第14話 降りかかる受難

 幾週間が過ぎ、今年開講される講義が出揃った頃。その日の講義が終わり、寮の自室へと戻ってきたシュヴァリエは、今年一年間に受ける講義の時間割を見直していた。

 あまり余計な講義を受けていると、自由な研究時間が減ってしまう。多少でも興味を持てた講義には出席したかったが、ある程度は選別して切り捨てなければならなかった。


(……研究時間への割振りを考えれば、こんなものだな……。あとは読書の時間くらい余裕は見ておくか……)

 遊びのない完璧な計画など、実のところ現実には達成できないものだ。常に余裕を持った行動計画を立てることが重要である。


(……だが、あまり時間があるわけではない。難しいが少ない時間の中でやり遂げなければ……。他の人間と同じ歩調では間に合わないのだから……)

 シュヴァリエがそこまで時間的猶予に拘るのには訳があった。


 それは他ならぬ彼の出自に関わるもの。もっと根の深いところでは、彼自身の才能と父親との確執にこそ問題の本質はあるのかもしれなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 フランセーズの隣国シュイスに本拠を構える数学の名門、ベルヌーイ家。

 その名声は国内に留まらず近隣の諸外国にも知られていた。当然、シュヴァリエも数学者として成長していくはずだった。


 しかし、恵まれた体格と類い希な運動神経の持ち主で、周囲からは勉学よりも武術の方に天賦の才があると見られていた。十五歳の時点で騎士の称号を約束され、軍隊の士官学校への推薦も出ていたほどだ。

 シュヴァリエの才に期待した彼の父親は、彼にフランセーズの国で騎士となることを強く薦めた。しかし、彼自身の興味は武術でなく、まして数学でもなく、物理学や化学の方面に向けられていた。


 全てがすれ違っていた。


 父親のヨハネル・ベルヌーイに黙って、アカデメイアの入学を決めた時など屋敷中に聞こえるほどの大声で言い争いになった。

「シュヴァリエ! なぜ士官学校への推薦を蹴った!? 卒業の成績次第では、騎士への道が開けるのだぞ!!」

「父上、自分は元より騎士になるつもりはありません。士官学校へも行きません」

「何故、お前はそう騎士への道を拒むのだ! これ以上はない約束された名誉だぞ!? これを機に我がベルヌーイ家も胸を張り貴族の仲間入りができるというものを……!!」


 ベルヌーイ家は財力で言えば貴族並みだが、これといった勲功もなく騎士の一人も輩出していないことから貴族階級への昇格を認めようとしない者達の意向がある。

 もっとも、国家への勲功として莫大な寄付を行うのであれば別であるが、それはベルヌーイ家の誇りを逆に地に落とすものだ。故にヨハネルはシュヴァリエが騎士になり、金ではなく実力で貴族階級へ昇格することを望んでいるのだった。


「父上こそ勘違いをしておられる。革命の折、もはや貴族の時代は終わったのです! 肩書きだけの貴族に何の意味があると言うのです? これからは知恵あるものが高みに就く時代です。旧時代の騎士など……、形だけのものがいったい何の役に立つのか!」


「わかっておらんのはお前の方だ、シュヴァリエ! 確かに革命は成った。しかし、それで世の中がどれほど変わった? 変わらぬのだ。依然として王侯貴族が権力を欲しいままにしている……。だが、お前が騎士となればベルヌーイ家も貴族への足がかかりを持つことができる。学問の道という可能性は既に歴代のベルヌーイ家当主が開いてきた。そしてお前には騎士の道という今までにない道を行く才がある。その生まれ持った才を何故、活かそうとしない!!」


「人は才でのみ生きるのではありません! 誰に何と言われようとも自分は……、自分で決めた道を行きます」

 血を吐くような決意だった。ヨハネルは冷ややかに息子の言葉を受け止める。


「……いいだろう。――しかし、好き放題できるのも二十歳までだ……。それ以上は許さん!! アカデメイアにいられるのもそれまでだ! わかったな!? シュヴァリエ!」

 どうにか父親との交渉によってアカデメイア入学の許可だけは得た。しかし、アカデメイアを卒業後は騎士への道を歩むべく、士官学校へ入りなおすことと言い渡されていた。

 年齢的に二十歳までなら士官学校への推薦入学が許されていた。アカデメイアに居られるのもそれまでということだ。


 アカデメイア卒業には六年の歳月がかかる。

 シュヴァリエは現在一七歳、年度末には十八歳になる。最長でも四年弱の期間しかアカデメイアにはいられない。通常ならば卒業はできないことになる。

 だが、アカデメイアには飛び級制度があり、期末の試験で好成績を収めれば、卒業までの期間を半年分だけ縮めることができる。半年ごとにある試験の全てで好成績となれば最短三年で卒業できることになるのだ。


