第九幕

第28話 遅れてきたもの

 身も凍るような寒風が吹き荒び、見上げれば今にも雪が降ってきそうな灰色空模様。アカデメイアの学生達は分厚い外套マントに身を包み、足早に学院の門を通り過ぎていく。


 季節は冬。今年一番の冷え込みとなったこの日、アカデメイアではついに後期を締めくくる研究発表会が開催されようとしていた。

 凍るような外気を閉め出して、発表会場の暖炉に火が入れられる。それでも、寒さと緊張に固まった体をほぐすには、少しばかり火の勢いが足りない。


「ああ! 暑い!! ちょっと、暖房が効きすぎじゃありません?」

 ほとんどの者がマントに身を包んで縮こまっている中、一人だけ体から湯気を立ち昇らせ、上着を脱ぎ捨てているのはエミリエンヌだ。

 背中と胸の襟ぐりを大きく刳った袖のないドレス。夏場の夜間礼装ローブ・デコルテとしか思えないドレスに、もこもことした毛皮の肩掛けショール一枚という格好だ。


「うっひゃー……さすが『火のシャトレ』なんて言われるだけあるねぇ……。この寒い中、よくあそこまで思い切った格好が出来るもんだよ……」

 感心しているのか呆れているのか、何枚も衣服を重ね着したベルチェスタは、まるで自分が同じ格好をしているかのように身を抱いて震わせた。


「まったくです……。このように寒い日は、部屋でぬくぬくと紅茶を啜りながら過ごすに限ります」

 青白い顔で歯をかたかたと鳴らしながら、ベルチェスタの横で毛布に包まったアンリエルが「ううう……」と耐え難い様子で縮こまっている。

「……あんたはいい加減、毛布から出な。まさか、その格好で発表に立つつもりかい?」

「……できれば今すぐに部屋へ戻りたいぐらいですが……」


「馬鹿言ってんじゃないの! ほら、毛布はどこかに片付けて……」

 ベルチェスタがアンリエルの毛布を引っ掴み片付けようとする。しかし、アンリエルは毛布をしっかりと握って放さず――。

「ベルチェスタ!! ――な、なにをするのですか!? その毛布を持っていかれたら、私は凍死してしまいます!」

「うわ! ちょいと、何も本気で怒ることじゃないだろ!? そんなに寒けりゃ、もう一枚ローブを羽織って……て」


 毛布を引き剥がされたアンリエルは、既に何重にもローブを着込んでいた。その上に毛布をかぶって「寒い、寒すぎます……」と震えていたのだ。

「…………。……わかったよ。とにかく暖炉の近くへ行こうか。そうすりゃ少しは体も温まるでしょ……」

 アンリエルの毛布を引き剥がすことは諦めて、ベルチェスタは暖炉の方へと移動する。


「あれ? 二人ともどこに行くの? もうすぐ発表会が始まっちゃうよ?」

 会場の壁際にある暖炉へ向かおうとする二人を、きっちりと襟の立った、白い昼用礼服ローブ・モンタントを着たグレイスが呼び止めた。


「ああ、ちょっと暖炉の前までね。アンリエルがあんまりにも寒いって言うからさ。あたしはもう準備が出来ているし、始まったらすぐ自分の指定位置に戻るよ。グレイスこそ準備はいいのかい?」

「私? うん! ばっちりだよ!」

 妙に自信満々で、ベルチェスタにぱっちりと片目を瞑って応えてみせる。

 ――その様子に、周囲の人間からは微かな失笑が漏れた。


「……おい、聞いたか? ばっちりだってよ?」

「……試験会場を爆破する手筈でも整えたんじゃないか……?」

「……頼むから厄介ごとは他所でやってくれよー……」

「……君らはいいよ! ……僕なんか彼女の隣で発表だよ……!?」

「……あきらめろ……カジミール。次の犠牲者は君だ……」


 寮室での爆発事故により前期の試験は受けられず、ネヴィア鉱山でも大騒動を引き起こしたばかりのグレイス・ド・ベルトレット。後期の試験では何をやらかすのかと、周囲の人間は陰で嘲笑い、無遠慮な奇異の視線を向けていた。


「グレイス……周りの声なんか気にする必要ないよ」

 周囲の雑音を遮るように、ベルチェスタがグレイスの耳元に囁きかける。

 ところが当のグレイスは、

「大丈夫だよぉ~! 試験は今回が初めてだけど、自信あるから!」

 いたって平然としており緊張感の欠片もない。底抜けに明るく脳天気に笑っている。


「本当に大丈夫なのかねぇ……? あの子は……」

 発表場所に走っていくグレイスをベルチェスタは不安そうに見送った。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ――グレイス・ド・ベルトレット、一年目後期研究発表。


