第62話 六人の探索者

 グレイス含めるアカデメイアの学友達六人は、怪奇現象の起こっている館に泊り込むことが決まると、次の日には思い思いの格好で荷物を抱え館の前に集合していた。


 ベルチェスタは小さな鞄を肩にかけ、シャンポリオンは手ぶらで、普段の様相とさほど変わりはなかったが、アンリエルは菓子パンのぎっしり入った車輪つきルックザックを引っ張って来ていた。

「途中でうちのパン屋に寄って大量に買い込んだんだよ、この子は」

「いや~、すごい量だねー。これ全部、パンなの?」

「夜は長いです。これくらいは用意して当然です」


 膨れ上がったザックを呆れた視線で眺めているベルチェスタと、満足そうに小さな胸を張っているアンリエルは対照的だった。

 シャンポリオンはいつも通り、膨れたザックを前に気の抜けた笑顔を浮かべていた。


 一方で、異様な姿で現れたのが残る二人である。

 二人はお互いの格好をまじまじと観察しては、互いに罵り合っていた。

「シュヴァリエ、あなた何ですのその、みすぼらしい格好は?」

「そういうシャトレこそ、意味が分からないぞ、その格好は」


 シュヴァリエは掃除夫の格好をして、あれこれ獣を捕らえる罠や麻袋、鉄製の工具類を持ってきている。

 彼の格好を非難した当のエミリエンヌは、長い赤茶色の髪を後ろ頭で結い上げ、乗馬用と思われる動きやすそうなパンツを穿いている。特徴的なのは腰にぶら下げたエペだ。


「エミリエンヌ……その剣は?」

「あら、グレイス、気になりまして? わたくし、こう見えて剣術が得意ですの。この館には女性の寝込みを襲う不届きな吸血鬼が出るというじゃありませんか。そこで、いつも鍛錬に使っている剣を持ってきましたの。あ、刃引きはしてありますから、手を切ってしまう危険はなくてよ」

 盛大な勘違いをしているようだったが、怪奇現象の正体は未だ不明な部分も多い。本当に吸血鬼が現われたときには是非ともエミリエンヌに撃退してもらいたい。


「俺の方は色々と害獣を捕まえる道具を持ってきた。後で館の中に仕掛けるから、間違って引っかかるなよ」

(……間違って人間が引っかかる罠っていったい……)

