第七話 作戦決行


 コガネに事情を打ち明けた翌日。僕はいつも通りに家を出て、登校する……ふりをした。職員室に「体調が悪いので、遅れて登校する」と連絡して、しばらく学校の近所にある公園でひまをつぶす。


 木製のベンチに腰かけたら、湿っぽくてひんやりと冷たかった。日付が変わる頃までぐずぐずと降り続けていた雨のせいだ。まわりに意識を向けると、公園にある遊具たちはどれも濡れている。馬の形をした遊具、たてがみについた水滴に陽の光が反射していて汗をかいているように見えた。今日は天気も良くて暖かいから、濡れた遊具たちもじきに乾くだろう。


 「……おはよう」


 人気がないのを確認してから、僕は隣りの金色を見上げて話しかけた。


 家を出て公園に来るまで、僕は確かに一人だった。途中で透明な人たちの姿をいくつか見かけたものの、誰とも会話を交わさなかった。


 目的地は違えど、ここまでは、ほぼいつも通り。何本か見送ってから電車に乗ったので、涼介たちと遭遇することもなかった。正直、とても気が楽な朝だった。幽霊に怯えて登校する朝よりも、同級生たちから暴力を受ける朝の方が、僕にとってはよっぽど非日常的で怖いから。


 「昨日、あれからどこに行ってたの?」


 たずねると、コガネはニヤニヤしながら「どこだと思う?」と問い返してきた。


 昨日の昼間。無神経とも取れる一言に僕が頭を抱えたあと、涼介の家はどこにあるのかとコガネに質問された。欲しかった答えを得ると、「作戦、考えとけ」と言い残して彼は何処かへ行ってしまい、それきり僕の前に姿を現さなかった。


 「涼介の家?」


 「正解」


 「今の今まで、ずっと?」


 「まさか。あんな家に長居なんてしたくねえよ。幽霊の俺でも息が詰まるぜ」


 あんな家。息が詰まる。


 どういう意味だろう。


 「あのあと、お前が抱えてる問題と関係がありそうなやつの周りを探ってたんだ。色々と見てきたぜ。幼馴染の泳いでるとことか、部活の後輩につらく当たってるとことか。ついでに、お前のクラスの担任の先生の仕事ぶりとかな。近い内に返される理科のテスト、何点だったか知りたい?」


 「なんでそんなものまで見てきてるんだよ……。アンタ、やっぱり僕を助ける気なんてないんだろ。こんな時に遊んで」


 「遊びじゃねぇ。れっきとした調査だ」


 「なら、調査報告ってやつ、今ここでしてよ」


 「してもいいが……、お前が知りたくない情報まであるかもしれないぜ。それでも聞くか?」


 知りたくない情報。涼介の、好きな人に対する気持ち以上に知りたくないことなんて、僕にはない。


 僕は迷わずうなずいた。するとコガネは「まあ、いずれは知ることになるだろうしな」という、意味深な呟きをこぼしてから本題に入った。


 彼の話には、信じがたい内容が含まれていた。


 「嘘だ。そんなこと、僕は知らない」


 「そりゃあ、お前が知ってたら俺だって話さなかったさ」


 「だって……、幼馴染の僕には何も言わなかった」


 「幼馴染でも、言いたくないことはあるんだろうな。お前と同じで」


 そうだった。コガネが言ったのと同じ台詞を、僕も前に口にしていたじゃないか。


 コガネの情報に間違いはないのだろう。知り得た情報を基に考えれば、涼介が僕をいじめている原因にも見当がつく。だけど、何故だろう。解決の糸口が見えてきたのに、手放しで喜べない自分がいた。


 「真汐」


 心なしか、憂慮の色が滲んだ声で名前を呼ばれた。こちらを見下ろしているコガネの顔は無表情、というより真剣だ。


 「分かってるよ」


 僕はベンチから腰を上げて、制服のズボンを手で軽くはらった。布地が水気を吸い、湿っている。風に吹かれる度、尻が冷えていく気がしてたまらないので、腰に手を当てるふりをしてさり気なく自分の体温で温めた。


 大丈夫。覚悟なら、ここに来る前から出来ている。


 作戦だって、ちゃんと練ってある。コガネから思わぬ事実を聞いても、変更は特に無い。あとは登校して、決着をつけるだけ。


 「そろそろ行く。せっかくお金を払ってるんだから、給食は食べておかないと」


 「給食費くらい、真汐の親にとっては安いもんだろ。何せ医者をやってて、あんなにいい家に住んでるくらいだから」


 「うるさいな。母さんと僕は、別人だ。考えることだって違う。一緒にするな」


 「お。そこで怒るとはな。てっきり自慢するかと思ったが」


 「生活に不自由はないよ。でも、……僕にとってはそれだけの家だ」


 今は僕の家庭環境に重きを置いている場合ではない。コガネがさらに詮索してくる前に歩き出す。彼も、少し後からついて来ているようだ。いてもいなくても作戦に支障はないから、構わないでおく。


 親にも言えない秘密を共有しているせいか、この頃から僕はコガネの幽かな気配を心強く思い始めていた。




 「日高くん。もう学校に来ても平気なの?」


 四時間目の授業が始まる直前の休み時間に登校すると、深沢さんが真っ先に声をかけてくれた。前日も学校を休んだ僕のことを、気にかけてくれているようだ。


 彼女の心配を長引かせる訳にもいかず、僕は「軽い風邪だから、平気だよ」と笑ってごまかした。優しい深沢さんに嘘をつかなくてはいけない時は、胸が痛む。この半月、僕は涼介と一緒に深沢さんを騙している。


 これ以上、深沢さんに嘘をつきたくない。


 だから今日、すべてを明らかにして、終わらせる。


 「あのさ、深沢さん。今日の昼休みって、何か予定ある?」


 「いつもみたいに、日高くんと矢沢くんと三人でおしゃべりするだけの予定だよ」


 彼女の笑顔を見た途端、決心が微かに揺らいだ。僕たちと過ごす昼休みを、深沢さんは待っている。ささやかな予定を、楽しみに思ってくれている。いつものように、他愛無い話をして笑い合う瞬間が来ると、信じている。


 けれど今日は、違う。いつも通りの昼休みを、僕が今から変えてしまう。


 「予定の変更、してもいい?」


 「変更って?」


 「僕、深沢さんに相談事があるんだ。だから今日は、二人だけで話したくて」


 深沢さん、ごめん。


 直接は伝えられないその一言を、僕は心の中で強く念じた。

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