高嶺の花
第46話 高嶺の花
ネヴィア鉱山でアカデメイアの女学生二名が遭難した。
捜索に出向いたグルノーブル警備隊は、彼女らの足跡を辿ったところ、炭坑跡に迷い込んだらしいことをつきとめた。
「炭坑跡は猛獣の棲み処になっているという話だ。よくよく注意して行くぞ」
年配の隊員が若い隊員に注意を促し、炭坑の中へと潜っていく。
既に遭難者の一人、グレイスという女学生を捜索隊は保護していた。
彼女の話によると坑道内でオオトカゲに襲われ、もう一人の女学生とはぐれてしまったらしい。真っ暗な坑道をランプの明かりで照らしながら、二人の隊員は遭難者の探索を開始する。
坑道内の捜索を始めてから数時間ほど、先行していた若い隊員は広い坑道に出て、そこに一人の少女を見つけた。
ランプの明かりに照らされたその少女は、広い坑道の真ん中で座り込んでいた。
炎の光を眩しげに、灰色の瞳で見返す少女。若い隊員はその少女と視線を交わし、そのふわふわと波打つ黒髪と小さく華奢な身体に目を奪われた。
(まるで、御伽噺に出てくる妖精のようだ……)
明かりもなく、この暗くて寒い洞窟に取り残されていた少女。黒い髪の毛は周囲の闇と同化して、境界が曖昧になっている。
そしてよく見れば顔色は悪く、疲れ切った様子で、隊員が近づいても反応が薄い。
「大丈夫かい? 君を探しにきたんだよ?」
「…………、……グレイスは……どうなりました?」
「グレイス……? ああ、もう一人の女の子か……。彼女なら無事だよ。捜索隊が保護したから」
「そうですか。無事でしたか……」
少女は固い
「さあ、君も早く友達の所へ戻ろう。立てるかい?」
「立てません。足を挫いてしまいました」
「足を挫いているのか……他に怪我はないんだね? それなら、ほら、背中に負ぶさって」
言われるままに、ゆっくりと若い隊員の背に負ぶさってくる少女。しばらくして、
「では、出口までお願いします」
耳元で囁かれた声にぎょっとした。
隊員はまだ少女が完全に負ぶさっていないと思っていたのだが、振り向けば彼女は準備万端、しっかりと隊員の背にしがみついていた。
(――これで全体重を預けているのか。いくらなんでも軽すぎはしないか?)
隊員は少女を一人背負ったまま、苦もなく立ち上がる。綿の詰まった人形でも背負っているのではないかと錯覚してしまいそうなほど少女の体は軽かった。
年配の隊員がランプを持って坑道を先導し、後を若い隊員が少女を背負って歩いていく。
少女の息遣いはとても静かで、時折、居心地悪そうに体を動かすことがなければ、その存在を忘れてしまいそうである。
それでも確かに少女はそこに存在し、今も冷え切った体を隊員の背にぴったりと押しつけてきている。
坑道を進むうちに少女は疲れが出たのか、首をくらくらと揺らし始め、まもなく若い隊員の肩に頭を乗せて眠ってしまった。
波打った癖のある髪が頬をくすぐり、若い隊員は思わず肩越しに少女の寝顔を覗き見て……。
「…………」
あどけない少女の寝顔に見入り、不覚にも立ち止まってしまった。
「どうした? 何かあったか?」
「――あ、いえ……! なんでもありません……」
慌てて年配の隊員の後を追う。
激しく脈打つ心臓の鼓動が、背負った少女に気づかれはしないかと思ったが、若い隊員の心配をよそに少女は熟睡していた。
相変わらず息遣いは静かで寝息も全く聞こえてこない。……と、言うよりも彼女の呼吸は完全に停止していた。
だが、ひどく動揺している若い隊員は少女の呼吸が止まっていることになど気づくはずもなかった。
それはある意味、無用な混乱を避けるには都合のいいことであった。
熱を持った隊員の背で、少女は心地よい温もりを得ながら眠りについていた。
間もなくして、一行が坑道の出口に近づくと、外からは秋夜の冷たい風が吹き込んできた。
風が少女の白い頬を優しく撫ぜ、肩にかかった柔らかな髪を揺らす。
それが目覚めの合図となったのか、少女は静かに息を吹き返した。
若い隊員の背中で身じろぎし、顔を上げる。細い目を大きく見開いて少女は外の景色を見ようとしていた。