 シュヴァリエが罠を仕掛けるときは設置した場所を確認しておいた方が良さそうだ。



 今日明日とアカデメイアの講義は休みである。

 おかげでこうして全員が集まり、昼間から夜にかけて徹底的に館の捜索ができるのだった。


「それにしても相変わらず埃臭い館だな……」

「ええー、そうかな? だいぶ掃除して綺麗になったと思うんだけど。シュヴァリエ神経質すぎるんじゃない?」

「普段使っていない部屋がとにかく汚い。これはまず、探索ついでに隅々まで館の掃除だ」

「確かに薄汚れていますわね。今晩はここに泊まるのでしょう? わたくしもこのままでは、とても寝台で横になることはできませんわね」


 シュヴァリエの言う通り、グレイスが普段使っている部屋はともかく他の客室はまだ十分な清掃が行われたとは言い難い。

「そういうことなら早いところ、寝台のシーツから洗濯を済ませようかね。日の出ているうちに干さないと乾かないよ!」

 言いながらベルチェスタは各部屋を回って寝台からシーツを剥ぎ取ってしまう。


「さすがベルチェスタ、手際がいいね……」

「さすが庶民です。生活力があります」

「その調子でしっかり、お洗濯も頼みますわ!」

「こら、貴族令嬢ども! あんたらも手伝いなさい!」

 家事能力の低い貴族令嬢達を叱咤するベルチェスタ。

 文句を垂れながらもベルチェスタに追い立てられるようにして浴場へ連れて行かれる令嬢三人。


「浴場で洗濯か。あちらは任せた方が良さそうだな」

「そうだね、たぶん濡れるだろうし……薄着の格好で洗濯するだろうからね」

「俺達は邪魔になるな」

「うんうん。そういうこと」

「…………」

「シュヴァリエ、想像した?」

「馬鹿を言うな」

「覗いちゃだめだよ?」

「誰がするものか!」

 浴場へ向かったベルチェスタと貴族令嬢達を見送って、シュヴァリエとシャンポリオンは館の掃除を始めることにした。



 屋敷の各部屋は埃まみれで、掃除がてら屋敷の探索が行われた。神経質なシュヴァリエは隅々まで念入りに掃除を行っている。

 シーツの洗濯が終わったグレイス達も加わって、館の清掃が徹底的に行われたおかげで見る見るうちに綺麗になっていく。


「うわぁ、見違えたねぇ、この館も」

「淀んでいた空気が浄化されたかのようです」

 普段から住んでいるグレイスと、館の持ち主であるアンリエルが感嘆の溜め息を吐いて、綺麗に掃除された館を見回していた。


「綺麗になったのは確かですけれど、これと言って怪しい生き物は見当たりませんでしたわね。これではまるで、グレイスの館を掃除しに来ただけになってしまいますわ」

 剣を手元で弄びながらエミリエンヌが不満な表情を見せている。

 グレイスはエミリエンヌの剣が振るわれるような事態にならず、内心では密かに安堵していた。

「何者であろうと隅々まで調べれば、隠れていても見つかるはずだと思ったが……まだ見逃している場所があるのか、それとも外からやってくるのか……」

 シュヴァリエは探索の結果にまだ納得のいっていない様子で考え込んでいた。

 とりあえず罠は仕掛けたようだが、彼自身も簡単にその何者かが捕まるとは思っていないようだった。


「これ以上、考えていても仕方ないね。とりあえず一晩、様子を見ることにしたらどうだい? 泊まるとなれば夕飯の仕度もしなくちゃならないし」

「そうだな。潜んでいる何者か、そいつが夜行性ならすぐに動き出すことはないだろう。それでも、これだけ派手に掃除を行った後だ。静かになってから異変を察知して様子を窺いに出てくるかもしれない」

 ベルチェスタの提案にシュヴァリエも頷いた。

(そういえば、私が耳を齧られたのも夜だったなぁ……)

 グレイスは自身の耳たぶに指を這わせ、まだ治りきっていない傷口のかさぶたを軽く撫でた。


「では食事の準備はベルチェスタに任せて、各自の部屋割りを決めてしまいましょう」

「こぉら! 何でそうなるの!」

 さりげなく食事当番をベルチェスタに押し付けて、アンリエルは部屋割りの相談を始めてしまう。

 部屋数も多いので、それぞれが別の部屋に泊まりながら、一晩様子をみることになった。


「わたくしは一階の、一番大きな部屋を使いますわ!」

 エミリエンヌは真っ先に一階の右手にある最も大きな部屋を使うと宣言した。

「そこは主人の間だね。奥に寝室があるからそこを使って。あ、向かいの夫人の間は私が使っているから……」

「私は二階の一番奥の部屋を使います」

 エミリエンヌに続き、迷うことなく部屋を決めたアンリエルに、グレイスはどきりと心臓を高鳴らせた。

 二階の一番奥の部屋とは、やたらに防音性がよくて妙な雰囲気のある部屋だったはずだ。


「あの部屋は戸も壁も厚く、音が伝わりにくいので静かです。寝台もとても柔らかく、気持ちよく寝られそうです」

「でもアンリエル……あの部屋ってたぶん……」

「何でしょう? 主人の間、夫人の間に次ぐ質の良い部屋ですから、特別な客人を泊めるための部屋でしょうかね? 館の持ち主である私が泊まるには不十分ですが、今晩はまあエミリエンヌとグレイスに良い部屋は譲るとしましょう」


(たぶんわかってないんだろうな……あの部屋の本当の使い道……)

 おそらく情事の際に使われる部屋なのだが、この場にいる人間でグレイスの他に気づいている者はいない。

 アンリエル本人が気にしないのであれば、構う必要もないか、とグレイスは口を噤んだ。


「あたしは広い部屋だとどうも落ち着かないから、適当に客間の一室を使わせてもらうよ」

 庶民派のベルチェスタはあえて質素な部屋を選択していた。

 調理場のすぐ隣に使用人が寝泊りする部屋があったので、そこを使うとグレイスに告げて、彼女は調理場で夕食の準備を進めている。

 義務でも何でもないのに、もはや完全に使用人の立場であった。


「館の中の異常を探るなら、なるべく部屋は分散させた方がよさそうだな」

「じゃあ、僕らは他の人の部屋から離れた部屋を選ぼうか」

 シュヴァリエとシャンポリオンの二人は、なるべく部屋を分散して泊まった方が異常を察知しやすいだろうと話し合い、他の人間が泊まった部屋から離れた部屋を敢えて選ぶようにしていた。

