夏の夜空、花束の残り香

さとね

花火と僕らと百日紅

 僕の高校生活最後の夏休みは、勉強で終わるはずだった。

 毎日の勉強を欠かすことなく続けること一ヶ月。

 異性との絡みは、夏休み初日に図書館で勉強していて、落とした消しゴムを女の子に拾ってもらった程度。


 青春なんて言葉は辞書以外で見つからない夏休みを過ごして、二学期を迎えようと準備を整えると、あろうことか再び夏休みが始まっていた。

 学校に行く前に気づけて良かった。

 僕はどうしたものかとベッドに寝転がって、


「……これ、ラッキーじゃないか?」


 どうしてこんなことになっているのかは知らないが、記憶はきっちり残っている。なら、再び一ヶ月勉強ができる。元々、志望校のレベルが高いため、夏休みが二度確保できるなんて運がいいのかもしれない。

 そう思って、再び真面目に一ヶ月の勉強を続けて、


「……マジか」


 三度目の夏休みが始まっていた。

 前回よりも驚きは少なかったので、今回は初日から図書館に行って勉強をした。

 もう目をつぶっても辿りつけそうな定位置に座り、教材を開く。

 夏休み後半で買った赤本は振り出しに戻って家から消えたため、道中で買いなおしておいた。

 さて、既に全て解いたことがあるから、復習を始めよう。


「――やっと見つけた」


 赤本を開いた僕の手を、見知らぬ美少女が掴んでいた。

 二回分の夏休み分、親以外とロクに会話をしていなかったので、言葉が出ない。


「あ、え……?」

「あなた、何回目?」

「なにが……」

「私は三回目」


 それだけで、その子が何を言いたいのかは分かった。

 僕がゆっくりと頷くと、美少女は崩れるように椅子に座った。


「ようやく私以外にも繰り返している人を見つけた。手がかりがなかったらどうしようかと思った」


 ふう、と美少女は息を吐く。


「え、えっと」

「なに?」

「どうして、分かったの」

「それ。問題集が赤本に変わってたから」


 確かに初日から赤本を買ったのは今回が初めてだった。

 しかし、何故知っているのだろう。


「……どこかであったことある?」

「一回だけ。この席であなたの消しゴム拾った」

「あっ、あの時の」


 僕がこの二ヵ月間で会話をした唯一の女の子だった。

 当時は緊張して目も合わせられなかったし、美少女だと気づいた今も当然、僕は斜め下に視線を向けていた。


「前回はどれだけ探しても誰も異変に気付いてなかったから、初日で会えてほっとしてる」


 脱力して机につっぷした美少女は「それにしても」と目線だけを僕に送る。


「こんな異常事態なのに、どうして普通に勉強してんの?」

「大学に受かりたいから」

「嘘でしょ。私なんて最初の夏休みでも苦痛だったから前回はほとんど勉強してないのに」

「少しでもやらない期間があると、成績って簡単に落ちるから」

「あーやだやだ、聞きたくない」


 美少女は立ち上がって、僕の赤本を閉じた。


「え、なに」

「遊ぼう。どうせこのループが終わる方法も分からないんだし」

「でも、次は夏休みが終わるかも……」

「うっさい。遊ぶ」


 二〇分後には、僕はその子の家にいた。

 甘い香りと桃色が僕の五感を埋め尽くしている。

 トランプやらゲームやらを持ってきた美少女は、ドサッと目の前であぐらをかいた。


「私、久保皐月。あなたは?」

「さ、佐々木壮太」

「ん。よろしく、壮太」


 即名前呼び。

 胸の奥がぞわぞわした。


「久保さん」

「皐月でいいよ」

「……皐月さん」

「ほい。なに?」

「どうして、僕をここに?」

「私と同じくループしてるから」


 それだけらしい。


「私ね、一回目の夏休みも前回も、まあまあ遊んだんだよね。でも、全部リセットされて、遊んだ記憶があるのは私だけ」


 僕たちの記憶だけはリセットされない。

