第六幕

第19話 崖っぷちの挑戦

 研究発表が終わってしばらく、アカデメイアは論文審査の期間に入り、学生達もこの間は試験後の骨休みができる。


「いやー! やぁっと、試験終わったかー! ここ数週間、あたしは生きた心地がしなかったよ!」

「本当、大変だったよねー! お疲れ様ー!」

「ベルチェスタは気を張り過ぎでしたよ。見ているこちらまで息が詰まりました」


 グレイス達三人も試験終了後の息抜きに、アンリエルの部屋でお茶会をしていた。

 当然、話題は試験の話になるのだった。

「他人の発表を見ている暇があったら、あんたは自分の発表をもっとしっかりやりな」

「うんうん。やっぱり発表の場にはちゃんと立っていた方がいいよ?」

「そう言うグレイスは研究発表を何もしていません」


「…………。……う。うわぁーんっ! アンリエルが、アンリエルが苛める~! うわわ、私だって定期試験は普通に受けたかったのにぃ~……!」

「ああ、よしよし。かわいそうにねぇ……」

 ベルチェスタはひぃひぃと泣くグレイスの頭を撫でながら苦笑いを浮かべた。アンリエルは無情にも舌を出して、泣きじゃくるグレイスの様子を眺めているだけだ。


「けどねえ……グレイス。冗談じゃなしに今の自分が置かれた状況はわかっている? 崖っぷちに立たされていると言っても大袈裟じゃないんだよ?」

「うえ……?」

「わかってないみたいだね……。いいかい、前期の定期試験を受けられなかったことで、あんたは自動的に半期分の留年が決まっている。だけど問題はそこじゃあない」

 半期分の留年、と聞いた段階で声をあげかけたグレイスだったが、問題はさらに別のところにあると指摘され、神妙な面持ちでベルチェスタの次の言葉を待つ。


「問題なのは定期試験の成績が二度連続で規定値を下回った場合。グレイスの場合、前期は試験を受けてすらいないから規定値以下は決定済み。そしてもし、次の後期の試験で及第点を得られなかったその時は……。問答無用で放校処分、つまり退学になるってこと!!」

「え。ええええええぇ――!?」

 目を見開いて驚愕の声をあげる。


「あちゃ……。やっぱり、知らなかったのかい?」

「き、聞いてないよ? 私、そんなこと……」

「入学要項にはしっかりと記載があります。規定値を連続で二度下回れば退学ですが、半期ごとに留年と進級を繰り返すなら最長で一二年間アカデメイアに在籍できる、と私は目を付けていましたよ?」

「……アンリエル、あんたの目の付け所はどこか決定的に間違ってる」


「留年……放校処分……退学……」

 アンリエルの後ろ向きな発言も、ベルチェスタの冷静な突っ込みも、グレイスの耳には届いていなかった。

 アカデメイアにおいて、入学して最初の一年こそが学者としての資質を計る時期なのだ。一年目の研究発表では特に留年者が多く、二度の発表の両方とも規定値を超えず放校処分となる学生も少なくない。


「ま、逆に評価で『星』を一つでも得られれば、課程を半期分縮めることができるんだ。前期で留年しても、後期で星を取れれば半年分取り戻せるってわけだから、次の試験がんばりな、グレイス!」

「ちなみに今回、一年目前期の研究発表で星を得た人間はシャンポリオンと他二名。シュヴァリエは高得点ながらも、星を得るには至らなかったらしいです」

「そんなの無理だよぉー! シュヴァリエでさえ星なしって、すごい難関だよ!?」

 泣き言を言ってみても他の道はない。嫌な汗と妙な動悸を感じながら、グレイスは決死の覚悟を決めるしかなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ――一年目後期研究発表、その題材をどうするか。グレイスはここ最近、ひと月ほども図書館で文献を漁りながら悩んでいた。

 生半可なものでは星を狙うことはできない。ここは多少、無理を押し通してでも実力以上の結果を出す必要がある。挑戦するなら自身の得意分野で、何か価値のある研究成果を発表することが望まれた。


