第44話 ワルナスビ&マトマトの実(2)
「あ、御嬢さん、御嬢さん。ちょっと寄っていきませんか? 面白いものが入荷したんですよ」
ワルナスビを拾ってきてからしばらくして、ジュシュー植物店の前を横切った時だった。
街で買い出しを済ませ、ベルチェスタの働いているパン屋へ寄ろうとしていたグレイスに軽薄そうな笑顔をしたジュシューが声をかけた。
「何ですか? 面白いものって」
変な物の購入でお金の無駄使いはしないと心を決めながらも、興味が抑えられないグレイスはつい植物店へと誘い込まれてしまった。
「ええ、これなんですがね……」
ジュシューが持ち出してきたのは一鉢の植物だった。赤や橙の丸い果実を付けた背丈の低い株だ。
果実は茎から少し伸びた枝先に房となって複数個、実を結んでいる。
「えと……これ、ワルナスビのように見えるんですけど、あれ? でも棘がないし、葉っぱなんかはベラドンナに似ているような……ナス科の植物ですよね?」
「これはマトマトと呼ばれる植物です。おっしゃる通りこれもナス科の植物でして、観賞用に栽培されることが殆どですが……実はこれ食べられるんですよ、果実が」
「嘘!? こんなに毒々しい赤色や黄色してたり、マンドラゴールやワルナスビそっくりの果実だよ! ナス科なら毒性の植物じゃないの?」
「いえいえ。毒は持っておりませんよ。味の方は甘酸っぱい感じで、そのまま食べてもよいのですが、野菜として調理するなど食べ方も色々とありますから」
グレイスには、にわかには信じられなかった。
見た目があまりにも他の種類の毒草とそっくりなのだ。これで毒がないと言われても食べるには抵抗がある。
「まあま、ここは騙されたと思って一つ食べてみてください」
「ええ!? 嫌ですよー。そんなに言うならジュシューさん食べてみてください」
「とんでもない! 店の商品に手を付けるなんてこと。商品は全てお客さんの為にあるのですから」
「いや、でも……」
何だかんだと押し問答の末、安く譲るということで研究用に一鉢買わされてしまった。
「う~ん、やっぱりどうしても信じられないなぁ」
ベルチェスタのパン屋に向かう途中で、マトマトの実の毒性が気になり始めたグレイスは、果実を一つもぎ取って観察していた。
薄皮の中にはドロドロとした果汁が詰まっている。ますますもってワルナスビにそっくりだ。
ふと、街中を歩く痩せた野良犬が目に入り、グレイスは試しにその果実を犬の鼻先に近づけてみた。
「ほーらほら、お腹空いているんでしょ? 毒のない果実だってさ、食べてみる?」
野良犬はふんふんと果実の臭いを嗅いでいる。
お腹は空いているようで食べ物なら食いつきたいとばかりに涎を垂らしている。
だが見慣れない果実に警戒しているのか、口を開けようとはしなかった。
「嫌なの? お腹空いてるでしょ? 食べてみてよ、大丈夫だから~」
自分では口にしていないものを野良犬には遠慮なく押し付けるグレイス。
口元にぐりぐりと押し付けて牙の隙間にねじ込もうとする。
あまりにしつこいグレイスに一声吠えようと野良犬が口を開けた瞬間、果実がするりと口の奥へ滑り込む。
「あっ!?」
野良犬は反射的に咀嚼して呑み込んでしまった。
しばらく、口の中で味わうように噛みしめていたかと思えば、舌なめずりを一度した後、野良犬は房に実ったマトマトの果実に食いつこうとしてくる。
「わあ! 駄目だよ、残りはあげられないから!」
どうやら本当に毒は含んでいないらしい。そうとわかれば挑戦心も湧いてくる。
グレイスもおそるおそるマトマトの実を口にしてみた。
果実の薄皮が破れ、内部の果汁が勢いよく飛び出し口腔を刺激する。僅かな青臭さと甘酸っぱい味が口の中に広がった。
「あ、意外と美味しい……」
もう一つ食べてみようかとグレイスがマトマトの実を摘まんだところで、すぐ横合いから声がかかる。
「――グレイス!? あんた何食べてんの!!」
「おや、グレイス……それは……!?」
一部始終を目撃していたらしいベルチェスタが駆け寄ってきて、グレイスの頬を張り飛ばす。
「ぶへっ!」
堪らず口の中に残ったマトマトの実を吐き出すグレイスに、すかさずアンリエルが飛びかかり、布を巻いた手を喉に突っ込み胃の中のものを吐かせようとする。
「グレイス! ……失敗ばかりの人生をはかなんで、いっそ死んでしまいたいと思う気持ちはよくわかります。ですが……よりにもよってワルナスビの果実で自殺など、余計に苦しいだけでしょう!? 考え直しなさい!!」
「ううっ、うげえええぇぇっ……! ……うぇ、はっ、はひっ……。……ちょ、ちょっと待って、誤解だよぉ……」
ベルチェスタに羽交い絞めにされながら、グレイスは涙ながらに誤解を解こうと訴えた。
「なーんだ。ははは、馬鹿だねえグレイスは。それならそうと言ってくれりゃあ誤解なんてしないのに」
「間髪いれずに張り飛ばされたら何も言えないと思う……」
グレイスは赤くなった頬を押さえ、拗ねた口調で抗議した。
「それにしても、本当に毒のない果実なのですね。驚きました。見かけによらないとは正にこれのことです」
「本当だね、これなら何かの料理にも使えるんじゃないかい」
誤解が解けて、マトマトの実が素晴らしい食材であることを知ったベルチェスタは、早速、料理に使ってみることを提案した。
幸と言うべきか、ジュシュー植物店に行くと、もっと大きなマトマトの苗が大量に置いてあった。
話を聞けば在庫が大量に余って困っていたらしい。
マトマトの宣伝を条件に果実だけを譲り受けることになった。
「まずは毒物じゃない、ってことを広く知ってもらう必要があるだろうね。食事会でもやってみようか」
「面白そう! ベルチェスタ、マトマトを使った料理についてアイディアがあるの?」
「一粒食べてみて直感が働いたよ。これはいい食材だ。使いようによっては食卓に新しい彩りが加わるかもね」
「美味しいものが食べられるなら何でもありです。アカデメイアの食堂でも借りて、試食会といきましょう」
ベルチェスタはマトマトの実を調理するため、アカデメイアへと戻った。グレイスも幾つか実を貰ったので、宿に持ち帰り何か一品考えることにした。
が、料理などほとんど経験のないグレイスには創作料理など思いつくはずもなかった。
(うーん、実を貰ってきたのに、今更何も考えつきませんでした、って言うのは恥ずかしいなぁ。要はマトマトの実が毒じゃないってことの宣伝だし、何でもいいから簡単なものを……うーん。よ、よし、これで行こう!)
ようやく考えがまとまったグレイスは一心不乱にマトマトの実を磨り潰し始めた。
窓際で五つの実を付けたワルナスビがゆらゆらと風に揺れていた。
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