 アカデメイアを卒業できれば社会的に独立できるだけの地盤を得ることができる。父親の意思は裏切ることになるが、その時は縁を切ってでも自分の道を進む決意があった。

(……まずは最短でアカデメイアを卒業する、何もかもそれからだ……)


 不測の事態まで想定した自身の年間計画を見直して満足感を得たシュヴァリエは、今日の活動をここまでとして、その後の時間は読書にあてることにした。

 計画は余裕を持って達成される、それはシュヴァリエにとって確信に近いものであった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 読み物に没頭して数時間が過ぎたころ、急に大きな音が耳へと響いてきた。

 ――なにやら隣室が騒がしい。


 物をひっくり返す音や、床を叩く音が壁越しに振動として伝わってくる。シュヴァリエはやむなく読書を中断し、大きく溜め息を吐き出した。

 元凶はわかっている。一つ隣の寮室に住んでいる自分と同期の――。


(グレイス・ド……ベルトレ……とか言ったか? まあ、名前はどうでもいい……)

 確か専攻分野を薬学としており、何度か同じ講義にも出席している女子学生だ。数える程しか会話をしたこともないし、名前さえうろ覚えだが顔だけはしっかりと覚えていた。


 以前、シュヴァリエが図書館で本を探しているときに、本棚の裏側から頭上へ分厚い専門書を落としてくれた少女だ。忘れようはずもない、あのあと部屋へ帰ってから急に頭が痛み出し、触ってみれば大きなこぶになっていたのだ。そのこぶを見て、少々のことでは動じない冷静な性格のシュヴァリエにも少しばかり憎悪の念が湧いた。


 その忌々しい怨敵が隣の住人である事を知ったのは、それからすぐのことであった。

「……! ……!! ――――!?」

 どたばたと、依然として騒がしい隣室。

(――そう、……そうだな。ここアカデメイアにおいて不満があるとすれば、唯一この部屋割りだけは納得がいかない……)


 いったいどういう基準で決めているのか。彼の両隣の部屋には、補欠合格者の女子学生二人が入居していた。

 別に補欠合格が悪いと言うわけではない。女性であることもシュヴァリエにとってはその人間を否定する要素にはならない。そのような偏見はシュヴァリエの最も嫌う所だ。ただ、明らかに常識や教養に欠ける人間とは付き合えない、というのがシュヴァリエの本音でもあった。


 隣人の一方は、始終自分の興味がある本だけを読んでいるような、何の為にアカデメイアへ来たのかも知れない不気味な少女だ。シャトレ嬢に面と向かって大女などと言ってみせるなど、教養とかそんな問題ではなく、会話が成り立つ相手とは思えなかった。


 そしてもう一方は……、

「……!!  …………!!」

 図書館で他人の頭に本を落とすは、講義中に居眠りして注意を受けるは、どうにも落ち着きのない人間である。現に今でも……。

(……いつまで騒いでいるつもりだ? 注意しないと静まらないか……)

 あまり口うるさくは言いたくなかったが、黙ってもいられない。先程から騒がしく暴れている隣人に苦情を言うべく、シュヴァリエはついに重い腰を上げたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「おい。いったい何を騒いでいる?」

 一一一号室の戸を叩き、シュヴァリエは様子を窺った。


「…………!?  ――――!! ……!」

 返答がない。だが物音が聞こえてくる以上、中に人がいることは間違いないはずだ。シュヴァリエは戸に手をかけて一拍置き、深く息を吸い込む。そして騒がしい隣人の部屋に怒鳴り込むべく、勢いよく戸を引いた。


「――っ!?」

 一瞬だけ――強い違和感があった。


 その時、シュヴァリエは手を掛けていた戸に異様な力が加わるのに気がついたが、押し戻すこともままならず、一一一号室の戸は内から外へと押し開かれる。


 ――ごおぉうっ! ごばぁっ!


 戸が開いた瞬間、轟音と共にシュヴァリエの全身を橙色の炎が包み込む。


 夕闇に沈もうとしていた学院寮の中庭は、突如として真昼のような明るさに照らし出された。ちょうど廊下を歩いていた学生が突然の爆炎に驚き、悲鳴をあげながら逃げていく。

 噴き出した炎は床から天井までを一息で舐めるように大きく広がったかと思うと、一瞬後にはその赤い舌を小さく変じていった。


 ……やがて沈静化した炎の中から、爆発の衝撃波と熱風に中てられたシュヴァリエが黒焦げの姿になって現れる。シュヴァリエは戸に手をかけた姿勢のまま、ゆっくりとその場にくずおれていった……。

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