようだ。


「上牧くんが逃げようとするからでしょ? 一緒に帰るって言ったのにひどいよ」

「俺は了承してない」

「上牧くん、急いでる? よかったらアイス食べて帰らない?」

「全然聞いてねえな」


 彼女と付き合い始めてから、ほとんどマトモに会話が成立していない気がする。

 溜息をついている俺をよそに、水無瀬はニコニコ笑顔を浮かべ、リュックをしっかり掴んだまま俺を連行していった。

 最後にチラリと悪友どもに視線をやると、奴らは俺に向かって思い切り中指を立ててきた。ちくしょう、こうなるように仕向けたのはおまえらだろ。

 それにしても、犬の散歩よろしく美少女にずるずると引きずられている姿はかなりみっともない。ただでさえ水無瀬と一緒にいると余計な注目を浴びるのに、これ以上見世物にされるのはごめんだ。


「水無瀬……さん。もう逃げねえから離して」

「はあい」


 俺が言うと、水無瀬は素直に手を離してくれた。いそいそと腕を絡ませてきたが、振り払う気力もなかったのでされるがままになっている。

 水無瀬はきゅっと眉を下げると、「えへへ」と上目遣いに俺を見上げてきた。校内で腕を組んで歩くバカップルの完成だ。もうどうにでもしてくれ。


「ちょっと照れるね……」

「俺は暑くて歩きにくい」

「ねえねえ上牧くん、ほんとは〝水無瀬さん〟って呼びにくいんでしょ。女の子のことさん付けするキャラじゃないもんね。ひかりって呼んでもいいよ!」

「……水無瀬、普段とキャラ違くねえ? おまえ、そんなだっけ」

「私も悠太って呼んでもいいかな?」

「嫌だ」

「それとも悠太くん? 悠くんとか悠ちゃんの方がいい?」


 当然のように俺の拒否は取り下げられ、水無瀬はいたく楽しそうに俺の名前を口にする。この数分のやりとりでかなり疲弊してしまった俺は、「悠太でいい……」と白旗を上げた。悠くんだの悠ちゃんだの呼ばれるよりはマシだという消去法だ。


 学校を出たすぐそばにバス停があり、そこを通り過ぎてしまえば、同じ高校の生徒の姿は少なくなる。俺の自宅は徒歩圏内だが、うちの学校はバス通学の奴がほとんどだ。水無瀬も徒歩通学らしいが、どこに住んでいるのかは知らない。

 それにしても暑い。水無瀬にくっつかれているせいもあるが、今日はまるで一足早い夏のような太陽がじりじりと照りつけている。

 思わず「暑い」と零すと、水無瀬が嬉しそうに提案してきた。


「暑いならやっぱりアイス食べようよ。乃田のだ駅の近くにあるアイスクリーム屋さん、一回行ってみたかったの。日本初上陸なんだって!」


 水無瀬はキラキラと瞳を輝かせながら俺を見つめてくる。さっきから俺の意見はほとんど聞き入れられないし、だんだん断るのも面倒になってきた。あと、正直アイスが食べたい。乃田駅前のアイス屋なら、俺もちょっと気になっていた。

 俺が揺れ動いているのに気付いたのか、水無瀬はにんまりと笑みを浮かべて「ね、行こうよ」と俺の腕を引いた。



 駅前にあるアイスクリーム屋は、大勢の女性客で賑わっていた。

 ガラスケース前に群がっている紺色のセーラー服は、この近くにある公立高校のものだろう。店そのものはシックで落ち着いた外観をしており、それほど居心地の悪さを感じるものではなかった。


「悠太、どれにする?」


 女子高生の集団がいなくなってから、水無瀬はガラスケースを覗き込んだ。色とりどりのアイスクリームを眺めて、彼女はほうっと悩ましげな息をつく。


「どうしよう……ピスタチオは決まりなんだけど、ココナッツとマンゴーで悩むなあ……トリプルはさすがに食べ切れないかな」


 俺はこういうとき、あまり選択を悩まないタイプだ。さらりと一瞥してから、チョコミントとクッキークリームのダブルにしよう、と決意する。

 水無瀬がうんうんと悩んでいる傍ら、俺たちに続いて入ってきたカップルが控えめにガラスケースを覗き込んできた。それに気付いた水無瀬は、ケースの前からさっと退いた。どことなく育ちの良さを感じさせる、美しい所作だった。


「私まだ決まってないので、お先にどうぞ」


 カップルは「ありがとうございます」と頭を下げた。セーラー服と学ラン姿のカップルで、なかなかの美男美女である。

 こちらも女子の方が決めかねているらしく、「スペシャルトリプルがいいけど、ストロベリーもヘーゼルナッツも食べたい」と呟いている。


「それなら、おれがストロベリーとヘーゼルナッツのダブルにする。半分ずつ一緒に食えばいいだろ」


 ……ずいぶんとお優しい彼氏だ。俺にはとても真似できない。

 彼女は嬉しそうに「うん!」と頷くと、ご機嫌な様子でトリプルアイスを注文している。カップルの一連のやりとりをじーっと見ていた水無瀬は、つんつんと肘で俺を軽くつついてきた。


