22

 手錠をかけられ刑事たちに連行されてゆくジロー。

 〇×総合病院の事件を取材しに訪れていた報道陣や野次馬が一斉に取り囲んだ。このニュースはリアルタイムで全国中を駆け巡った、病院占拠事件の主犯逮捕の瞬間である。現場は一時騒然となるほどの混乱を見せた。

 そのはるか後方で見守る〇×家の医師たち。イチロー、サブロー、シロー、は毅然と立って唇を噛んだ。ヒデコとハナコは抱き合ったまま声を殺して涙を流した。そしてその傍らにはタケシとマミもいた。

 悲しき過去を背負ったジョーカー。

 恋人ノブコを失い、家族との絆も、医師としての仕事も、患者達もろとも全てを捨てた。唯一、裏ゲーム界でしか自分の居場所を手に入れられなかった。

だが、それさえもマミに敗れて失ってしまった。

「…ってますから!!」

不意に、女性の声が響く。

警察車両に乗せられてゆくジローを取り巻く報道陣や野次馬たちの荒れ狂う渦のさらに外側から、喧騒にかき消され微かに響くだけだった。

 しかしジローは確かにその声を聞き取った。以前、何度も何度も「ジローさん」「ジローさん」と優しく呼んでくれた心地よい響きの懐かしい声。もう二度と聞くことはできないと思っていたのに。

 ジローは車両に乗り込む手前で体を止め上体を起こし周囲を見渡す。混乱する人垣の隙間にその姿を垣間見た。


 ノブコだった。


 最後に姿を見た日からどれ程の日々が過ぎたのか…。ノブコの姿はあの日と変わっていなかったが、美しかったストレートのロングヘアーが肩までの長さに切りそろえられていた。

「ジローさん!、ジローさん!。あなたが戻って来るのを待っています、いつまでも!!。」

「ノ…ノブコ、なぜキミがここに!?」

 あの日ジローが守ってやれなかったノブコが、あの日を境にジローの前から姿を消してしまったノブコが、ここにいる!

 マスメディアやインターネットの発達によって、現代の情報の伝達速度は一昔前の比ではない。事件のニュースはノブコのもとにも伝わり、彼女はいても立ってもいられなくなり駆けつけてきたのだろうか。

 そんな理由などどうでもよかった。ただノブコがこの場所に、声の届く距離にいる。伝えなければ。あの時言ってあげられなかった言葉を!!

 ノブコの姿は瞬く間に人の波に消されて、ジローにはもう見えてはいない。だが、ありったけの力を込めて叫んだ。

「ノブコ!、ノブコ!、あの時守ってあげられなくて、本当にすまなかった。キミが俺の1番だ。あの時も、今も、そしてこれからも、世界中でたった1人だけ…キミだけが俺の1番なんだ!!!!」

 今さら何を言っているのだろう。何もかもが遅すぎる。この言葉をあの時言ってあげられたなら…、そう思うと、こみ上げてくる涙を止めることができない。視界が滲んでもうノブコの姿を探すことはできなかった。

 ジローのありったけの叫びは、感情の起伏の激しさのあまり横隔膜が震えて、上手く言葉になっていなかった。

 それでもジローの気持ちはノブコに十分届いていた。

「ジローさん!、ジローさん!、私は待っていますから、いつまででも!。あなたが戻って来るのを、ずっとこの場所で!!」

ノブコも泣いていた。声の震えでわかる。

「ありがとう、ノブコ!!」

「ジローさん!」

 ジローは刑事たちによって警察車両に押し込められ、ドアが勢いよく閉じられた。

 ジローとノブコが触れ合うことはできなかった。だが、一瞬の邂逅の間でもお互いの気持ちを伝えあうことができた。

 車両の中のジローは涙を流していたが、その表情は穏やかだった。


 走り去る警察車両を見送るノブコの傍らに、腕に点滴のチューブをつけた年老いた男が現れた。ジローの父、〇×カズである。

「ノブコさん、私は間違っていた。本当にすまなかった。悪いのは全て私なんだ。だから、ジローだけは許し…」

「お義父さん。」ノブコはカズの言葉を最後まで聞かずに遮った。

 だがカズを「お義父さん」と呼んだ。

「…私、今、看護士になるために勉強しているんです。もうすぐ看護学校を卒業します。そうしたらこの病院で働かせてもらえませんか…?」

「…ぜひ、来て欲しい。」

カズは涙交じりの声で答えた。カズがノブコにおこなった仕打ちは彼女をどれほど傷つけてしまっただろうか。それでもなお、カズの事を「お義父さん」と呼び、〇×総合病院で働きたいと言ってくれたのだ。何と優しい娘なのだろう…!

