アカデメイア2年目

第十一幕

第47話 アンリエル帰郷

 街道を一台の大きな武装馬車が疾走していた。


 巨大な車輪がごりごりと地面を削り、深い轍を残しながら裏寂れた山深い道を突き進んでいく。辺りに他の馬車や旅人の気配は全くない。既に、ある貴族の所有する開拓地へと入っているからだ。

 この辺りの土地では自給自足が基本であり、他地域との交流は必要最小限に抑えられていた。それ故に、街道を行く人の姿もごく稀なものである。


 プロシアとフランセーズの国境付近、この地域を統括するのは大国プロシアの貴族ラヴィヤン辺境伯であり、同時に・・・フランセーズの法服貴族たるラヴィヤン家である。


 本来、二つの国に跨ってどちらにも属する貴族などあり得ない。その歪みは、そもそもどちらの国にも属する気のない集落が、自前の兵隊を抱え武力でもって独立を保ち続けた結果から生じていた。

 彼らの在り方は、永世中立国家シュイスに近いものがあった。


 プロシアもフランセーズも、ラヴィヤン家を自国に取り込みたいが為に貴族の地位を与えていた。そしてラヴィヤン家もまた、自分達の独立を守る為に両国における貴族の地位を貰い受けていた。

 どちらつかずの態度は両国から非難されたが、結局ラヴィヤン家は自前の武力を盾に、この矛盾した立ち位置を押し通してしまった。


 嘘か真か、彼らを責め立てた者達は、プロシア、フランセーズの所属に関わらず、悉く暗殺されて沈黙したと言う。正面切っての戦いにおいても脅威の軍事力を保有するばかりか、一足飛びに敵の喉元へ剣先を突きつける搦め手も得意としていた。


 いつしかラヴィヤン辺境伯領は、悪魔に守護された土地として誰も手を出せない状態となっていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 蛇行する山道を、辛うじて収まる幅の武装馬車がゆっくりと登っていく。やがて森の木々の切れ目から、陰湿な空気を纏った物々しい雰囲気の館が見えてきた。

 中心の立派な館を取り囲むように、石造りの分厚い壁が二重、三重に建てられている。その様相はまさに砦だ。


 正門は大きな鉄の扉で閉ざされており、馬車を一度止めて、御者が門番と言葉を交わしてから、門は重々しい音を立ててようやく扉を開くのであった。


 門をくぐると、壁と壁に挟まれた間には広い庭が広がっており、狭苦しい印象はほとんど感じられない。そして分厚い壁の中は衛兵の詰め所にでもなっているのか、時折、武装した男達が、壁に設けられた小さな戸口から出入りしている。

 壁と壁に挟まれた広大な敷地には、首や手足の折れた女神像らしきものが乱立している。中には横倒しになって、刀傷や銃創のあるものまで見受けられる。元々は彫像の立ち並ぶ美しい庭園だったのだろうか。度重なる争いによって、荒れ果てた庭と化したのかもしれない。


 三つの門を通過すると、山道からも見えていた陰湿な館がその姿を現す。曇り空の影響であろうか、馬車から降りて一年ぶりに目にした館は、以前に増して濃い影を落としているように見えた。


