私があなたを好きな理由
茫然自失となりながらも帰宅して、スーパーで買い物をして飯を作って風呂掃除をする、といういつものルーティーンをこなした後には、俺は「やはり水無瀬の返事は何かの間違いだったのでは」と考えていた。
高嶺の花の水無瀬ひかりが、冴えない俺の告白を受け入れるなんてことがあるはずがない。きっと明日になれば何事もなかったかのように、平穏無事な日常が待っている。そう信じて眠りについた――はずなのだが。
登校するなり、校門の前で待ち構えている人物を見た俺は、今すぐに回れ右をしたくなった。ただ立っているだけで絵になる美少女は、すれ違う生徒たちの注目を一身に受けている。そんな無遠慮な視線などものともせずに、彼女はどこかソワソワとした様子で、頰を赤らめて前髪を弄ったりしている。明らかに「誰かを待っている」という雰囲気だ。
いやいや、まさか。俺じゃねえよな。自意識過剰すぎだっての。
俺はできるだけ彼女を見ないようにしながら、こそこそと校門をくぐろうとする。頼むから見逃してくれよ、と祈るような気持ちで通り過ぎたところで――ぱっと表情を輝かせた水無瀬が、俺に声をかけてきた。
「上牧くん、おはよう!」
美少女の待ち人登場に、大袈裟ではなく周りがざわつく。あっという間に、俺の「平穏な日常」がぶち壊されてしまった。
俺は「上牧くんって誰のことだ?」とばかりにキョロキョロと周りを見回してから、そのまま水無瀬の前を素通りしようとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
「……人違いじゃないですかね?」
当然そんな誤魔化しが通用するはずもなく、水無瀬は俺の腕をがしりと掴む。下からひょいと顔を覗き込まれて、俺はややたじろいだ。
「……ううん。人違いじゃないよ。あなたのことを待ってたの、上牧悠太くん」
そう言って水無瀬は、まるで恋する乙女のような目で俺を見つめてきた。俺は背筋がゾッと冷たくなるのを感じながら、水無瀬の手を振り払う。足早に歩き出すと、水無瀬は小走りで俺についてきた。
「ね、一緒に教室行こ」
「……なあ水無瀬さん。何かの冗談だよな?」
「私、昨日はドキドキしてあんまり眠れなかったの。上牧くんはよく眠れた?」
「ほんとに意味わかんねーんだけど……ドッキリなら早めにネタバラシしてくんない?」
「上牧くん、たしか帰宅部だったよね? よかったら一緒に帰らない?」
……ダメだ。お互いが明後日の方向にボールを投げ続けているうえに、まったくボールを拾いに行こうともしないせいで、全然会話のキャッチボールが成立しねえ。
周りの生徒たちは、水無瀬の隣にいる俺に好奇の目を向けている。中には、あからさまに敵意を向けてくる奴もいた。ぐさぐさと突き刺さる視線は痛くて居心地が悪い。
無意味なやりとりをしながら教室の前まできたところで、すらりと長身の男が廊下に立っているのを見つけた。やばいまた面倒臭い奴が、と思った瞬間に、そいつはこちらに気付いて表情を輝かせた。
「水無瀬さん、おはよう! 今日も花よりも美しく太陽よりも眩しいね!」
歯の浮くような褒め言葉をつらつらと並べた男に、水無瀬は眉ひとつ動かさず笑顔を張りつけている。少しの歪みもない、人形のように完璧な笑みだ。
奴――
うっとりと水無瀬に見惚れていた新庄は、やがて隣にいる俺に気付いたらしくはっと目を見開いた。慌てて逃げ出そうとしたが、もう遅い。
「み……水無瀬さん! 何で上牧くんと一緒にいるんだ?」
「私、昨日から上牧くんと付き合い始めたの」
えへへとはにかんだ水無瀬が、特大爆弾を投げ込んだ。新庄はぽかんと口を開けると、わなわなと震え出し、膝からがっくりと崩れ落ちた。まるで舞台俳優のようなリアクションだ。俺は無理だけど、おまえなら役者になれるぞ。
「な、な、な、なんだって……」
「昨日の放課後、告白されて……ねっ、上牧くん」
「いやその、あれは」
「私も上牧くんのことずーっと気になってたから、嬉しかった!」
そう言って、水無瀬はぎゅっと俺の腕にしがみついてきた。いつのまにかクラスの連中がワラワラと集まってきていて、阿鼻叫喚の騒ぎになっている。
「は!? 何であえての上牧!?」
「いやいや、ありえねーだろ……この世の終わりだ」
「ひかりちゃん、血迷ったの? 上牧に弱みでも握られてる?」
どいつもこいつも失礼すぎるが、まったくもって同感である。
