第48話 微笑みの理由

 アカデメイアはどうだったか? ミゲイルに問われアンリエルは改めて学院生活を振り返っている様子だった。


「……さて、どうでしょうね。まあ、図書館は立派でした、想像以上に。あれならば何年でも暇を潰すだけの読書が続けられます。……それ以外に、アカデメイア自体にはさして面白みはありませんでしたね」


 独り言にも聞こえるミゲイルの投げやりな問いかけに、アンリエルもまた独り言でも呟いているかのように、ソファに体を横たえながら石の天井に向かって答えを返していた。


 ミゲイルは仕事の手を止めて、一年ぶりに再会する娘の姿を見た。年齢的にはまだ成長期にあるはずだったが、小さく痩せた体と顔色の悪さは一年前とあまり変わった様子がなかった。


「ですが……学生の中に興味を惹く人物がいました。彼女の行動は傍で見ているだけでも退屈させない、非常に楽しい人物でした」


 心底楽しげな口調で語るアンリエルを見て、ミゲイルはその学生に感心した。

「お前の、一年の退屈を紛らわすに足る人物か……なるほど、確かに興味深い。その人物のどこに興味を持った?」

「興味を持った点ですか? 具体的に何かと問われると答えづらいのですが、まあ、強いてあげるなら……読書の空想では得られない実感を教えてくれる点ですかね……」


「お前の興味を惹いた学生は一人だけか? 他の人間はどうだった、アカデメイアの学生や教員は曲者揃いと聞く」

「変人の集まりであることは否定できませんね。それに皆どこか共感する部分があるのかもしれません。私が興味を持った彼女に対して、意図のある者ない者……多くの人間が干渉してくるので、少々身の回りが騒がしいくらいでしたから……」

 アンリエルの報告に、ミゲイルは表情を変えないまでもとても驚かされていた。


(――驚いた。驚いたな、これは。図書館に一人で入り浸っている姿しか想像できなかったのだが……)


 本人に自覚があるのかないのか。おそらくはアンリエルの興味を惹いた人物、周りに集まってくる人間達、それらはつまるところ学友というものである。アンリエルには彼らが友人であるという意識はないだろうが、紛れもなくそれは友というものなのだ。

 仲の良し悪しは別にして、アンリエルの近くに他人がいること、そのことがどれほど意味のあることか。


 アンリエルの父、ミゲイルはアカデメイアに娘を入れた事が、ここまでの成果を得ることになるとは思いもしなかった。

 これまで、この暗く広く閑散とした屋敷から一歩も出ることのなかったアンリエル。

 それを不満とすることもなく、誰と関わりを持とうとするでもなく、一人書物を読みふけっていた彼女に、よもや友人ができようとは――。



 その後はアカデメイアの入学式から最近の出来事まで、アンリエルが淡々と日常の話を語り続けた。ミゲイルは相槌を打つでもなく、アンリエルの独白をただ黙って聞いていた。


 話を聞く限りグレイスという少女は、とりわけアンリエルに対しても好意的であるようだ。時折、話の中に出てきては暴力を振るうベルチェスタという女学生も、おそらくはアンリエルが大袈裟に脚色しているだけで悪意は持っていないと思われた。

 いや、そもそも……この娘が外で出会った他者の悪口を家に帰ってきて話すなど、他人と関わりを持たずに生きてきたこれまでの人生からは考えられなかった。それだけでも驚愕に値する。


 我侭で気まぐれで、そのうえ病弱な娘。アカデメイアに入っても、何かと理由をつけて半月とせずに戻ってくるだろうとミゲイルは考えていた。

 ところが予想に反して彼の娘は、半年を過ぎても一向に家へ戻ってくる気配がなかった。


 娘の身を案じて幾度となく様子を探りに人をやったミゲイルだったが、返ってきた報告は「ごく普通に学園生活を過ごしている」「友人と思われる女学生と街へ買い物に」「様々な講義を取って大人しく聴講」「山へキャンプに出かけた」という、信じがたい報告の数々だった。

