第五幕

第16話 寮室爆破事件

 赤絨毯にシャンデリア。厳かにして絢爛。下品な豪華さとは異なる、煌びやかな雰囲気を持ったアカデメイア学院長室。

 部屋の奥には学院長フーリエが座し、その隣には学院長秘書兼アカデメイア特別講師であるマリー=アンヌ・ポールズ女史の姿があった。


「何か弁解はありますか? グレイス・ド・ベルトレット?」

 学院長室の中央には、輝く金髪に白い肌をした一人の少女が立っている。だがその身なりは全体に薄汚れ、表情は虚ろで放心状態にあるようだった。

「わかっているのですか? このような出来事は前代未聞です。学院寮の一室で爆薬を製造し、剰え実験に失敗して他の学生まで巻き込んでしまうとは……」


 『爆薬』という物騒な言葉に反応したのか、ここへ来てようやくグレイスは我を取り戻した。

「……ばく……? ばっ、爆薬なんてとんでもないです! 私そんなもの作った覚えはありません!」

「ではあの爆発は何だったと言うのですか、あなたは?」

「そ、それは……、ええっとぉ……そ、それは、ですね……」

 ポールズ女史に問い詰められ、グレイスは答えにつまる。――正直な話、グレイス自身にも何が起こったのか正確には把握できていなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 事件当日。一日の講義が全て終了し、学院寮の部屋に戻ったグレイスは自筆のノートを開いて講義内容の見直しをしていた。

「はぁー……今日もいっぱい勉強したなぁー……」

 とにかく講義の内容を片っ端からノートに記述してみたのだが、後から見返してみると何を書いてあるのかさっぱりわからない。


(……ノートを取ることよりも、話を聴くのに集中した方がいいのかなあ……? 見直してもよくわかんないや……)

 グレイスは椅子の背もたれに体重を預けながら、両手でノートを目の前に掲げてみた。顔を近づけたり、遠ざけたりして見たものの、それだけで理解できようはずもなかった。


「んんん……、もう駄目だぁ――!」

 理解をあきらめ、ノートを投げ出すようにして椅子にもたれかかる。足のすり減った椅子は人体の重量を受けて大きく後ろに傾いだ。そして一瞬の浮遊感を座っている者に与えた後、加速度的にその傾きを増していく。

「たわわっ……!」

 グレイスはバランスを崩して椅子ごとひっくり返りそうになる。


 咄嗟に机の上にあった小麦粉の袋にしがみつき……もがいてはみたものの結局、袋ごと床に倒れこんでしまう。グレイスは見事に粉袋の下敷きとなった。

「……痛たぁー……。やたら重いわりにどうして滑りはいいのぉ……? このー……」

 ぺし、ぺし、と小麦粉の大袋を叩いて、恨み言をぶつけてみる。


 明らかに怒りを向ける対象が間違っているのだが、怒りの対象であるはずの椅子は既にグレイスの尻に敷かれている。当面の厄介物は体の上にのしかかっている小麦粉の大袋というわけだ。グレイスは身を捩りながら、どうにか袋の下から這い出すことができた。

「……ぬ、抜けたぁ……」

 床に落ちた小麦粉の袋をどこに片付けようか、グレイスは少し迷ったが結局また机の上に戻すことに決めた。袋を拾い上げようと腰を屈め、端を掴んで持ち上げる。


「ふぅー……。よっ……! ――あれっ?」

 するとかなりの重量があるはずの袋は思いのほか軽く持ち上がる。……その代わりに中身の小麦粉は全て、袋に開いた穴からぶちまけられてしまった。

「あーっ! うわー!」

 小麦粉は天井高くまで舞い上がり、もくもくと蠢きながら部屋全体に満遍なく拡がっていく。


「わぷぷっ……ひえぇー……服が粉だらけだー……」

 衣服に付いた小麦粉を叩くと、更に小麦粉が舞ってしまった。

「あうう……口の中もべたべたしてきた……」

 けほっ、こほっ……と咳をするたびに真っ白な息吹が飛び出す。視界も白くなって前がよく見えない。とりあえず部屋の窓を開けようとしたのだが、足元に倒れていた椅子に蹴躓くなどして、一向に窓へは辿り着けなかった。


 ……四苦八苦するグレイスを嘲笑うかのように、壁掛けランプの炎がちろちろと揺れ動き、真っ白な姿で右往左往するグレイスの姿を怪しく投影して見せていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「……小麦粉を……ばら撒いてしまいまして……。それで、とりあえず窓を開けようとしたら躓いて転び……、そうこうしている内に火が……炎が部屋中に渦巻いて……。たぶんランプの火が何かに燃え移ったみたいなんですけど……、目の前が真っ白で部屋の様子がわからなくて……。そ、その時、ちょうど誰かが戸を開けたんです。……そうしたら炎が、まるで廊下に吸い出されるようにして揺れたかと思うと、ば、爆発? とにかく爆風が吹き荒れて……後は……よくわからないんです……」


 燃え盛る炎の中、奇跡的にもグレイスは火傷一つ負っていなかった。さらに幸運なことに、爆炎は部屋の入り口から廊下へと噴き出し、窓際に立っていたグレイスの所に炎は直接向かうことがなかったのだ。


「つまりあなたはこう言いたいのですか? ……小麦粉をばら撒いたら、目の前が真っ白になって、わけもわからぬ内に出火して、爆発が起きた、と……?」

「……簡潔に言うとそうなります……はい……」

 要領を得ないグレイスの答えに、ポールズ女史は困ったような視線をフーリエ学院長に向ける。フーリエもまた状況がいまいち把握できずに困っているようだった。


「ふぅむ……事故の経緯は曖昧な部分が多い。それは追って検証していく事としよう。……しかしそれよりも先に、君に伝えておかねばならない残念なことがある」

 沈痛な面持ちで語るフーリエ。そのただならぬ面持ちにグレイスも緊張し、ごくりと唾を呑み込んだ。

「まず、今回の事件が事故にしろ過失にしろ、学院寮の一室が半焼したことに変わりはない。これに関してアカデメイア学生生活支援委員会は、グレイス・ド・ベルトレットに焼けた寮室の返還を求め、新たな寮室は提供しないことを決定した」