 医者の娘であるグレイスには、少なからず薬学の知識があった。自分の能力を最大限に活かすとすればこの分野しか考えられない。

「はぁー……。でも、弱ったなぁ……。私の能力で挑戦できる研究なんて高が知れているし、珍しい題材でもないと教授達の目には留まらないだろうなぁ……」


 珍しい題材、ということでグレイスは参考に『図解・珍しい鉱物』『図解・珍しい動物』『図解・珍しい植物』……と、『図解・珍しい○○』のシリーズ本に何かよい題材はないかと探していた。隣ではアンリエルが興味深げにグレイスの本を覗き込んでいる。


「面白そうな素材がたくさん載っています。次のテーマはこの中から選ぶのですか?」

「んんー……でも、見たこともないようなものばっかりで、何にどう手を付けていいやら……。そもそもこんな珍しい材料どこで手に入るんだろう……?」


 珍しいものを研究の題材にしたくても、実験材料そのものを手に入れる事からして難しいということにグレイスはようやく気づいた。『どこそこに生息している希少動物』とか、『限られた地域にしか産出しない鉱物』等、一介の学生には手に入れようがない。


「あと十五分で閉館しまーす! 本を借りる方は急いでくださーい!」

 図書館司書の女性が小さな鐘を鳴らして、閉館時間が迫っている事を告げた。アンリエルは既に貸し出しを済ませた本をザックに詰めて帰り支度を始めている。グレイスも慌てて『図解・珍しい○○』のシリーズ本を三冊借りて、図書館を飛び出した。


 図書館を出ると既に外は日が暮れかかっており、大した収穫もないままグレイスは街の宿へと帰ることになった。さして重くはないはずの三冊の本が、今のグレイスには重荷に感じられた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 宿に着く頃にはすっかり日が落ちて、明かりの灯った家々からは夕餉の香りが漂ってきていた。

「食欲でないなぁ……。もう今日は寝ちゃおうかな?」

 宿の部屋に戻ったグレイスは、図書館で借りてきた本を胸に抱きながらベッドへ仰向けに寝転がる。しかし、横になると睡魔よりも研究テーマのことが頭に浮かんできて悶々としてしまうのだった。


「……うむむぅ――。むううぅうーん……」

 ベッドの上で無駄に転がりまわりながら必死に考えをめぐらす。ちら、と視界に入った食虫植物のハエトリソウが、真っ赤な口をぱくぱく閉じて笑ったように見えた。

「珍しい……植物……」

 グレイスはなにやら思考をめぐらせて、唐突にベッドの上で跳ね上がる。『図解・珍しい植物』をその場で開き、勢いよくページをめくっていく。


「……得意分野を活かそうとするなら……」

 植物の中には、グレイスが得意としている薬学に関わりのあるものが存在した。その中でも手に入れることが可能で、それなりに目立った特長のある材料――。


「……これは悪くない、けど面白くもない……。うーん、あ、これなんか良いかもしれない!?  ……駄目だ。自生しているのが外国じゃなー……。ジュシュー植物店に置いてあったりしないかなぁ?」

 掻き揚げた髪の毛がぼさぼさになるのも気にせず、時間を忘れて熱心に本を読みふけっていた。



 ……夜も遅くなり、わずかな灯りを提供していた蝋燭の芯も燃え尽きようという頃、よどみなくページをめくり続けていた手がぴたりと止まった。開いたページをグレイスは食い入るように見つめた。

「――こ、これだ……。この植物なら近くの山にも自生しているはず……! それに、今の私でも十分に挑戦できる面白い題材になる!」

 震える両手で『図解・珍しい植物』を頭上に掲げ、グレイスは大きく目を見開いて会心の笑みを浮かべた。


「よおぉーっし! やっちゃうぞー!」

 気合いを入れてベッドから飛び降りる。その拍子に蝋燭の火が消えて、真っ暗な闇の中に鈍い物音とグレイスの小さな悲鳴が反響した。

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