 その後、「成績は不良。留年、及び放校処分を受ける危険あり」という報告を受けてミゲイルは安堵したほどだ。


 どうやら無理をしているわけではないらしい、と。


 果たして一年の学院生活を経て帰郷したアンリエルは、一年前と何も変わらない様子で淡々とここ一年間の詳細を父親に告げている。その内容は既に密偵からの報告として聴いていた通りのものであったが、改めて娘の口から聞かされたことでミゲイルは事実を確かなものとして認めることができた。


(――やはりこの娘は、外に出して正解だった――)

 常よりも饒舌な娘の姿に、ミゲイルは自分の判断が間違ってはいなかったと納得するのだった。




 丸一年、アカデメイアにおける生活をアンリエルが報告し終えたところで、ミゲイルはふと一年前に彼女の為に用意しておいた物件のことを思い出した。


「……ときに、グルノーブルに買った別荘は使っているのか?」

「ええ、一応は。アカデメイアへ持って行ったものの寮室に入りきらなかった荷物はそこに置いてあります」


 アンリエルは普段、アカデメイアの学院寮で生活している。用意した別荘は寮での生活に馴染まなかった場合や、手狭で困るといった事態を想定して買い与えたものだった。場合によっては召使いも何人か送る予定だったのだ。

 しかし、アンリエルが思いのほか学院生活に順応したことで、別荘の出番はほとんどなかったと言っていい。ミゲイルにとっては誤算だったが、それ以上に娘が逞しくも自立した生活を送っていたことが嬉しかった。



「ところで……父上、あの屋敷について良くない噂を聞いたのですが……事実なのでしょうか?」

「何の事だ」


「荷物を運び込んだ人足から聞いた話では、あの屋敷には何か……『良くないもの』が棲みついているというのです」


「……ふん。噂などあてにはなるまい。とは言え、くだらん噂のおかげで安く手に入った物件であることには違いない」


 唐突なアンリエルの質問もミゲイルには想定内だった。動じることなく、正直にあの別荘の曰くを話す。

「やれ、昔の住人が強盗に殺されたとか、原因不明の病に倒れて死んだとか、どこにでもある話が、立て続けにあの別荘で起こっただけのこと。下らぬ噂を気にしなければ、広く住みやすい屋敷のはずだ。此処の、館のようにな」


 アンリエルもラヴィヤン家の娘だ。ならば別荘の曰くなどを恐れることはないだろう。ただ、単純に興味があっただけに違いないとミゲイルは判断していた。


「そこに無理して住めとは言わないが、せっかく買ったのだから有効に活用しなさい」

「……私が思うように利用していいのですね?」

 含みのある言葉にミゲイルは違和感を覚えた。だが、何か利用価値が思いつくのなら止める理由もなかった。

「構わんよ。好きにするといい」

「では、そうさせていただきます」

 意味あり気な微笑を残してアンリエルは部屋を出て行く。



 不意に見せられた娘の笑顔に、ミゲイルは固く冷たい表情のまま、しかし内心ではひどく動揺していた。


(――笑ったな。今、確かに笑っていた)


 微かではあったが、ここ数年では見たことのない表情。しかし、ミゲイルには彼女の微笑が意味するものにまるで見当がつかなかった。

(……はて、今のやり取りにあの娘を楽しませる何かがあったのか?)


 何かあるとすれば、グルノーブルの安物件の話に絡んでのことだろう。

 今は単なる荷物置き場にしているようだが、そこで何か――例えば友人を招くとか――特別な事でもするつもりなのだろうか。

(友人を招待する? あの娘が? ……ありえんな……。だが、あるいは……)


 ミゲイルにとっては、娘に友人ができたというだけでも信じ難いことだった。

 その関係が発展するというのはもはや想像を超えている。


(アンリエル……あの娘と友好を深めようとする人間がいるとすれば……)

 ミゲイルは自分の娘にできた『初めての友達』を想像し、暗い部屋の片隅で一人、苦笑した。

(グレイス・ド・ベルトレット、と言う名前だったか。私の娘と積極的に関わろうとするとは……さてさて、いったいどんな変人なのだろうな? 本当に興味深いことだ――)


 薄暗い部屋の中で、ミゲイルは微かに含み笑いを漏らしながら、再び机の上にある書類を片付けにかかるのであった。

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