第20話 冒険者二人

 研究発表の題材を決めたグレイスは、次の日の朝から早くも行動を開始していた。

「まずは……。この近くの山で本当に『アレ』が手に入るかだよね……」

 図書館で薬草の自生地に関する文献を漁り始める。過去の記録によれば、お目当てのモノは確かにこの近辺の地域にも分布しているようだった。


「えーっと……何々……? ……近年まで地中海沿岸地方に自生していたが、貴重薬として利用できることがわかってからは各地で乱獲され、その生息地域は……狭まってしまったぁ~? ……人里から離れた山中で見つけることは可能である。現時点における分布では以下の地域圏に自生することが確認されている……と」

 ページを進めると、フランセーズ領土の山脈と河川が描かれた地図に確認されている自生地の場所が示されていた。


「……ふーん。この分布からすると……うん! これなら近くにあるネヴィア鉱山の麓が良さそうかな……。早速、準備しなきゃ!」

「――何の準備です?」

「うわきゃあぁ!」

 背後からいきなり声をかけられグレイスは飛び上がった。甲高い悲鳴が物静かな図書館の天井でこだまする。


「あ、アンリエル……。前触れもなく背後から声をかけないでよ。心臓に悪いなもう……」

「気づきませんでしたか? もう五分も前からあなたの後ろに立っていたのですが?」

「……それ、怖すぎるからやめて……」

「軽い冗談です。それより何の準備ですか? 地図など広げて」

「うん……実はね、研究に使う材料が決まったから、調達しに行くんだよ。場所はネヴィア鉱山の麓。ここからは少し遠いから、しっかり準備して行かないと……」

「――山へ、調達に――?」


 アンリエルは首を傾げたまま動かなくなった。どうやら、研究材料を山に取りに行く、という発想が彼女には理解できないらしい。

「ほら、これ。この植物。そこらへんのお店じゃ売ってないから、自分で探しに行くの」

 図鑑に載っている珍しい植物を見せると、傾いていた首はまっすぐに戻り、アンリエルは目をぱちぱちと瞬かせた。


「……なるほど、そうでしたか……。……そういうことなら、私も一緒に行きます」

「へ? アンリエルも?」

 グレイスは意外な申し出に面食らった。一方のアンリエルは、今度こそ冗談ではなく本気の様子だった。


「博物誌に載っている幾種類かの鉱物、動植物はこの辺りでも見ることができるらしいので、機会があれば図鑑と実物を比較してみたいと思っていました。ネヴィア鉱山ならば調査にはうってつけの環境です。……ついでに、そのままそれを研究発表の題材にしてしまえば手間が省けるというものでしょう?」

 どこまでも好奇心を優先し、手抜きを考えるアンリエル。真顔で語る彼女を前に、グレイスは何の反論も差しはさめなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ネヴィア鉱山へ赴くための準備には思いのほか日数が掛かった。

 とても日帰りできるような場所ではないし、目当てのものを探すにも時間は掛かる。そうなると山歩きの装備に、下着の替え、乾燥食糧にキャンプ道具も必要になってくる。当然、地図や方位磁針の小物も必須だ。

 幸い、方位磁針はアンリエルが持っていたので新しく買わなくて済んだ。木製の枠に収められた方位盤と精度の良い針が自慢だと言っていた。


 ……そして、出発の日の朝。

「あれもあるし、これもある……よし!」

 まだ、日が昇ったばかりの時間帯にグレイスは宿を出た。

 まずはアカデメイアの学院寮へ寄ってアンリエルと合流。それから、街の出口で馬車を拾ってネヴィア鉱山に向かう予定になっていた。


 やや肌寒い空気と、爽やかな秋晴れの空。人影のない中央通りを、大荷物を背負った少女が闊歩する。動きやすさを重視した乗馬用のパンツをはいて、山歩きで邪魔になる髪は一束にまとめて。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「それでその格好というわけですか? 一体、誰が来たのかと目を疑いましたよ」