 だからループして残るのは、自分だけが思い出を持つという虚しさだけ。


「でも、同じくループしている壮太なら、またループしても『あの時やったあのゲーム楽しかったよね~』みたいな会話できるでしょ?」

「それだけ?」

「何か文句でも?」

「……ゲーム、あんまりやったことないからお手柔らかに」

「よしきた。ぼこぼこにしてやる」


 本当にボコボコにされた。

 女の子相手にゲームで手も足も出ないと言うのは少し悔しかったので、帰り道に同じゲームを買って帰った。

 お金も時間もどうせリセットされるだろうから、思い切りよくお年玉貯金を切り崩せた。

 勉強も充分すぎるほどやっているのだ。少しくらいは息抜きをしよう。

 そして。


「よっしゃあ!!」

「ぐはぁ! 負けたぁ!」


 僕が皐月に勝ち越したときには、夏休みは終わりを迎えようとしていた。

 夏休み最終日。今日だけは皐月の家で日付が変わる直前までゲームをしていた。


「くっそ! 次こそ勝つ!」

「気合入れて練習したから、次も負け――」


 言い切る前に、四回目の夏休みが始まった。

 気が付いたら自室にいて、買ったゲームも赤本も消えていた。

 これがきっと、皐月の感じた虚しさなのだろう。

 わずかな不安を胸に、僕は図書館へ向かった。

 この夏休みを皐月が忘れているのかどうか、気になったから。

 いつもの席に座るや否や、見覚えのある美少女が目の前に座る。


「よっす。今度はこっちね」


 見覚えのないゲームを出して笑う皐月を見て、僕は教材も出さずに図書館を出た。


 それからは、夏休みがあっという間に過ぎていった。

 四回目の夏休みは、途中でゲームに飽きて映画三昧だった。

 映画館に行ったり、レンタルをして一日を皐月の家で映画鑑賞会をしたりもした。

 洋画のラブシーンが唐突に来て、動揺したのを笑われたのは未だに覚えている。


 案の定、五回目の夏休みも来た。

 今回はどっちが美味しい料理を作れるかの勝負をしたり、少し遠出して有名なレストランに行ったりした。

 最終日はリセット前提で二人の小遣いの全額を使って贅沢をした。

 二人してループにホッとし始めていることに気づいた。


 そんな感情を自覚して、六回目からは遊びながらループを直す方法を探し始めた。

 よく分からなくて、結局遊び始めてしまったが。

 そして、数えるのも面倒になってきた夏休みの半ば。


「ねえねえ、壮太」

「ん? どうした?」


 最近の僕たちのブームであるレトロゲームをプレイしながら、皐月は言う。


「この前、本でループについて見たんだよね」

「お、なんて書いてあった?」

「運命が確定していないから、繰り返すらしい」

「……ごめん。分かんない」

「なんか、運命が決まっているけど、それとは違う結果になってるからその結果が生じるまで繰り返してるとか。他には未来と今が重なっているとか」

「ゲームのクリア条件満たしてないから、リセットされてるってこと?」

「……多分?」


 かくんと首を横に倒す皐月。

 受験勉強では太刀打ちできない理屈だった。

 結局、何も分からないまま次の夏休みがやってきた。



 皐月は夏休みの回数を数えていた。

 今回が、二一回目の夏休みらしい。

 年月にすれば、約二年が経過していた。

 それでも、僕たちの夏休みは変わらない。


「月に変わっておしおきだぁ!」

「つ、つめたぁ!?」


 二一回目の夏休み最終日。

 夏祭りに来ていた僕は、セーラームーンのお面をつけた皐月に水ヨーヨーをぶつけられて半身をずぶ濡れにされていた。


「おまっ! さすがに水はなしだろ!」

「はっはー! 隙を見せた壮太が悪い!」


 逃げる皐月を捕まえて、僕は強引に引っ張る。


「焼きそば、奢りな」

「それで許してもらえるの? ちょっろ~」

「たこ焼きもな」


