第15話 目的も理由もなく

 ――アカデメイアを揺るがした寮室爆発事件。


 その原因は事件から一ヶ月経っても、はっきりとした真相はわからないままだった。

 少なくとも、この一か月病院で手当てを受けていたシュヴァリエに伝えられた情報からは、爆発を起こしたのが間違いなく一一一号室の住人であるということだけだ。


 シュヴァリエが教室へ入ったとき、一同は明らかに緊張した様子で彼の姿を凝視し、呼吸さえ忘れ沈黙していた。額と頬にはガーゼがあてられ、腕を包帯で吊った痛々しい姿。肩先まであった髪は短く刈り込まれ今や耳にすら掛かってはいなかった。


 学友達とぎこちない挨拶を交わすと、包帯姿のシュヴァリエは教室の最前列に席を取り、腰を落ち着けた。再び長い沈黙が流れ――。ぷふっ……と、どこからか間の抜けた空気の漏れる音が聞こえてくる。

 沈黙はより深くなり、やがてはっきりと空気の漏れる音だけが聞こえてくる。上品に口元を押さえ、しかし笑いを堪えているのが明らかな表情のエミリエンヌ。最前列の彼が後ろを振り向いて彼女、エミリエンヌの方を見た瞬間――。


「くふっ……あっ、あらっやだ! ふふっ、あっはっはっ。ああ、あっはっはっはっはっ! おっ、おかしい! シュヴァリエ、あなた……! うふっ! どうしましたのその頭!? 何かの実験に失敗しまして!?」

「……白々しい。もう知っているだろうに……」

 シュヴァリエの短く刈り込まれた髪の毛を見て爆笑するエミリエンヌ。つられて何人かが吹き出し笑いをするが、それらは悉くシュヴァリエに睨みつけられて沈黙する。

 エミリエンヌは、一人だけ笑い続けている。


「うふふ……。ほら、グレイス。貴女もそんな所に隠れていないで、シュヴァリエを笑ってあげなさないな。すっきりして前より男前になっていますわよ?」

「わ、わ、やめて。エミリエンヌ……!」

 机の下に隠れていたグレイスを片手で引っ張り出すと、腕を掴んだままシュヴァリエの前に引っ張ってくる。


「さあ、笑って笑って。仲直りですわ」

 エミリエンヌは簡単に言うが、シュヴァリエの怪我は軽いものではない。口元を歪めて笑おうものなら、頬の皮が引き攣って火傷の痕がチリチリと痛む。とても笑えない。

 グレイスにしても、この包帯姿をみて笑える度胸などありはしなかった。彼女は怯えた表情でシュヴァリエの顔色を窺っているばかりだ。


 それでも何か言わねばならないと考えたのだろう。腰が直角に曲がるほど頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。

「え、えーと……ご、ごめんなさい!」

「あら、殊勝ですこと。シュヴァリエ? 女の子がこうして謝っているのですもの、許してあげなさいな」


 気の利いた謝罪の言葉とも思えなかったが、本気で罪悪感を抱いているからこそ余計な言い訳もないということか。

(……それはいいとしよう。起こってしまったことは、もはやどうにも取り返しがつかないのだから……)

 シュヴァリエはもうグレイスに具体的な責任を取らせるつもりはなかった。


 事故直後こそ、如何にして八つ裂きにしてやろうかと考えたものだが、時が経てば気持ちも少しは落ち着いてくる。その代わり、この一か月ずっと知りたかったことに対して、自身が納得のいく回答を得られるかどうかが重要だった。


「一つ……いや、二つ聞きたいことがある。あの日、お前は何の実験をしていたんだ?」

「……え? そ、それは、い、いやー、別に実験とかしていたわけじゃなく……事故?」

 その言葉を聞いた瞬間、自分でも頬が凶悪に引き攣るのを感じた。

 グレイスが小さく「ひぃっ」と、息を呑む。


「ただの事故……まあいい。聞きたいことは、あと一つ」

「はひぃ……な、何でしょうか……?」

「お前は、何を目標に研究している?」

「……目標……研究……?」

 全く思い至らないという彼女の表情で、シュヴァリエは明確な回答を得た。


(……こいつは、何の目的も持たずにアカデメイアへ来たのか……!?)


 他人がどんな理由でアカデメイアに来ようが、シュヴァリエにはどうでもいいことのはずだった。けれども、何の目的もなくアカデメイアにやってきた、そんな奴に自分の足を引っ張られるのだけは御免だった。


「……いいか、よく聞け、言っておく。俺は今後お前とは一切、関わらない! だからお前も二度と俺を巻き込むな! 俺から言いたいことはそれだけだ、以上!」

 ――完全な拒絶。シュヴァリエはそれだけ言うと背を向けた。

「ちょっとシュヴァリエ! あなた、心が狭いですわよ? そんなだから……」

 シュヴァリエの態度をエミリエンヌは非難した。


 だが、なおも文句を言おうとしたエミリエンヌの言葉を遮って、あらぬ方向から擦れた声が聞こえてくる。

「あああー。よいかね? 講義を始めても?」

 既に教壇に立っていたヴォークラン教授がその場を治める形となった。

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