「あ、それから…私、看護学校での成績は1番なんですよ(笑)。」

そう言ったノブコは少し悪戯っぽく笑い、カズを見た。

「す、…すまなかった。」カズはそう謝ることしかできなかった。

「外は冷えてきましたね。体に障りますから中へ入りましょうか。」

「ああ…。」

 ノブコに付き添われてカズは病院内へと歩き始める。その姿を〇×家の兄妹達が囲んだ。いつかこの輪の中にジローも戻って来る。その未来はきっと、それほど遠くないだろう。


**


 タケシとマミは〇×カズとノブコの様子を見守っていた。

 マミは、ジョーカーとなって〇×病院を破壊しようとしたジローを倒し、そしてより多くの患者を救うという使命と未来を彼に示し、救った。ジローとともに、兄妹たち、患者、医師、看護士、スタッフたち、大勢をも救う結果になった。

 そして今、ノブコと〇×カズさえも過去の因縁から解放し、救ったのだとタケシは思った。


「タケシ…、ごめんね。」

不意にマミは言った。あまりにも突然で、タケシは少し驚いた。マミは両手でタケシの左手をそっと包み込んでいた。

 タケシの左手は、手当ては済んでいるものの、重度の火傷と骨折で潰れたも同然の状態だった。マミとジョーカー(ジロー)のゲームバトルの最終局面で身動き出来ないマミ=フリージアを、その左手と引き換えに救ったのだった。

 たとえ傷は治っても、恐らく後遺症は残るだろう。さらに、タケシのゲーム運=運命を引き寄せる魂の一部は、もう「帝王殺しの力」と相殺しマミの体内に吸収されてしまった。マミはタケシから何もかも奪う結果になってしまった。

「あの時、私が…」

ゲームコーナーなんかにタケシを誘ったりしなければ…、タケシは裏ゲーム界に墜ちることはなかった。タケシを裏ゲーム界に堕としたのがマミならば、そこでタケシが積み上げてきたものを全て奪ってしまったのもマミなのだ。マミの後悔は尽きない。

 しかしタケシはこう言った。

「ゲームが悪いとは、ましてやマミ、お前が悪いなんて微塵も思っていない。ゲームで勝ち進み帝王に昇りつめた時、俺だって努力すれば何かを成し遂げ、達成することが出来るということを知った。それだけでもとても価値があったんだ。今ではもう、ゲームを失ってしまったが、きっとまた新しい何かができるようになるはずだ。それが見つかるまであきらめない。そして…」


「…自分で自分をあきらめなければ人生に「負け」はないんだ。」


 マミはその言葉を聞き、タケシならばきっとできる、そう思った。何があっても、たとえ運命さえも敵に回しても、彼の不屈の精神が何度でもタケシを甦らせるだろう。

 裏ゲーム界で頂点まで上りつめたことが、そしてそこに君臨し続けたことが、タケシを強く強く鍛え上げたのである。

 タケシを裏ゲーム界に堕とし人生を狂わせ、何もかも失わせたのがマミならば、タケシがこれほどまでに強くなるきっかけを作ったのもまたマミだったのである。

 マミはタケシの肩先に額を寄せた。瞳から大粒の涙がこぼれていた。

「…なあ、マミ。」タケシ。

「?」

「俺も思ったんだ、『誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある(#1)』と。協力してくれないか?」

タケシの口から出た思わぬ言葉にマミは、少し驚きつつも

「も、もちろん!」

勢いよく額を上げタケシの顔を見た。タケシは今、変わろうとしている。

 一体、何をする気なのだろう?




(#1)アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日 1905年に特殊相対性理論を発表)




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