 そんな会話をしながら、僕たちは手を繋いで歩く。

 いつからか、出かけるときに手を繋ぐようになった。

 それでも、この関係にまだ名前はない。

 いいや、つけてはいけない気がしたのだ。


 運命が確定していないから繰り返す。


 ならば、僕の気持ちを伝えてしまえば、この楽しい夏が終わってしまうのかもしれない。

 きっとそれを皐月も分かっているから、何も言わなかった。

 僕の横を弾むように歩く皐月は、何かを見つけて走り出した。


「あ、百日紅!」


 桃色の小さな花弁が夏の夜を彩っていた。

 そういえば、百日紅はこの夏で何度も見た気がする。


「百日紅って、夏の間に咲く花らしいよ」

「だろうね。ずっと咲いてるし」

「うん。私たちの夏が続く限り、百日紅は枯れない」


 皐月がそう言い切った直後、空気が震えた。

 振り返られば、花火が上がっていた。

 視界の全てが火の花束で埋め尽くされる。

 その光景に呆気に取られていると、


「どっかかかどっか、どかどかどぉ~んっ!」


 すぐ近くで、両親の手を握った女の子が笑顔で飛び跳ねていた。

 微笑ましいなと思うと同時、何か別の感情が動いた。

 皐月も、優しい目で花火を見る家族たちの後ろ姿を眺める。


 祭りが終わっても、僕たちは帰らなかった。

 最終日の夜はリセットがあるから帰らない。

 僕たちの暗黙の了解だった。

 だからこそ、僕は日付が変わる瞬間を狙って、


「なあ、皐月」

「……なに」


 夜中でも桃色に火照る皐月の顔が、たまらなく愛おしかった。


「好きだ」


 ループに阻まれるはずの言葉は、ちゃんと皐月に届いていた。

 夏休みは、終わった。

 もうすぐ、夏も終わる。

 故に、言わなきゃいけない。


「夏以外の季節も、君と一緒にいたい」


 わずかな沈黙。

 皐月は視線を揺らして、


「それ、告白?」

「いや、プロポーズ」

「……ふーん」


 緩んだ口角を直さずに、皐月は言う。


「それじゃあ、秋は紅葉を見に行こっか」


 名前のついた僕たちの関係は、未来も続く。


「冬は雪合戦してみたい」

「春はお花見とか?」

「夏ってやってないことあったっけ?」

「じゃあその次は……」


 何年も先までのやりたいことを語っているうちに、夜が明けた。

 ほぼ徹夜で二学期の始業式に出て、放課後に皐月と会う。

 別の高校でも、関係なかった。

 半年後、僕たちは同じ大学に合格した。


 そのまま四年が経ち、職に就いて同棲を始め、ほどなく籍を入れた。

 数年後には子どもを授かり、育児と仕事に追われて早六年。


 小学校に上がった娘の、初めての夏休みがやってきた。

 課題を終わらせたご褒美に、最終日に花火を見に来て、


「どっかかかどっか、どかどかどぉ~んっ!」


 娘がそうやって飛び跳ねた瞬間、僕たちは目を合わせた。

 慌てて振り返るが、そこにはセーラームーンのお面をつけた美少女も、半身の濡れた男もいない。

 あるのは、一本だけ枯れた百日紅だけ。


「未来と今が重なっている、か……」


 僕が呟くと、娘が心配そうにのぞき込んできた。


「お父さん、どうしたの?」

「……ママと昔にここに来たときのことを思い出してたんだ」


 皐月は少し名残惜しそうに後ろを見ていたが、すぐに僕の方を向いて、


「来年の夏は、どこに行こっか」

「じゃあ、三人で決めよっか」


 日付が変わる前に僕たちは踵を返す。

 花火たちが散った火薬の匂いの中、一本だけ枯れてしまっている百日紅に別れを告げて、僕たちは歩き始めた。

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夏の夜空、花束の残り香 さとね @satone

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