 アンリエルを迎えにいって開口一番に言われたことがそれだった。

「むぅー……。そう言うアンリエルも人のこと言えないと思う……」


「どこかおかしいですか? 仕立屋の主人は『冒険にはこの服装が基本だ』と熱弁してくれたのですが」

 全方位につばの広がる帽子と、たくさんのポッケが縫い付けられたベストにパンツ。おまけに車輪付きのルックザックという何とも奇妙な格好をしている。


「……ま……まあ、服装の方はともかく、そのやたらと重そうなザックは何……?」

「これですか? これは彼の有名なザック工房、ムレーで製作された車輪つきルックザックです。特別注文で作らせたものなので一般には出回っていませんが……」

「――え、えと、あのね。そういうことじゃなくてね? 中に何が入っているのかな、と。荷物の量が多すぎると思うんだけど……。車輪つきだと山の斜面を登るときは大変だよ?」

 足元に置いてあるザックは、どう見てもアンリエル自身の体重より重そうだった。


「問題ありませんよ。このように取っ手部分が伸縮するので、山歩きをする際には縮めて背負うこともできるのです。極めて機能的に出来ていて――」

 そう言いながらアンリエルはザックを背負い、立ち上がろうとしてよろめく。ザックの重みに耐え切れず――というより抗う素振りさえ見せられないほど、ものの見事に後ろへひっくり返ってしまう。


 細い両足を空に向けて万歳しながら、じたばたともがいてみるものの起き上がることはできない。アンリエルの小さなお尻がひどく哀しげに見えた。

「…………。……すこし、待ってください。荷物を減らしてきます」

 ルックザックを背中から外して起き上がり、アンリエルは名残惜しそうに、ザックの中身を減らしていく。


「……図鑑は何冊も持っていけませんね……」

「うん、それは重すぎる。持って行くには重すぎるよ、アンリエル」

 二人の旅路には早くも前途多難の様相がみられていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 朝早く出発し、ネヴィア鉱山に登る二人の少女。天気は晴れ、山登りには最適な日和だ。一つ目の休憩所まで来たところで山道を外れ、森の奥に向かって歩き始める。

 まだ、山の麓なので傾斜はそれほどきつくない。アンリエルもザックの車輪を軽快に転がしながら、獣道を余裕の足取りで進んでいた。


 ……一時間ほど歩いただろうか。徐々に木々の密度が濃くなっていき、生い茂る草木も湿気を帯びてきた頃……。がさがさと音を鳴らし、茂みをかきわけ道なき道を先行していたグレイスが、突然その足を止めて後ろにいたアンリエルに制止の合図を送る。


「……今、妙な音がしたよ。近くに何かいるみたい……」

 二人がその場に立ち止まって耳を欹てると、確かに周囲の茂みから葉擦れの音が聞こえてくる。

「何かはわからないけど、刺激しないようにゆっくり行こう……?」

 グレイスの提案にアンリエルは無言で頷き、二人揃って静かに歩き出す。しかし、葉擦れの音もまた、二人と一定の距離を保ったままで動き出す。注意深く聞いていなければ気づかないが……音は複数。


「……何者でしょうか? 後ろからつけられていますね」

「どうしてついてくるんだろう?」

 声量を落とし、緊張した面持ちで二人が話していたその時、近くの茂みから一匹の獣が姿を現した。二人と目があった獣はその場で硬直し、しばらくして都合が悪そうに茂みの中へと後退していった。


「今のは……犬?」

「野犬でしたね。おそらく、食糧の匂いにつられて来たのでしょう。まだ、襲ってくるほどの勇気はないようですが、このまま後ろを取られて歩くのは不安です」

「そうだね。あとは数がどれくらいかだけど――」

 ――茂みから、今度は三匹の獣が飛び出してきた。同時に別方向からも数匹、音を立てて現れる。


「これは……かくれんぼはもう終わり、ということですかね?」

「うひゃあ……出てきた、出てきた……。十匹以上はいるよぉ……。困ったなぁ……」

「……完全に囲まれてしまいました。どうしますか? グレイス……」

 アンリエルに意見を仰がれたグレイスは、「う~ん……」と、少し考えに耽った後で荷物を地面に下ろした。周りを囲み始めていた獣たちは驚いて、数歩だけ後退した。


 獣たちが飢えた目で注視する中、徐にザックの口を開いて取り出したのは――。

「グ、グレイス? ……何ですかそれは? それで何をする気です?」

 ここへ来てアンリエルの表情に初めて動揺が浮かぶ。グレイスがザックから取り出したもの。それは長さにして五、六メートルはありそうな……真っ黒な皮製の鞭だった。


「ちょっと荒っぽいけど……野営地までついて来ちゃうと困るからね」

 グレイスはその鞭を無造作に地面へ投げ出した。複雑に編みこまれ、先端が丸まった形のそれは、さながら地を這う大蛇のように見える。


 この行動にただならぬ気配を感じ取ったのか、獣達はグレイスを囲むようにして遠巻きに警戒している。ゆっくりと包囲を狭めてはまた広げ、獲物の反応を窺う。だが、グレイスの方は立ち位置を一歩も変えず、獣達の動きを静観しているだけだった。