『マンドラゴールの薬効と毒性について』

「……古来よりマンドラゴールの根には薬効があると知られていました。マンドラゴールの根をアルコールに浸すと、その薬効成分を抽出することができます。この抽出液を服用すると、深い眠りにおちて三、四時間は痛みも感じなくなります。医学の現場ではこれを麻酔として利用し、切開や焼灼など手術を受ける患者に投与しました。しかしながら副作用として幻覚を視たり、時には死亡したりする場合もあり、使用に際する危険性は早くから指摘されていました。……そのような危険性がありながら、今なおマンドラゴールは貴重薬として認識されており、一部では娯楽の為の……催淫剤、としても用いられているのが現状です。えー、私の研究ではマンドラゴールの薬効と、その毒性について、定量的な観点から考察を行っていきます……」


 ――幾人もの教授たちを前に気負うことなく、滑らかな口調で、簡潔にして不足ない研究発表を行う一人の少女がいた。青い瞳は知的な光を帯びて、薄い唇の間で小さな舌が踊る。抑圧された鬱憤を晴らすかのように、活き活きとした発表が展開されていた。


 絹糸のように細い金髪と、雪のように真白い肌。そして白いローブに身を包む彼女の発表に誰しもが静かに耳を傾けていた。

 やがて研究内容の説明が終了すると、立派な燕尾服に身を固めた老師、ヴォークラン教授が批評を始めた。


「……驚いた。グレイス・ド・ベルトレット嬢、実によい。この実験は明快で、価値ある研究だよ。これならば論文の方も期待できそうだ……。上手にまとめあげられたなら星をあげよう。本来は、展示と論文を一緒に評価するのは例外だが、内容が良ければ構わんだろう。しっかりやりたまえ。論文審査を、楽しみにしとるよ……」

「――は、はい! 頑張って論文、書き上げます!」

 ヴォークランからの最大の賛辞に元気よく応え、グレイスは身を引き締めた。


「……グレイス、……グレイス……!」

 教授陣があれやこれやと話しながら移動してしまうと、ベルチェスタが入れ替わりで発表の場にやってきた。

「凄いじゃないか! あの偏屈爺さんを認めさせるなんて!」

「う、うん! 私も実は驚いているんだ。まさかヴォークラン教授に褒められるなんて、思ってもみなかったよ……」

 緊張と興奮でいっぱいの面持ちをしたグレイスは、発表が終わった今になって膝をがくがくと震わせていた。


「ううう……どうしよう……? あんなに期待されたら、下手な論文書けないよ!」

「なーに言ってんの! ここで期待に応えないでどうするのさ! 星をとれば半期の留年も帳消しになるんだよ!?」

「そ、そうか!?  ……そうだね、よし! 私、頑張るよ……!」

 両手をぐっと握り締め、この機会をものにしようとグレイスは決意を固めた。

 ――ちょうどその時、会場の一角からどよめきが起こる。


 にわかに騒がしくなる場内。その場にいた全ての人間が、ある方向に注目していた。何事かと、グレイスとベルチェスタは顔を見合わせた後、会場内で騒ぎになっている方へと移動してみた。

 移動した先では既に人だかりが出来ており、後ろの方では背の低いアンリエルが椅子の上に立ち上がって人垣の向こうを眺めている。


「アンリエル……! この騒ぎは何!?」

「シュヴァリエの発表です。……あの男、とんでもないモノの発表をしていますよ……」 

 そう言ってアンリエルはグレイスを椅子の上に引っ張りあげる。

「え? ちょ、ちょっと……恥ずかしいんだけど……!」

「いいから見るのです。……アレを!!」

 グレイスは強制的に椅子の上に立たされ、人垣の向こうにあるものを見せられた。取り巻く人の群れ。その中心にあったのは――。


「うええぇ!? あ……あああ、あの標本って、もしかして……」

 取り囲む人々の喧騒を破り、朗々たる声でシュヴァリエ・ベルヌーイの研究発表が始まった。


「――まずは展示物の紹介から。これはネヴィア鉱山の炭坑跡に生息する大型爬虫類、ホウセキオオトカゲの骨格標本です。特徴的なのは金属光沢を持った青緑色の鱗。ただし、ホウセキオオトカゲという異名は、美しい鱗の光沢から名づけられたものではありません。由来となったのは『胃の中に宝石を持つ』とされていることからです。実際、捕獲したオオトカゲの胃の中から、拳の大きさほどの石を発見することができました」

 頭上に掲げたシュヴァリエの手の上で、透き通った淡青色の宝石が輝いている。


「この石は元々、ホウセキオオトカゲが消化を助けるために飲み込んだ『胃石』で、長い時間をかけて胃液により変質し、結晶化したものです。宝石としての価値は低いものの、その希少性から、狩人の間では美しい鱗皮と並ぶ装飾品として重宝されています」

 シュヴァリエは手近な机の上に胃石を置くと、代わりに差し棒を持ち、壁に貼られたホウセキオオトカゲの解剖図を前に説明を進める。


「本研究ではホウセキオオトカゲの鱗皮と骨格標本、それに解剖学的構造図を展示し、『胃石の結晶化機構』についての簡単な口頭発表をさせていただきます。詳細は別途、論文にてご確認ください」

