第51話 懐かしい街、再び

 グレイスがアカデメイアに通い、一年間を過ごしてきた街グルノーブル。

 イゼール川に沿って発展し、小高い山々に囲まれて外界から独立したような雰囲気がある街だ。

 この街を離れていたのはほんの二、三ヶ月という程度であるのに、グレイスは妙に懐かしさを感じてしまった。


 門前に立つグルノーブル警備隊の人に挨拶をしながら街へと入り、ひとまずの宿を取りに街の中心部へと歩いていった。やがて見慣れた中央通りを横切って、見覚えのある店構えの建物へと辿り着く。

 去年、半年以上も御世話になった宿だ。

 宿の主人も、その娘さんにも、いまやアカデメイアの学友達と同じくらいの親しみを覚えていた。下腹の辺りに、こそばゆさを感じながらグレイスは宿の扉を開ける。

「おや? おやおやあ! これはこれは、お嬢さん! 今年は来ないのかと思っていましたよ!」

「あ! アカデメイアのお姉さん!? お久しぶりです! 今年もうちに泊まってくれるの? やったあ! また、楽しい学校生活のお話が聞ける!」

「どうもお久しぶりです。またしばらくの間、お世話になりますね」


 気の早い宿の娘さんは、グレイスから荷物を受け取るとさっさと部屋の一室に運んでいってしまう。

「今回も長期間のお泊りで? 一年の契約なら、月ごとの契約よりお得ですよ」

 宿代がお得と聞いてグレイスは少し考えたが、先払いになると手持ちのお金に余裕がなくなるので断った。

「いやー……さすがにちょっと、一年分をまとめて払うのは無理かなー。一応、学生寮が使えないか交渉はしてみるつもりだし。とりあえずは一ヶ月の契約でお願いします」


 宿の主人は顎先を掻きながら納得したように頷いている。

「ははあ、去年は定員一杯で使わせてもらえなかったって言う話でしたか? そうですかぁ。そうすると、去年の在学生が出て、空き部屋もあるんですかねぇ。うちとしては残念だなあ……」

「え、ええ~……まあ、そんなところで……。でも、ちょっと訳ありで、今年も無理かも……ははは」

 アカデメイアからは今後一切、寮室の貸し出しはできないと通達を受けている。それはおそらく、よほど特別な事でもなければ覆ることはないだろう。そして特別な理由が何もない現状、今年も寮は貸してもらえないのは確実だった。



 グレイスは宿に荷物を置いてすぐ、街にあるパン屋へと足を運んだ。

 ベルチェスタが働いているパン屋だ。そこの店主とも顔見知りであるし、挨拶がてらベルチェスタの所在を確認しようと考えたのだ。

 ひょっとしたら実家にいるかもしれないし、あるいはもうアカデメイアの寮に入っているかもしれない。アカデメイアの講義が始まればすぐに顔を合わせることになるのはわかっていたが、同じ街にいるのなら少しでも早く会いたかった。


(……ああそれに、ボッブさんの焼いた菓子パンも久しぶりに食べたいなぁ……)

