美女なんてロクなもんじゃない

 ひょんなことから高嶺の花の彼氏の座を手に入れてしまった俺は、もう何度目かわからない溜息をついた。身から出た錆ではあるのだが、すこぶる憂鬱だ。

 俺の性自認は男だし、性的指向も一応女性だ。人より薄い自覚はあるが、性欲もちゃんとある。俺のような冴えない男があれだけの美少女と付き合えるのだから、本来ならば棚ボタだとばかりに喜ぶべきなのかもしれない。万歳三唱のうえ、多少いかがわしい行為に思いを馳せてもいいのかもしれない。

 しかし、俺はどうしても喜ぶことができなかった。理由はひとつ。俺は――性別でひとくくりにするのも問題があるかもしれないが――女性が苦手なのだ。それも、容姿の整った女は特に。


 冷凍していた挽肉を解凍して、みじん切りした野菜と共に炒める。鶏肉を刻んで入れるのもいいが、俺はオムライスは合い挽き肉で作る派だ。単純に調理が楽だし、米が少なくてもボリュームが出るし、ふつうに美味い。

 米をぶち込んで味付けをして、あとは卵で包むだけ、というところまで完成させたところで、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。嫌な予感がした俺は、コンロの火と一緒に自らの気配も消す。


「ちょっと悠太ぁー! あたしのリップどこ!?」


 けたたましい声と共にキッチンに乗り込んできたのは、俺の女性嫌いの元凶となった人物だった。ずかずかと詰め寄ってきた女を、俺はぎろりと睨みつける。


「洗面所に置きっぱなしになってたから、ポーチにしまったぞ。引き出しの二段目」

「バカ! あれは置きっぱなしにしてるんじゃなくて、すぐ使うから出したままにしてるの!」


 とか言って、すぐ洗面所の隙間に落としただのなんだの大騒ぎするじゃねえか。とはいえ逆らうと十倍にして返ってくるのは目に見えているので、俺は黙っていた。


「悠太。あたし今からデートだから、髪セットして」


 腕を引かれ、有無も言わせず洗面所まで連行される。こうなると、俺はおとなしくこの女に従うしかないのだ。

 鏡に映る顔はいつも以上に完璧なメイクが施されており、客観的に見てもかなりの美人だ。つり目がちの大きな瞳はやや気が強そうな印象もあるが、それが良いという男も少なくないだろう。


「ちょっと後れ毛残したアップスタイルね。あ、でも気合い入りすぎとか思われるのもヤだから、あんまり盛りすぎないで。ナチュラルだけど、それでいて手は抜いてない感じでよろしく」

「注文クソ多いな……」


 今の彼氏は「清楚系が好き」らしく、前回やや派手めな髪型にしたらやり直しを命じられた。俺は溜息をつきつつも温めたヘアアイロンを手に取ると、ロングヘアの毛先を一房取って巻き始める。

 このワガママで横柄な美女の名前は上牧由紀子ゆきこ。地味な俺とはちっとも似ていやしないが、正真正銘血の繋がった実姉である。

 物心ついた頃から、俺はみっつ歳上の姉の下僕だった。奴は毎日のように俺を顎でこき使い、逆らうと容赦ない制裁を加えた。

 しかし外面の良い姉は、周りの大人たちにとっては「面倒見の良いお姉さん」、俺の男友達にとっては「エロくて美人のねーちゃん」だった。羨ましいと何度言われたかわからないが、その度に俺は頰を引き攣らせていた。

 弟を下僕のごとく扱い、理不尽に逆ギレし、別れた男を口汚く罵り、下着姿でそこらを平然とウロつき、床が見えなくなるほど部屋を散らかす女を間近で見ながら、俺は女性に幻想を抱くのをやめた。

 姉に対する苦手意識は次第に女性全体へと広がっていき、中学に入る頃には俺は女子とほとんど口を聞かなくなっていた。愛想のない俺に女子たちは余計に苛立ち、俺と女性という生き物とのあいだの溝はどんどん深まっていったのだ。結果、女嫌いを拗らせた十六歳の男子高校生が完成した。