 隙のない動作と口述で説明を行い、投げかけられる質問に適確な答えを返していく。発表が終わっても人の波が引く様子はなく、グレイスがシュヴァリエの近くにまで来るのに小一時間ほどかかった。


 オオトカゲの標本は、間近に見るほどその迫力に圧倒されてしまう。グレイスは辛抱堪らず、駆け寄りながらシュヴァリエに標本のことを訊ねた。

「シュ、シュヴァリエ……! ね、ねえ!? これって、あのときの……あのトカゲ!?」

 グレイスに気づいたシュヴァリエは、骨格標本にぽん、と手を置いてみせて、

「まさしく。あのとき捕獲したトカゲだ」

 グレイスの問いかけをはっきりと肯定した。


「うっわー……腑分け図まであるんだ……。けどさすが、シュヴァリエだね。……まさかあのトカゲをそのまま研究発表の題材にしちゃうなんて……」

「まあな。論文の方も手抜かりはない。今期は星を取ることもできるだろうよ」

 グレイスの称賛に笑いもせず、星を取るのが当たり前と言わんばかりの態度である。しかし、それがただの嫌味でもなんでもなく本気なのだということは、慢心の欠片もみられないシュヴァリエの横顔から見て取ることができた。


「はぇー……。凄い自信だねぇ……」

「当然だ。何しろ『半年』もかけて研究調査を進めたんだからな」

「そっかぁ、半年かー……。あれ? 半年? それって何の調査?」


 ――ふと、妙な齟齬を感じた。

 何気ないシュヴァリエの言葉に、グレイスは話の噛み合わない気持ちの悪さを抱いたのだ。これに対してシュヴァリエは、何を今更、と。

「ホウセキオオトカゲの研究調査に決まっているだろうが。他に何がある?」

「え!? 調査って、炭坑の地質調査じゃなかったの!?」


「前回な、ネヴィア鉱山へ爆発事故に関する調査に出向いたとき、炭坑近くで偶然にアレの姿を見かけたんだ。夏の間に奴のねぐらを見つけられたのは幸運だった。それからしばらくは生態を観察して……。あとは冬眠前で動きの鈍くなったところを捕獲しようと考えていたんだが、お前達の所為で完全に予定が狂ってしまった。おかげで最も危険な活動期に捕獲作戦を実行する羽目に陥ったんだ。少しは反省してくれ」

「は、はう……ごめんなさい。あ、あのー、でもそれだと……。もしも、シュヴァリエの今回のテーマが違うものだったら、私達はどうなっていたのかな……?」

 グレイスが訊ねた仮定の話に、シュヴァリエは愚問だとでも言いたげな表情で答えた。


「そんなことまで俺が知るか。ネヴィア鉱山は既に前回の研究調査において、他に真新しいことはないとわかっていた。もう用のない所になど行かなかっただろうよ」

「あ、ははは、……そう。そうだよねー……。用事なかったら、行く必要ないもんね……」


 骨格標本となったオオトカゲの巨大な顎を眺めながら、ふと、シュヴァリエが気まぐれでテーマを変えていたら……などと想像する。

 アンリエルは捜索隊に後で発見されたかもしれない。だが自分は――と、そこまで考えて、グレイスは今更ながら生きた心地がしなくなるのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「ああ、ちょっと。よろしいかしら、グレイス・ド・ベルトレット嬢? これを――」

 発表会が終わり、学生達が各々の展示物を片付けている最中、会場の見回りをしていたポールズ女史が、グレイスに一通の手紙を差し出してきた。


「ずっと前に届いていた手紙なのですけれど、寮室が焼けた騒ぎで、貴女の手元へ正確に渡らなかったようなのです。ご家族からのようですし、急いで中身を確認してください」

 グレイスは思わず息を呑んだ。それは、アカデメイア合格の通知を報せて以降、連絡を取っていなかった母からの手紙であった。

 そもそも無断で家を飛び出してきたのだ。グレイスがグルノーブルに居座ることに対して、何の手も打たないのはおかしなことだった。


(うわぁ~! どうしよう……これ半年以上も返事してなかったことになるよね……)

 半年以上も前に届いていた手紙。その中に、いかなる恐ろしい文面が書き連ねてあるのか、想像もつかなかった。グレイスは恐る恐る手紙の封を切った。

「――え? お母様……」

 だが、手紙の内容は意外なほど簡素なものだった。


『……アカデメイアへ本当に入学してしまうほど結婚が嫌だとは思いませんでした。もう無理強いはしません。あなたの今後について、一度よく話し合いましょう。ナージュより』


 予想とは違って娘のことを親身に思いやる文面に、グレイスの心は揺らいだ。今すぐにでも帰って、母のナージュと話がしたかった。

 帰りたい。帰って心配かけたことを素直に謝りたい。


(……そうだ。そうしよう。一度帰って、お母様としっかり話をしよう。いきなり家出してごめんなさい、アカデメイアでの勉強を認めてください、って……。お母様に、自分の口で伝えなくちゃ……私の想い、私の決意を!)

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