 シュヴァリエは二階の真ん中の部屋、シャンポリオンは二階の階段近くにある部屋を選んだ。これで一階と二階に三人ずつ分かれたことになる。




 夕食は館に置いてある食材を使って、ベルチェスタが庶民的な家庭料理を振る舞った。

「まあ、なんとも庶民の食卓という感じですわね」

「あたしに全部作らせておいて、文句言うんじゃないよ……」

 エミリエンヌは口さがなく「庶民臭い」と料理を批判していたが、グレイスは館に置いてあった粗末な素材で作ったにしては美味しい料理だと感じた。

 シャンポリオンは素直にベルチェスタの料理を褒めていたし、シュヴァリエは何も言わずに残さず食べていた。


 意外だったのはアンリエルがおかわりを要求していたことだ。

「あんた、夜に菓子パンも食べるとか言ってなかった?」

「それはそれ、これはこれです。お菓子は別腹という格言もあるではないですか」

「食べたパンは、この小さな体のどこに消えているんだろうね……不思議でならないよ」

 疑問を漏らしながらも、よく食べるアンリエルを見てベルチェスタはどこか嬉しそうにしていた。

 自分の作った食事を誰かに喜んで食べてもらうというのは、それだけで幸せを感じるものなのかもしれない。



 食後、六人は普段アカデメイアではあまりしないような会話を交わして、食堂で大いに盛り上がっていた。

 アンリエルの持ってきたトランプや、館に備えつけてあったチェス台を使って遊んだり、主人の間にはビリヤード台も置いてあったのでシュヴァリエとエミリエンヌは二人で真剣勝負をしたりしていた。


 若い男女が六人も集まれば、自然と浮かれて夜更かしをしてしまいがちだが、そこは当初の目的を忘れていないシュヴァリエが就寝時間を決めて、きっちりとその場を解散させるのであった。

「勝ち逃げはずるいですわよ、シュヴァリエ!」

「今度また相手してやるから、今日は早く寝ろ」

 最後までエミリエンヌがビリヤードの勝負で食い下がっていたが、シュヴァリエに部屋へ押し込まれるようにして寝室へ引っ込んでいった。

 最後の最後はシャンポリオンが笑顔で「お休みなさい」と言ってようやく大人しくなったのだが。


「ちょいとアンリエル、こんなところで寝ていたら風邪引くよ」

「ぷすー……」

「アンリエル、食堂で寝ちゃったの?」

 菓子パンを齧りながらトランプに興じていたアンリエルは、いつの間にか眠り込んでしまっていた。もっぱら相手をさせられていたベルチェスタは困り顔だ。

「まったく遊ぶだけ遊んだ挙句に、手間をかけさせて」

「何だか親子みたいだね」

「こら、グレイス! いくらなんでもそれはないでしょ!」

 笑いながら否定するベルチェスタであったが、アンリエルが子供っぽいのは彼女も同じ認識らしい。


 揺すっても起きないアンリエルをどうしようかと二人で話し合っている間に、エミリエンヌを部屋に引っ込ませたシュヴァリエとシャンポリオンが食堂へ戻ってくる。

「どうした、まだ部屋に戻っていなかったのか」

「ふあぁ~。僕は先に二階へ上がっているよ~」

 欠伸をしながらシャンポリオンは二階へ上がっていった。

 シュヴァリエは食堂の椅子で眠りこけているアンリエルに目を留めた。

「ラヴィヤンはこんな所で眠ってしまったのか?」

「完全に熟睡状態だね。シュヴァリエ、部屋に戻るついでに上へ運んでくれるかい?」


 ベルチェスタの頼みに一瞬だけ嫌そうな顔をしたシュヴァリエであったが、一息ついてから軽々とアンリエルを担ぎ上げ、二階へ運んでいってしまう。

「ふぇ~、さすがに男の子だねー。いくらアンリエルが軽いからって、あんな簡単に……」

「いやー、本当にさすがだわ、シュヴァリエ。あたし冗談で言っただけなんだけど……」

「え? 冗談だったの?」

「無視して部屋に戻ると思ったんだけど。ま、あいつも意外と紳士だったってことかね」


 寝息を立てるアンリエルを肩に担いで、ゆっくりと階段を上っていくシュヴァリエを眺め、グレイスは思った。

(あれは面倒な荷物を運ぶのを頼まれたって感じかな……)

 いずれにしろアンリエルを二階へ運んでくれたことは感謝すべきかもしれない。

「じゃ、あたしらもそろそろ寝ようかね」

「うん、お休みなさいベルチェスタ」

「ああ、グレイスもね。良い夜を」

 ベルチェスタが使用人部屋に入ったのを確認してから、グレイスは館の火を消して夫人の間に戻った。


 楽しかった一日を振り返りながら寝台に入るまで、グレイスは今日何のために皆が集まっていたのか失念したまま、早々に眠りに着いた。

 そしてグレイスの館は、いつもの静けさを取り戻す。




 ――深夜、六人が眠りに着いて、館に静寂が訪れた頃。

 かりかりと物音を立てながら、何者かが活動を開始した。


 どこからともなく闇の底から這い出して、寝台に横たわる人間の首筋へと近づいていく。

 人間が身じろぎ一つしないことを確認して、そいつは大きく牙を剥いた。



 その晩、グルノーブル街外れの館で、苦悶と恐怖に満ちた悲鳴が上がった。


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