「アンリエル、私のすぐ傍にいて。そう、足元でしゃがんで……動かないでね」

「……了解です」

 グレイスの太股にぴったりと寄り添う形でアンリエルはしゃがみこんだ。グレイスはやや爪先立ちになり、鞭の握り手は下にしたまま油断なく周囲に注意を向けている。


 いつまでも動かない相手に業を煮やしたか、前触れもなく獣の一匹が地を蹴り、後ろからグレイス目掛けて飛びかかる。これに他の獣達も追従し、一斉に一つの目標へ向かって走り出した。


 ――鋭敏にして柔軟、無駄のない動きで獲物に襲い掛かる獣の群れ!


 ただ、それさえも鈍重であるほどに、グレイスの動作は速かった。先陣をきって飛び出した一匹が数歩を踏み出した時点で、既に彼女は余裕を持って動きだしている。


「ふぅっ……、はっ――!!」


 びゅっ!! ひゅぅ――!!


 風を裂き、まるで生きた蛇のごとく宙に躍る、獣の目にも捉えきれない高速の鞭捌き。

 グレイスが腕をしならせると一拍遅れて鞭もうねり、その先端は縦横無尽に踊り狂って野犬どもを続けざまに打ち据える。


 ばつんっ!!


 ――ぎゃふっ! きゃんきゃん……。


 一息の動作に二転三転して跳ねまわるグレイスの鞭。飛び掛ってきた野犬達は痛みと恐怖に駆られて散り散りに逃げ出した。だがグレイスの鞭は容赦がなく、逃げ出していく獣の背をさらに一撃、ニ撃と強かに打って追い立てる。


 ――おぉん……! ……おぉぉ……ん…………。


 撤退の合図と思われる遠吠えが聞こえた。葉擦れの音は段々と遠ざかっていき、森の中には静寂が訪れた。

 ふぅ……、と息を吐く音が、静まりかえった森の緊張感を解く。しゃがみこんでいたアンリエルは立ち上がり、野犬が残っていないか辺りを見回した。


「お見事でしたグレイス。まさかいきなり強硬手段に出るとは思いませんでしたが……。先程の鞭捌きはどこで習ったのです?」

「うちの管理していた牧場にも時々、狼なんかが羊を狙いに来ることがあったから。そういう時は牧羊犬を走らせたり、馬に乗って鞭で脅かして追い返したりするの。私も羊飼いのおじさんに教えてもらったんだ」

 グレイスはさして自慢する様子もなく、長い鞭を手繰り寄せながら巻き取っていく。


「グレイスの家は牧場の管理などしているのですか? 地方の貴族とは聞いていましたが、随分と田舎のようですね」

「まあねぇ、領地にしたってタロワールの村を一つ任されているだけだから。でも、近くに湖があってとっても綺麗な所だよ。私の母様も若い頃は、鞭を片手に馬で湖の周辺を駆け回っていたそうだし」

「なるほど、そうやって農奴達を鞭打って管理しているわけですね」


「違うよ!? 村の人を鞭打ったりなんてしないから! そりゃあ私の小さい頃とかなら、悪戯が過ぎて、お母様に乗馬用の鞭で叩かれたことはあったけど……」

 グレイスのさり気ない告白にアンリエルは息を呑んだ。


「……つまり、見せしめ? 確かに上手いやり方ですが、グレイス……とても不憫です」

「だ、だからそうじゃないって! そもそも、小さい頃の話だよ!? 今はもうそんなこと、あっても年に一度くらいしか……」

 ――再び息を呑む音。


「……世間一般ではそれを虐待と言うのでは?」

「えっと、たぶん違うと私は信じている……」


 愛の鞭。だがそれなら今のグレイスが家に戻ったとすれば、勝手に家出したことを叱られて鞭打たれるのだろうな、と身震いしてしまったのは仕方ない。

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