果たしてその視線の先に――いた。
まだ夜明け前で薄暗く、肌寒い山の夜。
かがり火を焚きながら、捜索隊の面々と共に坑道の入り口で友人の安否を気にかけていた金髪の少女。
その影を捉えた瞬間であったのだろう。背中の少女は微かに、ほんの微かにだが身を震わせた。
坑道の外から吹き込む冷たい風に身を震わせたのか、それとも友人の無事を確認できたことで喜びに震えたのか。
背中から少女を下ろす。
すぐさま駆け寄ってきた金髪の少女、さらにもう一人、二人に飛びついていく赤毛の少女がいた。
無事の再会を喜ぶ少女達の笑顔を見れば、震えた身が何を意味するのか、答は明白といえよう。
「いいもんだなあ……若い子らの友情ってのは。なあ?」
年配の隊員が軽く背を叩き、少女を背中から下ろして少し残念そうな――しかし無事に坑道の外へ送り届けることができて嬉しくもある――若い隊員に向かって声をかけた。
感動的な場面に立ち会って、けれども気の利いた言葉などその場ですぐには出てこない。
若い隊員は、抱き合う三人の少女達を少し離れた場所で見守りながら、一拍遅れてただ一言だけ呟いた。
「……いいなぁ……」
春を迎えるにはやや早い時期、グルノーブル警備隊の若い隊員は、街の入り口で警備に立っていた。
人の往来が激しいこの場所では、毎日のように諍いやちょっとした事件が起こる。
特に、今の時期はアカデメイアの学生が里帰りする時期にもあたり、街の入り口付近では迎えの馬車や共同の乗合馬車を待つ人達でごった返していた。
怪しい人物などが紛れていないか注意深く監視を続けていると、街道から大きな武装馬車が一台やってくるのが見えた。
物騒な馬車の到着に、門前にたむろしていた人々にざわめきが広まる。
若い隊員は何事かと状況を確かめに一歩踏み出した。そこで、馬車の前に立つ一人の少女が目に入った。
癖のある波打った長い黒髪が特徴的な、小柄で可憐な美しい少女だ。
間違いない、以前にネヴィア鉱山の遭難者捜索で保護した少女だった。後で聞いた話だと法服貴族の令嬢であったとか。
なぜ、貴族の娘がお供も連れず鉱山などへ向かったのかは疑問だったが、あれが迎えの馬車だと言うなら、やはりあの少女は大した貴族なのだろう。
隊員が遠くから少女を眺め呆けている間に、少女は従者に囲まれて馬車に乗り込むと、あっという間に街道の彼方へと消え去ってしまった。
別に声をかけようと思ったわけではない。いや、むしろ武装馬車を街の門前に乗りつける行為には、注意の一つもしておくべきだったか。
いずれにせよ、警備隊の一隊員で無産階級である彼には近寄りがたい空気ではあった。間抜けにも遠くから見送るだけになったのは、誰に責められることでもあるまい。
何だか自分でもよくわからない敗北感に打ちのめされながら、若い隊員は仕事に戻ろうとした。
最後に未練がましく街道の方を見ると、あからさまに怪しげな男がこちらに向けて手を振っている。
帽子を目深に被り、眼鏡をかけて口元を布でぐるぐる巻きにした風体に、若い隊員はひどく不審に思った。
だが、その隣に立つ金髪の少女には見覚えがあり、隊員はすぐに少女の素性に思い至る。
(あの子は確か、もう一人の遭難した女学生だ……)
そのことに気がついた若い隊員は表情を緩め、少女に向けて会釈した。そして、近くにいた年配の隊員にも教えてやった。
金髪の少女に気がついた年配の隊員は大声で見送りの言葉をかける。大勢の人前で、大声で言葉を送られて、彼女が慌てふためき赤面しているのが遠目にもよく見えた。
若い隊員はもう一度、街道の遥か彼方を眺めやって、誰にも聞こえないほどの小声で独り言を口にした。
「貴族のお嬢様かー……。高嶺の花だよな……」
金髪の少女もまたやがて乗合馬車が到着するとそれに乗って故郷へと帰って行った。
去り際、停留所から向けられた彼女の笑顔に、少しだけ心癒される若い隊員であった。
『アカデメイア短編(四) ~高嶺の花~』完
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