「ええぇ!?」


「それだけではないのだよ。まことに残念ながら今期の定期試験、グレイス・ド・ベルトレットには受験資格が与えられない」

「そんなぁ……。どうにかなりませんかぁ?」

 がっくりと肩を落とし、グレイスは涙目で慈悲に訴えかける。


「これについては儂も反対したのだが、既に教授会の緊急協議で決定してしまったことなのでな……」

「本来ならば即刻、放校処分となっていてもおかしくはないのですよ、グレイス・ド・ベルトレット。なにしろシュイスの名門ベルヌーイ家嫡男を、病院送りにしてしまったのですから。裁判沙汰にならなかっただけ良かったと思いなさい」


 確かにそうなのである。あれだけの爆発に巻き込まれていながらシュヴァリエは一命を取りとめ、寛大な事にグレイスに対して特別な賠償請求はしないと言うのだ。

 しかしながら、今期の定期試験を受けられないばかりか、寮を追い出されるというペナルティを受けてしまっては、この一年での好成績は望むべくもない。先行き真っ暗になったグレイスは再び茫然自失の状態に戻り、ふらふらと学院長室を後にする。


「……どうにかしてやりたいものだが……」

「仕方のないことです。彼女を許してしまえばアカデメイアの公正さが損なわれます」

 ポールズ女史の言うことは尤もなことだった。一度許してしまえば悪い前例となってしまう。二度と同じような事件が起きないように、ここは厳正な処分が必要だった。


「うむ……しかしだ。処罰は免れぬとして、今回の事件、君はどう見ているかね?」

 ポールズ女史はその問いかけを、フーリエがどういう思惑で投げかけたのか素早く理解して返答した。

「彼女の言っていることは事実だと思います。おそらく、部屋に舞った小麦粉が爆発の原因なのでしょう」

「やはりそういうことになるかの……。あとは、火種となったランプにも問題がなかったか調べさせるとしよう……」

「そういうことでしたら、わたくしが現場の検証に立ち会います。……学生達の間に動揺が広がらないように、正式な発表は事実関係が明らかになってからと致しましょう」

「君に任せよう。儂はベルヌーイ家の方に顔を出してくるのでな。……あちらも放って置いてはよくない。当代のヨハネル・ベルヌーイならば、今回の件を理由にシュヴァリエの就学を取り消しかねんからの……」


 フーリエとポールズ女史は無言で頷きあうと学院長室を出る。

 だが、それぞれが為すべき仕事を為さんと動き始めた頃、既にアカデメイアでは不穏な空気が漂い始めていたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 講義の始まる少し前、学生達の集まった教室は昨晩に起こった事件の話で持ちきりだった。

「……なあ、もう聞いたか? 学院寮の爆破事件……」

「爆発事故って聞いていたけど……? 爆破事件なのか……!?」

「違うよ、ほら例の補欠合格の女の子いただろ? あの子が実験中にやらかした事故らしいよ。……と言っても、どんな実験していたんだかねぇ?」


 廊下の片隅でも囁きあうような話し声が聞こえてくる。

「……何でもその女子学生、学院寮で爆弾を作っていたらしい。それで誤爆して、部屋を丸ごと吹っ飛ばしちまったって話さ……」


 学院寮の中庭には、真っ黒な煤にまみれた部屋をやや遠巻きに囲む人垣があった。その人垣の近くにもう一つ別の人垣があり、その中心には興奮しながら喋る学生がいる。

「僕は見たんだ! 部屋の中から真っ赤な炎が噴き出して! 部屋の前にいた学生は、あっという間に炎に包まれて丸焼けさ!」

「ああ、俺も見たよ、炎に焼かれた学生。あれは死んだな、確実に。公式にそういう発表がないっていうのは……たぶん揉み消したんだよ、アカデメイアが……」

「いやいや、死んではいないってさ。被害にあったのは一一〇号室のベルヌーイだろ? 全治ニヶ月の大火傷を負って今は療養中だとか」


 アカデメイアの外にある街中のカフェテラスでさえ、話の種に持ち出される始末。

「……なんでも二人の仲は険悪で、口うるさく注意する男子学生に腹を立てた女子学生が、仕返しに爆弾を送りつけようとしていたとか……」

「……いやだ怖い。それくらいで爆弾を持ち出すなんて……。私なら浮気でもされない限りそんなことしないわ……」

「…………」

「……平和的に話し合いで解決すべきだとは思わないのかね……?」

「わたしゃ、前々から思ってたんだ! アカデメイアなんて危険思想を持った人間の集まりさね」

「この街も物騒になったなぁ……爆弾犯人は女の子だって?」


 ――大いなる誤解。しかし、噂は尾鰭をつけて広まり、弁解の場は与えられぬまま事実として認識される。耳が痛い。言い訳がしたい。そんな無責任な噂を耳の片隅に捉えながら、食虫植物を抱えた金髪の少女が中央通りを足早に横切っていく。


 少女は一軒の宿に入ると粗末な部屋を月単位の契約で借りた。


 宿の主人は、見た目はいいところのお嬢様と思われる少女が一人で宿を借りることに不審を抱いたが、前払いで受け取った金貨を手にすると現金にも気をよくして、家の仕事を手伝っている娘に言いつけては色々と世話を焼かせるのだった。

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