「ねえねえ悠太、マンゴー食べたくない? シェアしようよ」

「……すみません。チョコミントとクッキークリームのダブル、カップで」

「えーっ! 私、チョコミント食べられないのにー!」


 水無瀬は口ではそう言いながらも、顔はにやにや笑っていた。先ほどの彼氏のような対応を、おそらく水無瀬は求めていないのだろう。


 結局水無瀬はピスタチオとココナッツのダブルを注文して、俺たちは横並びのカウンター席に腰を下ろした。

 少し離れたテーブル席では女子高生の団体がきゃあきゃあとはしゃいでおり、窓際のソファ席では先ほどのカップルが仲睦まじく笑い合っている。どう考えても俺一人だと来ない空間だな、とぼんやり考えた。

 男同士だと、学校帰りに洒落たアイスクリーム屋に行くことはほとんどない。食べ盛りの男子高校生は、ファーストフードか牛丼屋で腹を満たすことを優先してしまうのだ。こんな機会でもないと、わざわざ一駅歩いてアイス屋に行くことなんてない。


「ねえねえ悠太、ピスタチオもココナッツも美味しいよ。食べる?」

「いらねえよ」


 はいあーん、とばかりに差し出されたプラスチックスプーンを無視すると、水無瀬はやけに嬉しそうに笑う。

 俺以外の人間ならば誰もが見惚れてしまいそうな笑顔を横目で見ながら、俺はアイスを口に運ぶ。ミントの風味が口の中で爽やかに広がって、なかなか美味かった。


「あ、そうだ悠太。私、彼氏ができたら一回やってみたいことがあったんだー」


 アイスをすくいながら、水無瀬が甘えるようにこちらを見つめてきた。ぱっちりとしたアーモンド型の瞳は大きく黒目がちで、品の良い猫を彷彿とさせる。ちなみに俺は猫より犬派である。


「……なに?」


 一応尋ねると、水無瀬は唇の端についたアイスをぺろりと舐めとった。なんだかやけに小悪魔じみた仕草だな、と俺は思う。

 ぼんやり見ていると、水無瀬は首元のネクタイに手をかけて、するりと解いた。


「……なっ……なにやってんの!?」


 水無瀬の突然の行動に、俺は椅子から転がり落ちそうになった。彼氏ができたらやりたいことって、そういう系!? いやいや、こんなところで!? 俺はそんな趣味、微塵もねーから!

 一人で慌てふためいている俺をよそに、水無瀬は涼しい顔で「はい」とネクタイを差し出してくる。


「……は?」

「ネクタイ交換! 流行ってるでしょ? 一回やってみたかったのー!」

「へ……は、ああ……」


 うちの学校は上下黒のブレザーで、男子は青色、女子は赤色のネクタイである。水無瀬によると、恋人同士でネクタイを交換するのが流行っている、らしい。たまに青色のネクタイを着けている女子がいるのは、そういう理由だったのか。

 俺はがっくり脱力した。下心があったわけでは断じてないが、妙なことを考えてしまった自分を殴りたくなる。俺も所詮は至極まっとうで健康的な男子高校生なのだ。


「悠太もネクタイ外して」


 俺はしぶしぶ、首のネクタイを取って水無瀬に手渡した。水無瀬は「ありがとう!」と笑って、いそいそと青のネクタイを締める。俺がさっきまで身につけていたネクタイは、まるで最初からそこにあったかのように水無瀬の首元へと収まった。


「似合ってる?」

「どっちも同じだろ」

「あっ、悠太も結んであげるね」


 水無瀬はそう言って、赤いネクタイを俺の首に巻きつけた。あまり器用な方ではないらしく、「あんがい難しいな……」と悪戦苦闘している。締め殺されるんじゃないかとヒヤヒヤした。しばらくして完成したネクタイの結び目は、はっきり言ってかなり不恰好だった。


「で、できた!」

「おまえ……ヘッタクソだな。なんだこれ」

「うんうん、いいよね! なんかカップルっぽい!」


 俺の文句など右から左で、水無瀬は満足げに頷いている。俺は溜息を噛み殺しながら、何故こいつがここまで自由に振る舞えるのかを考えていた。

 俺の告白を受けてからの水無瀬は、常にアクセル全開フルスロットルだ。俺がどれだけ嫌な顔をしようがお構いなしに気持ちを押しつけてくる。いくら自分に自信があるからといって、なかなかできることではない。

 おそらく水無瀬は、俺に嫌われることをまったく恐れていない。むしろ、好かれたくないとさえ思っているのだろう。俺がうんざりして冷たくすればするほど、水無瀬は喜ぶ。俺が興味のない素振りを見せるほど、ますます彼女の俺への好意がエスカレートしていく。

 ……あれ、これ詰んでねえか。

 どちらにせよ、水無瀬がこのくだらない「恋人ごっこ」に飽きるまでの辛抱だ。俺の頭は今も斬首台の上に乗せられていて、彼女の手には今もナイフが握られているのだ。早いうちに殺してくれないかな、と思いながら俺は不恰好な結び目に触れた。

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