「アンリエル様、到着にございます! ささ、一年ぶりとなるお嬢様の御帰還、皆、首を長くして待っていますぞ!」

「はしゃぎすぎですよ、シルヴェストル。たった一年……、私がいなくて寂しがるのは老骨隊の面々だけでしょうに……」


 アンリエルの冷めた反応の通り、騒がしいのは共に馬車で帰還した『竜骨隊』の面々だけだ。

 彼らは今、長い馬車の旅を終えたばかりで「腰が……」とか何とか言いながら、馬車から続々と降りてきていた。

 随分と騒がしく帰還したにも関わらず、館からは一切、人の気配がなく、迎えに出てくる人間もいない。


「皆、気を使って出迎えを遠慮しているだけですとも。アンリエル様が騒がしいのを嫌うのは存じておりますからな!」

「まあ、そうでしょう。……それをわかっていないのは貴方達だけですからね……」

 馬車から降りてきた竜骨隊の面々は、自然とアンリエルの周囲に集まり、何とはなしに視線を……やはりアンリエルに集中していた。

「やや! これは失敬。こら、お前達! いつまでもアンリエル様のお姿を眺めていないで、装甲馬をうまやに戻してこんか!!」


 いつまでも馬車の近くでたむろしている竜骨隊に、シルヴェストルの叱責が飛ぶ。だが、これに竜骨隊の老兵達は口々に抗議の声を上げる。

「そういう隊長こそ、先程からアンリエル様にべったりではありませんか!」

「そうですとも! 我らとて、一時でも長くアンリエル様のお傍に仕えたいというに! 隊長だけ!」

「何を言う! 常にアンリエル様のお傍で、御身を御守りするのは竜骨隊筆頭であるこのシルヴェストルが役目! 他の者に任せられるわけがあるまい!」

「いえ、シルヴェストル。貴方も、もう行っていいです。さっさと装甲馬と武器の整備を済ませてしまいなさい。こちらは間に合っていますから」

「は? いや、しかしですな……」


「お帰りなさいまし、アンリエル様……」

 陰湿な空気を纏う館の中から、不意に迎えへ出てくる一人の老婆。さらにその背後から、音もなく現れる若い召使いの女が二人。


「長旅、お疲れでございましょ。すぐに部屋でお休みになられますか?」

「いいえ。その前に、父への報告を済ませてしまいます。その後で、食事を。胃に優しいものを選んでください」

「かしこまりました……。ああ、アンリエル様? お召し物はそのままで? もっと楽な格好にお着替えになった方が……」

「不要ですよ。このまま父の元に向かいます。父はいつもの場所ですね?」

「はい……、ミゲイル様でしたら地下の仕事場におられます……」

「そうですか、では食事の方は任せました。報告は一時間……いえ、二時間をみておきましょうか。それに合わせて準備をするように」

「はい、承知いたしました……」

 恭しく礼をして一歩下がる老婆。


 アンリエルが館へ入ると、その後に続き二人の若い召使い女が同行する。

 これに紛れて館へ入ろうとするシルヴェストルを老婆が止める。

「こぉれ! シルヴェストル殿! 貴殿は装甲馬と武器の整備に回れと、アンリエル様から仰せつかっておろうが?」

「ぬぅ……先程のやり取り、聞こえていたか。相変わらずの地獄耳……妖怪婆め……」

「全部、聞こえておるわ……。この婆の耳にはな……きっひっひっ……」

 意地悪い笑みを浮かべた老婆に阻まれ、シルヴェストルは渋々ながら厩へと向かっていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 アンリエルは黙して後に続く二人の召使い女を引き連れて、館へと足を踏み入れた。必要最低限の照度に抑えられたランプの火が、陰鬱な館の雰囲気をより一層きわだたせていた。


 館へ入って真っ直ぐ、長い廊下を進んでいくと突き当たりに地下へと続く大きな階段がある。階段を下りてすぐ脇の横壁には、一人の男と三人の女が描かれた肖像画がかけられていた。

 正確には一組の紳士と淑女、そして二人の女児。

 女児の顔立ちは、紛れもなくアンリエルを幼くしたものに違いなかった。


 ただ、年齢差がある二人の女児の内どちらがアンリエルなのかは、一見しただけでは判別がつかないだろう。一人がアンリエルならば、もう片方の女児は姉妹であろうか。

 薄暗い階段を下りていく当のアンリエルと二人の召使い女は、壁に掛けられた肖像画には見向きもしない。この館に住まう者達にとっては、何ら疑問となることではないのだった。



 階段は次第にその幅を減じて、螺旋にねじれ始める。最下層まで辿り着くと、奥まった一室の前に衛兵が二人いた。

 アンリエルが部屋の前まで来ると、衛兵は一回だけ軽く敬礼をする。一人は直立不動でその場に、もう一人は壁に備え付けられた伝声管に向かって話しかける。


「ミゲイル様。アンリエル様がお見えになられました」

『……通せ……』

「了解しました。開錠いたします」


 くぐもった声を受けて、衛兵は懐から鍵の束を取り出し、その内の一本で重々しい鉄の扉を開錠する。同じような形をした数十本もある鍵の束から、正しい鍵を一本だけ見つけ出して素早く鍵穴に差し込んでいた。


 まるで牢屋を見張る看守のようだが、部屋の中にいるのは捕らえられた罪人などではない。この館の主、ミゲイル・フォン・マウル・ラヴィヤンがそこにいるのだ。


 重たい鉄の扉が耳障りな金属音を立てて開く。

 鉄の扉の施錠は内鍵になっており、部屋の中からは容易に開く構造になっていた。

 ミゲイルが部屋に居る間は鍵を閉め、ミゲイル自身が必要に応じて中から開けたり、衛兵がミゲイルより許可を受けた場合にのみ外からも開錠できる。

 何の為そのように面倒な手続きを踏んで扉を開けるのか、これもまた先程の肖像画同様、その場に居る者達にとっては当たり前の習慣であるようだった。




 石壁に囲まれた薄暗い室内では、黒い口髭を生やした痩身の男が黙々と机に向かい書類の山に目を通していた。

「……少し、待ちなさい」

「…………」

 男に言われた通り、アンリエルは壁の隅に備えつけられたソファーに腰掛けて寛ぐ。


 数分間の沈黙が流れた後、男は読んでいた書類を机の脇に避けると、また別の書類を手に取る。その僅かの合間に、短い言葉を呟いた。

「……身体の調子はいいのか?」

「問題ありません。すこぶる快調です」

「そうか」

 書類に目を落としたまま、男は何か考え込むように「ふむ……」と低い声を漏らした。

「一年……。お前がそれだけ長く居つくとは……なかなか興味深い所のようだな、アカデメイアは」

 その時点で初めて、ラヴィヤン家の頭首ミゲイルは顔を上げ、一年ぶりに戻った己が娘の顔に目をやった。

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