 ボッブ、とはパン屋の店主である。愛想と恰幅のよい中年で、ベルチェスタにはオヤジさんと呼ばれている。


「こんにちは~」

「おう! いらっしゃい! ん? おお!! グレイス嬢ちゃんじゃないか!」

「お久しぶりです、ボッブさん」

 店のカウンターで新聞を読んでいたボッブが、グレイスに気が付くなり新聞をくしゃくしゃに丸めるようにして折り畳み、大きな腹を揺らしながらカウンターの外へと出てくる。


「しばらく見ないうちに美人になったなぁ!」

「えと……ほんの三ヶ月くらいしか経ってないはずですけど?」

「いやいや! 嬢ちゃんくらいの年齢だと、ちょぉっと会わないうちに見違えるもんだからな。ほんと、どこの貴族令嬢が来たかと思ったわ。ついさっきも……」

 ――どん。と山積みのパンがカウンターに乗せられる。


 がはは、と笑いながら世間話を始めようとしたボッブの言葉を遮り、突如出現したパンの山は落ち着いた少女の声音で喋りはじめる。

「店主、世間話は後にして会計を済ませなさい。さもなくば、労働の対価を受け取れぬままパンが消えることになりますよ?」

「おおっとっと! 相変わらず、小さい嬢ちゃんは容赦がないなあ」


 脅し文句に動かされてボッブが向かったカウンターの前には、黒いレース付きのドレスを身にまとった小さな女の子が立っていた。細かく波打った癖のある黒髪が腰ほどまで伸びている。少女のくすんだ灰色の瞳がグレイスを捉えると、重たく沈んだまぶたが見開かれ、光を受けて輝いた。

「おや? グレイスではないですか。こんな所で会うとは奇遇ですね」

「あ、アンリエル!? わ、わ! まさかここで会えるなんて、本当に奇遇だよ! いつ、グルノーブルに着いたの?」

「ほんのついさっきですよ。アカデメイアへ行く前に、真っ先にここへ寄ったのです」


 数ヶ月の空白期間を感じさせないアンリエルの態度に、グレイスは途端に安堵感を覚えた。

 久しぶりのグルノーブルに、自分でも気が付かずどこか緊張していた部分があったのかもしれない。グルノーブルで生活していた頃の懐かしい感覚が徐々に蘇り、今の自分に定着してくるのがわかる。

「そっかー、アンリエルもベルチェスタに会いに来たんだね?」

「ベルチェスタ? 誰ですか、それは? 私は菓子パンを買いに来ただけですが」

 アンリエルの物言いに、菓子パンを袋詰めしていたボッブが目を剥いて驚く。


「それ、本気では言っていないよね……?」

「もちろん、冗談です。あのように無礼な平民をそう簡単に忘れるはずがありません。まあ、ここに来たのは菓子パンのついでに、ベルチェスタの生存確認をしておこうと思っただけです」

 言いながら早速、購入した菓子パンに噛り付くアンリエル。

「菓子パン優先なんだ……」

 相変わらずのきつい冗談と言い回しだったが、彼女らしい言動を聞くと何故かグレイスは安堵感が増してしまった。もくもくと菓子パンを頬張るアンリエルを見て、グレイスとボッブは顔を見合わせて笑った。


 菓子パンを無言で食べ続けるアンリエルを横目に、グレイスはしばらくボッブと世間話に興じていた。ベルチェスタは丁度、買い出しに出かけているらしい。

 もうすぐ戻るだろう、とボッブが口にしたところで店の入り口から元気の良い声と共に、赤毛の少女が大荷物を抱えて入ってきた。


「オヤジさーん。頼まれていた食材、買ってきたよ。量が多いから早く受け取って――」

「わ、すごい荷物。私が持つよ」

「え? ああ、ありがとう、グレイス……あ、あれ? ぐ、グレイス!? 久しぶりじゃないか、いつ戻ったのさ!」

「えへへ、今日グルノーブルについたばかりなんだ。また今年もよろしくね、ベルチェスタ!」

「ああ、こちらこそ! よろしく頼むよグレイス!」

 大荷物を持ったまま軽く抱き合う二人を見て、ボッブは目頭を押さえて涙ぐんでいた。


「おう、ベル! やっぱり友情ってのはいいじゃねえか! 荷物は俺が預かるから、存分に三人で再会を分かち合いなぁ!」

「オヤジさん……。……三人、って?」

 荷物を受け取り去っていくボッブの巨体の陰から、ひょっこりと姿を現したのは菓子パンを口一杯に頬張ったアンリエルだった。


「ほにゃ? ふぇるふぇふたへはないふぇふか」

「再会して初めの言葉がそれかい! この娘は!」


 こうして、グレイスのアカデメイア二年目は級友との再会をもって幕を開けた。


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