彼女は最強

 先週梅雨入りしたばかりだというのに、ここ数日は六月とは思えない晴天が続いている。半袖のカッターシャツで充分な気候だ。清々しく晴れ渡る青空とは対照的に、俺のテンションはどん底だった。

 昨夜は水無瀬からのメッセージを無視し続けていたのだが、目が覚めてスマホを確認すると通知が四桁を超えていた。正直重いしちょっと怖い。

 もしかすると、水無瀬はいわゆるヤンデレというやつなのだろうか。世間的にはそういう需要もあるのだろうが、俺は美人もヤンデレもご遠慮願いたい。あいつはもう少し、需要と供給のマッチングを考えるべきだ。


 校門が見えてきたところで、俺はぴたりと足を止めた。昨日と同じく、水無瀬ひかりが人待ち顔で立っている。

 長袖のカッターシャツに白のベスト、膝が少し隠れる丈のスカートという、この暑さのわりにはなかなか防御力が高そうな格好だ。このまま帰宅したくなったが、そういう訳にもいかない。

 なるべく顔が見えないように下を向きながら歩いてみたが、そんなささやかな抵抗は無駄だった。「上牧くん!」という明るい声が響いて、俺はまたしても周囲の注目を浴びる羽目になる。


「おはよう! 今日もいい天気だね!」

「……水無瀬……さん、なんで待ってんの……?」


 俺がボソボソと答えると、水無瀬はにっこり笑って、親しげに腕を絡めてくる。


「だって彼女だもん。少しでも彼氏と一緒に居たいと思うの、普通でしょ?」

「はあ、そうですか。悪いけど、明日からは待たなくてもいいから」

「昨日、なんで返信くれなかったの? 私、男の子に未読スルーされたのなんてはじめて! 興奮していろいろ送りすぎちゃった。うるさかった?」

「うるさかった」


 水無瀬の腕を振り払いながら正直に答えると、彼女はやけに嬉しそうな顔で「やっぱり? ごめんなさい」と言った。口では謝っているものの、まったく反省の色が見えない。

 それにしても、俺の前にいる水無瀬の表情はデレデレと緩みきっていて、普段の凛とした姿は微塵もない。知能指数が十ほど下がってしまったかのようだ。


「彼氏に対する適切な連絡頻度がわからなくて」

「俺も知らねえけど、通知が四桁越えるのは異常だってことはわかる」

「そうなんだ! ごめんね、上牧くんと付き合えたのが嬉しくてついはしゃいじゃって……今日からはちょっとは控えるね」


 そう言って、水無瀬は赤く染まった頰を両手で押さえた。

 俺たちのやりとりを聞いていた生徒たちの「ほんとに付き合ってんの?」「まじかよ」「死にたい」というヒソヒソ声が聞こえてくる。死にたいのはこっちの方だ。

 やはり水無瀬ひかりの彼氏の座なんて、ちょっとした手先の器用さくらいしか取り柄のない俺には荷が重すぎる。なんだか変な汗をかいてきた。

 俺のカッターシャツが汗だくになった頃、ようやく教室へと辿り着いた。ショートホームルームが始まる五分前だ。ざわついていた教室が、俺たちの登場によりしんと静まり返る。いつもはくだらないこで話しかけてくる悪友たちでさえ、神妙な面持ちで遠巻きに見ていた。


「水無瀬さん、上牧くん。おはよう」


 腫れ物のような扱いを受ける中、無駄に良い声で挨拶をしてきたのは新庄だった。

 俺の隣にぴったり寄り添う水無瀬の姿を見て、新庄はやや傷ついたような表情を浮かべる。見るのも嫌ならわざわざ挨拶なんてしなけりゃいいのに、律儀な男だ。


「おはよう、新庄くん」


 清楚な笑みを浮かべて答えた水無瀬は、普段の知能指数を取り戻していた。彼女は愛想は良いのだが、周囲に対して一定の距離感を保っているように見える。特に男相手になると、業務連絡以外で話しかけているところをほとんど見ない。どことなく近寄りがたいオーラがあるのだ。そういうところも高嶺の花たるゆえんなのだろう。

 新庄は毎日恒例の美辞麗句を口にすることなく、寂しげな背中で自分の席へと戻っていった。水無瀬はくるりとこちらを向いて、親しげに話しかけてくる。


「上牧くん、今日も一緒に帰ろうよ」

「いや無理。俺、あいつらと約束あるから」


 水無瀬の提案に、俺は教室後方にいる男連中を顎でしゃくった。俺に趣味の悪い罰ゲームをふっかけてきた悪友どもである。品行方正とは言い難いが、友人として付き合うにはそれなりに気の良い奴らだ。

 実際のところ、「約束」というほどのものではない。今日は母も姉も帰りが遅いから、適当に教室で駄弁って携帯ゲームでもするつもりだった。

 水無瀬はぱちぱちと瞬きをしてから、チラリと教室後方に視線を向けた。美少女の流し目がヒットした悪友たちは、全員揃ってぴしっと背筋を伸ばす。


「そっか、無理言ってごめんなさい」


 水無瀬はそう言って、悲しげにしゅんと眉を下げた。責め立てるような視線が一斉に俺に突き刺さる。「断るにしても言い方があるだろ」「上牧、ほんと冷たいよね」というひそひそ声まで聞こえてきた。

 主に女子から嫌われるのは慣れっこだが、ここまで敵意に満ちた目を向けられることはなかなかない。我が校のアイドルを悲しませた男に人権はないのだ。


「いやいや、めっそうもない! オレたち水瀬さんの邪魔なんてしませんから!」

「そんな男、熨斗つけてくれてやりますよ!」


 慌ててそう言った悪友どもを、俺はギロリと睨みつける。水無瀬はぱっと顔を輝かせると、奴らに向かってぺこりと頭を下げた。


「ほんと? ありがとう。無理言ってごめんなさい。じゃあ、今日は上牧くんのことお借りするね」


 美少女の笑顔に、悪友たちはデレデレとみっともなく表情を緩めた。おいおい、俺の意思は無視ですか。この裏切り者どもめ。

 非難の意味をこめて水無瀬を睨みつけてみたが、水無瀬は「その冷たい目、最高……」とうっとりするばかりで、完全に逆効果だ。嫌われることが怖くない人間というのはある種最強なのだと、俺は身をもって知った。

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