廊下に四つん這いになって打ちひしがれている新庄を尻目に、俺は水無瀬に腕を掴まれながら、まるで連行される犯罪者のような気持ちで教室の中へと入っていった。
クラスメイトの嫉妬と好奇心に晒され続けた俺は、一日を締め括るショートホームルームが終わった頃にはぐったりと疲弊していた。今日一日、「何で水無瀬さんがおまえなんかと」という質問に対して「わからん」と答え続けてきたのだ。普段まったく関わりのない女子たちでさえ「何で?」と詰めかけてきたので、俺は「知らねえよ」とすげなく追い返した。
「上牧ってほんっと感じ悪いよね! 絶対仲良くなれない! ひかり、何でこんな奴がいいんだろ」
聞こえよがしにそんな捨て台詞を吐かれたが、それが正常な反応である。俺だって、クラスの女子と仲良くするつもりなんてさらさらない。
「上牧くん、一緒に帰ろ」
さっさとこの場から逃げ出そうと思っていたところで、水無瀬に捕まってしまった。よっぽど嫌だと言いたかったが、きちんとお互いに話をしておいた方がいいだろう。俺は「わかった」と観念すると、水無瀬と連れ立って教室から出た。
俺の隣を歩く水無瀬は、やけに浮き足立っていた。チラチラと俺の顔を盗み見ては、「えへへ」と幸せそうに笑っている。そんな水無瀬を横目に、俺はげんなりしていた。普段は完全に周囲の背景に溶け込んでいるモブの俺だが、今日ばかりは目立ちに目立ちまくっている。あの難攻不落の水瀬ひかりが、男と並んで歩いているのだから当然だ。
「上牧くんって徒歩通学だっけ? 近くに住んでるの?」
「……歩いて十分くらい。南町の方」
「あ、じゃあ同じ方角だね! よかったあ」
校門をくぐってしばらく歩いて行くと、俺たちと同じ制服姿の人間の姿も減って、ようやくほっと一息つけた。
水無瀬は何が楽しいのか、ろくな反応を返さない俺にぺちゃくちゃと話しかけ続けている。十七時のタイムセールに間に合うようにはスーパーに行きたい。そろそろ本題に入ろうと思った俺は、「あの」と切り出した。
「……水無瀬、さん。昨日の……告白のことなんだけど」
水無瀬は「うん?」と小首を傾げた。焦茶色のセミロングが、肩の上でさらりと揺れる。見れば見るほど、アイドルも裸足で逃げ出すほどの美少女だ。しかし俺にとっては、そんなもの何の価値もない。
「……ごめん。あれ、仲間内の罰ゲームなんだよ。水無瀬さんに告白して振られてこいって言われて」
そう口に出すと、これ最低だな、と俺は改めて思い知らされた。いくら相手が難攻不落の美少女とはいえ、罰ゲームのネタにするなんて失礼にもほどがある。やっぱりこんな、相手の気持ちを弄ぶような悪趣味なことするべきじゃなかった。俺は足を止めると、水瀬に向かって深々と頭を下げた。
「ほんとにごめん。俺のこと、なんとでも罵ってくれてもいいから」
水無瀬はじっと俺を見つめたまま、ぱちぱちと瞬きをした。色素の薄い水無瀬の瞳はやや茶色がかっていて綺麗だ。ややあって、水無瀬はゆっくりと口を開く。
「……それって、上牧くんは私のこと全然好きじゃないってことだよね?」
「……うん」
「まったく全然、これっぽっちも?」
「……はい、そうです」
水無瀬の追及を受けながら、ぐさぐさと、罪悪感が胸を刺す。本当に申し訳ありません、まったくもってその通りです。誰もが好きにならずにいられない完璧な美少女・水無瀬ひかりのことを、俺だけは全然好きじゃない。もう一度誠心誠意謝ろうと身体を二つ折りにしたところで、頭の上から予想外の言葉が飛んできた。
「えっ、最高! ほんとに、そんなことってある!?」
はしゃいだような水無瀬の声に、俺は驚いて顔を上げた。水無瀬は頰を紅潮させて、興奮気味に俺の両手を掴んで、ぶんぶんと振り回してくる。
「うすうす、そうなんじゃないかと思ってたの! この人、全然まったく私のこと好きじゃないんだろうなあって!」
「え……はあ」
「まさか、ほんとに私に興味がないなんて! 嬉しい! やっぱり上牧くん、私の理想だよ!」
その場でぴょんぴょんと飛び跳ねている水無瀬に、俺は圧倒された。状況を把握できずにいると、水無瀬はにやーっと顔全体に笑みを浮かべてこちらに擦り寄ってくる。
「私ね、私のことが全然好きじゃない人が好きなの。私に、全然興味のない人」
「へー……」
多少変わってはいるが、他人の趣味嗜好を否定するつもりはない。俺がまったく水無瀬に興味がないように、マイノリティというのはどこにでも存在しているものだ。
……ん、待てよ。「私に全然興味のない人」?