 リクエスト通りにゆるめのアップスタイルを完成させると、姉ちゃんは「まあまあね」と満足げに笑んだ。姉の「まあまあ」は概ね合格点である。俺はほっと胸を撫で下ろした。


「今日晩メシいらねえよな。オムライスだけど」

「お弁当にするからタッパーに詰めといて。あ、明日は授業終わったらそのままバイトだから。帰り遅くなるけど晩ごはんは食べる。炭水化物少なめであんまり重たくないやつにしてね」

「へいへい……」


 矢継ぎ早に繰り出される要望に、俺はおとなしく頷くしかない。

 明日は母さんも仕事で遅くなると言っていたし、食べる前に温められるように野菜多めのスープでも作ろうか。冷蔵庫の中には常備菜もいくつかあるし、スープだけで物足りなければそれを食べればいいだろう。明日は買い物に行かなくてもいいかな、と考える。

 うちの両親は俺が幼い頃に離婚しており、俺は母と姉と三人で暮らしている。大手企業の管理職でバリバリ働く母さんと、容姿と外面の良さを活かして学生とは思えない収入を得ている姉ちゃんに代わって、我が家の家事全般は俺が引き受けているのだ。

 私立高校に通う俺としても、決して安くはない学費を払ってもらっているのだから文句は言えない。我が家の家訓は働かざるもの食うべからず、である。


「明日の朝帰ってくるから、チェーン閉めといてもいいよ」

「うわ、また朝帰りかよ……」

「うるさい。あんたももう高校生なんだから、デートくらいしなさいよ。彼女の一人くらいいないの?」

「いるわけねえだろ」

「ですよねー、知ってた。じゃ、いってきまーす」


 姉ちゃんは踵の高いパンプスを履いて、慌ただしく家を出て行った。ひらりと膝下丈のスカートが翻る。姉は付き合っている男の好みに合わせて服装を変えるタイプだが、それなりにポリシーは持っているらしく、どんな格好をしていても「姉ちゃんらしいな」と感じる。「何を着ても似合っちゃうのよね」とは本人談だ。

 残された俺は、ようやく嵐が去った、とほっと息をつく。今日は機嫌が良かったのか、俺への態度はかなりマシな方である。


 我が憩いの地であるキッチンに戻ると、置きっぱなしにしていたスマホが鳴った。手に取ってみると、母からのメッセージが届いている。今日も遅くなるから先に晩ごはん食べておいてね、とのことだ。

 気付けば、いつのまにか時刻は十九時になっていた。おれはお言葉に甘えて、ひとりでオムライスを食うことにする。

 卵をふたつ使って半熟オムレツを作り、ライスの上に乗せた。オムレツにナイフを入れると、とろりと卵が広がる。我ながら惚れ惚れする出来栄えだ。

 冷蔵庫からサラダとドレッシングを取り出して、オムライスと共にダイニングテーブルの上に並べた。


「いただきます」


 両手を合わせて、さて食うぞとスプーンを掴んだところで、再びスマホが鳴った。また母からだろうか、と思いアプリを開いて――ぎょっとする。


 ――上牧くん、こんばんは!


 SNSのメッセージ通知が届いていた。差出人は「hikari」となっている。友達登録はされていなかったが、おそらく水無瀬だろう。アイコンの写真は品の良い白猫だ。ぱっちり大きな楕円形の目は、ちょっとだけ本人に似ている。

 どこで連絡先が漏れたんだ、と一瞬考えたが、よく考えなくても二年生に進学してすぐ、クラス全体のチャットグループが作成されたのだった。本名をそのまま登録している俺のアカウントを探し出すのは容易だろう。


 ――よかったら、明日も一緒に帰らない? 予定なかったら、寄り道していこうよ!


 ……さっきいないって言ったけど、そういえばいたな。彼女。できたてホヤホヤだけど。

 俺は友人ともそれほどメッセージのやりとりをする方ではないし、正直面倒臭い。返信をせず、スマホの画面をテーブルに伏せた。

 ブーブーと震えるスマホを横目に、オムライスを口に運ぶ。やはり自分で作ったオムライスが世界で一番美味い。自炊のいいところは、自分好みの味付けができるところだ。

 いつまで経っても鳴り止まない通知を無視しながら、俺は「誰かと付き合うって面倒だな」と考えていた。

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