「でも、そういう人って大抵他に好きな人がいたりするじゃない? うちのクラスで私に興味ない男の子、上牧くんと
ざわざわと迫り来る不吉な予感に、俺は眉を顰めた。水無瀬はそんな俺の反応にも構わず、上機嫌に俺の両手を握りしめている。水無瀬の指は白くて細くて長い。ピアノでも弾きそうな手だ。
「でも上牧くんは私に全然興味がなくて、しかも彼女もいない! 最高の人材だよ! そんな人が私に告白してくれるなんて、夢みたい! 鴨がネギ背負ってきたよ!」
「ちょ、ちょっと待て……」
怒涛の展開に、頭がくらくらしてきた。目眩を覚えてふらつくと、水無瀬が心配そうに「大丈夫?」と尋ねてくる。いや、おまえのせいだよ。
「要するに、水無瀬……さんは、自分に興味のない俺のことが……」
「好き! 私のこと、これっぽっちも好きじゃない上牧くんが大好き!」
ずいぶんと熱烈な告白だが、あいにくちっとも喜ぶ気にはなれない。熱のこもった視線にげんなりしていると、水無瀬はうっとりした表情を浮かべた。
「はぁ……私に好きって言われてるのに、こんなに嫌そうな顔する男の子なんて最高だよ……こんな人が彼氏だなんて理想的すぎる……」
「……いや。俺、水無瀬さんと付き合うつもりは」
「でもね上牧くん。もしここで上牧くんが私を振ったら、君は〝罰ゲームで女子に告白して、喜んでいる女子の気持ちを弄んだ最低な男〟になっちゃうよ?」
水無瀬はあざとい仕草で首を傾げた。俺はぐっと言葉に詰まる。たしかに水無瀬の言っていることは事実なのだが、何かが決定的に捻じ曲がっている。
しかし客観的に見ると、最低なのは間違いなく俺の方だ。水無瀬ひかりを傷つけた俺は、クラス内での――いや、学校内での社会的地位を失い、人権を奪われ、残りの学校生活を全校生徒から白い目で見られながら過ごすしかない。それはちょっとゾッとしない話だ。
「上牧くん、私の彼氏になってよ。私のこと全然好きじゃない人から告白されることなんて、この先一生ないと思うの」
「いや、好きでもない奴と付き合うなんて、さすがに不誠実だろ」
「なんで? 私は私のこと好きじゃない人と付き合いたいんだから、そっちの方がむしろ私の意に沿ってて誠実じゃない?」
……なんだかこんがらがってきた。そんなことより早く帰らないと、夕方のタイムセールに間に合わない。今日は卵が安いから、オムライスでも作ろうと思ってたんだ。
「上牧くんに、他に好きな人ができるまでのあいだでいいから。私と付き合ってください。ね、いいでしょ?」
ぐいぐいと押してくる水無瀬に、俺は白旗を上げた。どうせこいつはただ自分に靡かない男が物珍しいだけで、俺のことなんてすぐに飽きるだろう。それまでの辛抱だ。
「……わかった」
「やったー! じゃあめでたく彼氏と彼女ってことで、これからよろしくね。えへへ、嬉しい」
水無瀬は嬉しそうに俺に抱きついてきた。ふにゃりと柔らかなものが俺の胸にぶつかったが、こんなものはただの脂肪の塊である。俺は水無瀬の両肩を掴んで、強引に引き剥がした。
「あ、上牧くん。ひとつだけ約束して」
「……なに?」
「私のこと、絶対に好きにならないでね」
水無瀬はやけに真剣な表情で、ぴんと人差し指を立てて言った。俺は彼女の無駄に整った顔をじろりと睨みつけると、「ありえねえよ」と吐き捨てた。
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